14.静かにそこにいる
塩おむすび5個をワンブリッジに届けて、店に戻る。雨足はまだ強い。これからのランチタイムには少し弱まってくれると良いのだけど。
結心が軒先を歩いておにぎりころろに戻ろうとしたとき、青い傘をさした人が長屋カフェに来た。
「いらっしゃいませ」
自分の店の客じゃないかもしれないが、長屋カフェを訪れた人に対しては等しくそう声をかけるようにと朋子に言われている。次回は、おにぎりころろのお客様になるのかもしれないのだから。
「こんにちは。来ちゃいました」
青い傘から顔をのぞかせたのは、歯科衛生士の理子だった。今日は、歯科クリニックの茶色いスクラブに黒いカーディガンを羽織っている。
恥ずかしそうに、鼻頭を指でかいている。はにかむ笑顔は、以前来たときよりも元気そうに見える。
「理子さん、いらっしゃいませ」
連れだって、おにぎりころろの店内へ。
「いらっしゃいませ~あら理子さん!」
朋子が、満面の笑みで迎え入れる。
理子が店に来たのは、からあげおにぎりで号泣したあの日以来。
前回よりも元気そうに見えるけれど……理子の母親の状況を聞くのが、怖かった。仕事も復帰しているようだし、良い知らせを聞かせてくれるのかもしれない。でも、そうでない可能性だってある。まだ意識が戻らないとか、最悪の場合は――。
妙な緊張感で、結心は言葉を発せないでいた。余計なことを言って、気を悪くしてほしくない。黙ってカウンターに入ってレジの前に立つ。
でも、理子もなにも言わずもじもじと立っているだけだった。
その様子をじっと見た後、朋子は口を開いた。
「お母さま、お元気になられたのね!」
おいおいおいおい、ギャンブルすぎるだろうと結心は内心焦る。違ったらどうするんだ。
ひやひやしながら理子の顔を見ると……頬を赤らめて、うなずいた。
「昨日、一般病棟に移りました。あの日はほんと……泣いちゃって恥ずかしくて、もうお店に行けない、って思ってたんです。でも、からあげおにぎりと豚汁、ほんとうにほんとうにおいしかったし、朋子さんが明るく励ましてくれて元気が出たんです。そのお礼をしなくちゃと思って」
うれしそうに恥ずかしそうに、理子は手にしていた小さな財布をぎゅっと握る。
……よかったぁ。結心はその場にへたりこみそうになるくらい安心した。それにしても、朋子はなぜ状況が良くなったのだとわかったんだろうか。
「報告してくれて嬉しいわ!」
「雨のせいか患者さんの予約もキャンセルになって時間ができたので、早めにお昼休憩をもらって来ちゃいました。お話するなら、今がチャンス! と思って」
「こっちも今お客さんいないし座ったら?」
「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて……」
先日来たときとは比べ物にならない、ほがらかな表情で席につく。
「ね、この時間に来るの珍しいから、モーニングプレート食べてみない? お代はいただきますけど」
今日も知らんふりしてごちそうするのかと思いきや、座らせた上でお金は取るらしい。なかなか汚いことを……と結心は肩をすくめる。
モーニングプレートと聞いて、泉羽は顔を輝かせる。
「ずっとモーニングプレート食べてみたかったんです! ですが……前回のお代、本当にいいんですか?」
「……なんのことかしら」
下手なとぼけ顔で、朋子はカウンターの中に戻っていく。
結心はイートイン客に提供するコーン茶を冷蔵庫から取り出す。淡いイエローのお茶をポットからグラスに注いで、理子のテーブルへ持っていく。
「ありがとうございます」
コーン茶を受け取った理子は、ひとくち飲むとほっと肩の力を抜いた。
……こういうとき、なにか気の利いたことでも言ったほうがよいのだろうか。シャルルは泉羽のところに置いてきてしまったし、手持ち無沙汰だ。必死で頭をめぐらせ、相手が傷つかない言葉を探す。
「お母さま、お元気になられたようでよかったです」
まだ入院中なのに、お元気になんて言っていいのだろうか。わからないけれど、そう言うしかなかった。
「ありがとうございます。今後治療だけでなくリハビリもありますが、元気に家に帰れそうです」
自分の言葉が間違えていなかったことに安堵しつつ、その場を離れようと一歩踏み出すと、理子に呼び止められた。
「えと、結心さん、でしたっけ」
「はい」
「あの時は、いっしょにからあげおにぎり食べてくれて、ありがとうございました」
「いえ、わたしは母に言われた通りにしたまでで……」
謙遜する結心に、理子は首を振る。
「すごく心細かったけど、食事を共にしてくれる人がいるって思うと、まだがんばれる気がしました」
そう言うと、手招きして結心に顔を近づけるよう指示する。そして、腰をかがめた結心の耳にだけ聞こえるよう、ささやいた。
「結心さんみたいに、静かにそこにいてくれる人がいるって、案外落ち着くんですよ」
そして、ちらりと朋子に視線を送る。朋子はそれに気付かず、せっせとモーニングプレートを作っていた。
「もしかして、母は押しつけがましかったですか……?」
母の態度は受け入れられなかったのではないかと心配になる。しかし理子は、とんでもないとまた首を振った。
「どっちも、うれしいです」
小さな声で、言葉少なに伝えられたその思いで、結心は胸がいっぱいになった。結心にはそれしかできなかっただけなのだけれど、それをうれしいって言ってもらえた。
『もっと言葉を尽くした方がいい』『言葉にしなきゃわからない』そう、元カレの俊介に言われたことがいくつも心に引っかかっていた。そのいくつかあるトゲが1本、抜けていったような気持ちだ。
「こちらこそ、ありがとうございます」
結心からのお礼に、理子は小さく首を傾げたけれど、「いえいえ」とだけ答えた。
「はいはい、お待たせしました~! 春野菜たっぷりのモーニングプレートです」
木目がハッキリ見える木製のプレートの上には、おにぎりが2つと3種類の漬物が載っている。
おにぎりは、一番人気の焼き鮭おにぎりと、定番のシーチキンマヨだ。焼き鮭おにぎりは、生鮭を店で焼いてほぐして使用している。しっかりとした鮭の味を感じられる一品は、鮭フレークのおにぎりに比べて割高なのにもっとも注文が多い。
春野菜の漬物は、春キャベツときゅうりの塩昆布和え、春にんじんとアスパラガスの浅漬け、かぶのさくら漬けの3種。緑とオレンジとピンクで、プレートに彩りを添えている。
今日の汁物は、わかめと豆腐の味噌汁だ。
プレートの説明をしている間に、ランチタイムに突入して客が訪れるようになってきた。
「それじゃあ理子さん、どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます。いただきます!」
結心と朋子はカウンターに戻り、注文を聞き、おにぎりを作っていく。
「ねえ」
朋子がおにぎりをパックにつめながら、こそっと結心に耳打ちする。
「理子さんと、何話してたの?」
「ナイショ」
「なんか褒められたんでしょ?」
「……なんでわかるの」
「あんた、ほんとわかりやすいわね」
朋子はあきれたような笑顔を残し、客に「お待たせしましたー!」と声をかけた。
そんなにわかりやすい? いや、朋子が顔を見ただけで心の内が読めるエスパーなのか?
結心は身震いしつつ、イートインスペースでおいしそうにおにぎりを頬張る理子を見る。
エスパーでなくても、今の理子が心の底からおいしいと思って食べてくれるとわかった。
あの日、あれほど絶望していた表情だったのに、今はとっても幸せそうだ。
からあげおにぎりで元気を出してくれて、そして今、気持ちの余裕が生まれたことでまたおいしいものを心から味わって食べてくれている。宝石店の接客では味わえなかった高揚感に包まれる。
ようやく、父に離婚を言い渡してでも飲食店をやりたいと言った朋子の気持ちが分かった気がした。




