11.ウソでも笑いなさい
聡と出会った時のことを思い出しながら8時半頃に長屋カフェに戻ると、朋子は珍しく慌てふためいていた。
「結心、おかえり! 早く手伝って!」
3席しかないイートインスペースは満席で、そのうち1席はまだおにぎりは提供されていない。テイクアウト待ちのレジには3人が並んでいる。そして、鳴りひびく電話。
いない日に限って混雑するなんて。
「電話に出るね」
シャルルを入れたトートバッグを肩にかけたまま、結心は店内用の携帯電話を手に取り、電話に出る。
「毎度ありがとうございます。おにぎりころろです」
『あのね! 予約したいんだけど!』
声色からして、高齢の女性だろうか。大きな声は聞き取りにくい。集中して聞かないと。
「ご予約のお客様ですね。お名前ちょうだいしてもよろしいでしょうか」
『相馬よ、そ・う・ま!』
聞き取りやすいように言ってくれるのはありがたい。でも、ずっと怒っているみたいに聞こえて怖い。声のトーンを落としてほしいのだが。
「少々お待ちください」
カウンターに無造作に置かれたペンを手に取り、メモ帳に書き込む準備をする。
おにぎりころろは、電話か店頭でのみ予約や取り置きをしている。そして、予約内容は文具店で購入したメモ用紙に書かれている。なんともアナログだけれど、朋子が「これがイチバンなの! この辺、高齢の人も多いし!」と言ってきかない。
結心の横を、モーニングタイムにのみ提供しているモーニングプレートを持った朋子が足ばやに過ぎていく。2つのおにぎりと季節の野菜の漬物が載った木製のプレートと、そして日替わりの汁物の入ったお椀がテーブルに並べられた。
「お待たせいたしました、相馬様。ご注文どうぞ」
スマホを頬と肩にはさみ、メモの準備を整える。
『焼き鮭おにぎり5つ、野沢菜のおにぎり3つ、スパムおにぎり1つ、からあげ8個ね!』
早口でまくしたてられる。メモが追い付かない。あわあわしながら、なんとか書き込んでいく。
「かしこまりました、焼き鮭おにぎり5つ、野沢菜のおにぎり3つ、スパムおにぎり3つ、からあげ8個ですね」
『違うわよ、スパムおにぎりは1つ!』
まずい、間違えた。結心はペンで3を塗りつぶし、脇に1と書く。
「失礼いたしました。スパムおにぎり1つですね」
『そう! 10分後に取りに行くけどいい?』
朋子の様子を見ていると、10分でこの量を作れるとは思えない。
今いる客をさばくのにどれくらいの時間が必要だろうか。
「申し訳ありません、30分後でもよいでしょうか?」
電話の向こうは一瞬の沈黙ののち『朋子ちゃん忙しいのね。じゃ、30分後で』と言って電話が切れた。
ふー、と息を吐いてスマホを置く。
会社員時代から、電話対応は得意ではない。顔が見えない相手としゃべるのは怖いから。
メモに更新された情報をまとめる。本当に間違いがないか不安だ。メールみたいに文字に証拠が残らないのもイヤだ。
相変わらず、店内は混み合っている。早く身支度して朋子を手伝わないと!
結心はメモをその場に置き、奥の和室にシャルルを置いて気合を入れた。
おにぎりを握るのは朋子のみが担当している。結心は注文を聞いたり会計したりといった仕事をし、なるべく迅速に商品を提供できるようにしている。
どうにか、列をなしていた客をさばききった。イートイン客も退店した。壁掛け時計の針は9時を指す。
「今日は、なんだか混んでたね」
気がゆるみ、めずらしく結心から朋子に話しかけた。
「そうね。これから天気が崩れるから早めに行動している人も多いのかも」
「なんとか無事ピークが終わったね」
今のうちにテーブルを拭いたり食器を洗っておこうか。
しかし、なにかひっかかる。なんだったっけ。結心はイヤな予感に苛まれつつもテーブルを拭くための布巾を探すために周辺を見渡す。
カウンターの隅に置かれた、白い紙が視界に入る。紙にはおにぎりの種類と数が書かれている。あれは……。
まずい、と思ったと同時に、入り口の引き戸がからからと音を立てた。
「朋子ちゃーん!」
さっき、電話で聞いた声だ。予想通り高齢の女性が、にこにこと店内へ。
「あら、相馬さん!」
朋子はぱっと笑顔を見せた。
「おにぎり受け取りにきたわよ」
「あら、ご予約いただいてましたか?」
「ええ、さっき若い子に……」
店内を、しんとした冷たい空気が漂う。その空気は、結心にまとわりついた。
「……え?」
ふたりの視線が、結心に絡まる。
どう考えても、結心の責任だった。
「も、申し訳ありません! 伝え忘れていて……!」
頭を下げる。それしかできなかった。
注文を聞くのが、結心の仕事。それすらもできないなんて情けなかった。シャルルに「ひとつ注意されただけですべてを否定するな」と言ってもらったのに、すべてがひっくりかえるような大きなミスをしてしまった。
「すみません相馬さん、すぐに作りますので少しお待ちいただけますか?」
カウンターの中にいた朋子が外に出て、結心の隣で頭を下げた。
悔しかった。いつも笑顔の母に、申し訳なさそうな顔をさせて、頭を下げさせたことが。自分の失敗よりも、それがどうしてもいたたまれなく、見ていられなく……ぎゅっと目を閉じてまた頭を下げる。
相馬から、かなりの勢いで怒られるだろうと覚悟した。さっきの電話でも、怒っているような大きな声を出すような人だったのだから。
しかし、結心の想定とは違う声が聞こえてきた。
「まあ、いいわよ。朋子ちゃんとおしゃべりしてればあっという間だもの。家族にはもう少し待ってもらえばいいんだから!」
ね! と最後は大きな声で笑う。
「すみません。すぐとりかかります!」
いつもの笑顔を見せた朋子は、すぐにカウンターに戻り、メモを見ながら調理を始めた。
許してもらえた、ってことだろうか。結心は相馬と朋子を交互に見る。その視線に気付いたのか、相馬が口を開いた。
「朋子ちゃんの娘さん?」
「は、はい。結心と申します」
「ミスは誰にでもあるんだから、そんな地球が終わったような顔しないの! 若いんだから元気で明るく!」
「は、はい……」
「辛気臭いわね! 客商売よ! ウソでも笑いなさい」
やっぱり、怒られている。でも、励ましてもくれている。
「も、申し訳ございません!」
「やだ、さらに顔色が悪くなってる。ごめんなさーい☆とか言って、心の中では「うるせぇクソババァ」とでも思っておけばいいのに。生真面目ね!」
ク、クソババァって……。
思いもよらない展開に、結心は混乱する。客から新人教育されてしまっている。
「相馬さん、言ってやってください。この子旦那に似て真面目すぎちゃって」
おにぎりを握りながら、朋子が苦笑する。
「真面目なのはとってもいいことだけどね、それじゃあ疲れるんじゃない?」
「おっしゃる通りで……」
「真面目なのに、注文を通すことは忘れるのねぇ! 無駄な真面目さねぇ!」
「本当に申し訳ございません……」
結心が注文を通すことを忘れていたために生じた時間で、相馬からキビシイ愛の鞭を食らうこととなった。
雨が降る前に、相馬はおにぎりを持って帰宅した。




