もし明日、死ぬとして
もし明日が最後の日だとしたら、私はどんな一日を過ごすのだろう。
死ぬことは、考えるだけで恐ろしい。想像するたび、思考のどこかが拒絶する。
けれど、それは例外のない約束のように、すべての命に平等に訪れるという。
だから私は、怖れを抱いたまま、今の自分の言葉で考えてみようと思う。
「非常に残念ですが、あなたは明日、必ず死にます」
誰かがそう告げたとしたら、私はまずその現実を否定するだろう。
あり得ない、と思いたい。だが本当は、あり得ないことなど何一つない。
やがて私は、死を受け入れる準備をはじめるのかもしれない。
残りの時間を遊び尽くすだろうか。
豪遊して、笑って、馬鹿みたいに散財して。
それも悪くはない。けれど、笑いの隙間から、すぐに風が通り抜けていくような虚しさが残る。
それなら、これまで関わった人たちに感謝を伝えてまわろうか。
「あなたがいてくれたから、今の私がある」
そう伝えたとき、胸の奥が静かに温まるような気がする。
だがそれでも、何かが違う。一日はあまりに短い。
思えば、いつか死ぬことが確定しているなら、
「明日死ぬ」と思って今日を生きることは、
「今日生きる」ことと、本質的に変わらないのではないだろうか。
だから、私は現時点の結論を出す。
──特別なことはしない。いつも通りの日常を生きる。
それが最期の日であっても、私は朝を迎え、
顔を洗い、少し笑い、少し悩み、いつものように夜を迎えるだろう。明日が来なくても、今日という一日がある。
この思考は、数年後には変わっているかもしれない。
それでもいまは、そう思っていたい。
生も死も、同じ一日のなかにあるのだと。




