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第1話:潜入、そして警戒。

 世界が闇に呑まれて久しい。

 音楽や芸術、そして人々の営みまでもが、知らぬ間に異形の影へと侵食されていく。人の眼には映らずとも、確実にそこに存在するもの――魔術、神話、外なる存在。国家ですら手を焼くその脅威に対抗するために、秘密裏に結成された組織があった。


 その名は 超常現象安全対策機関《C.A.T.》。

 魔術師の陰謀を摘発し、神話の怪物に立ち向かう影の部隊。人知れず戦い続けるその兵士たちは、時に狂気と隣り合わせになりながら、己の存在を賭けて人類を守っている。


 ――これは、そんなCATの一員「Kirin」が遭遇した、とある任務の記録である。

「こちらKirin……周囲に敵影はありません。もう逃げちまったんじゃないですかね?」


 とある施設の地下研究所。コンクリートの壁は冷たく湿り気を帯び、ところどころに黒ずんだ染みが浮かんでいた。蛍光灯は弱々しく点滅を繰り返し、白い光と影とが交互に廊下を切り刻んでいる。鉄と薬品の匂いが混じり合い、足元にはひやりとした冷気が這うように流れていた。


 その廊下を進む一人の女性。黒色のスーツは皮膚のように体へ密着し、関節ごとに取り付けられた無骨なプロテクターだけが異様に浮き上がっている。頭部の装甲は薄く、耳元のインカムだけが孤独に光を放つ。


 艶やかな黒髪は夜の闇を切り取ったかのように深く、ところどころに混じる白い筋が蛍光灯の明滅に合わせて冷ややかにきらめいた。肩から胸元へと滑らかに流れ落ちる髪は、頬の輪郭を縁取るように揺れる。切れ長の瞳は淡く紫がかった灰色。虚ろさと鋭さが同居し、見る者の心を射抜いた。妖艶な笑みに覗く八重歯は、優しさを猛獣めいた危うさへと変えている。左の頬に刻まれた紅いハートの印は、遊戯めいていながらもどこか不気味な存在感を放っていた。


 彼女の名はKirin。CAT隊の遊撃隊員。冷ややかな美貌に隠れているが、その鼓動は今も早鐘を打っていた。


 インカム越しに低い声が返る。

「油断するなKirin。ここは魔術師どものアジトだ。何が潜んでいるか分かったものじゃない。気を抜いたら死ぬぞ」


「分かってますよ、リーダー。でも……」


 Kirinは廊下を見渡す。並ぶのは鉄製の扉ばかり。どれもロックがかかり、解錠できる扉は限られている。持ち込んだ魔術停止装置の数は少なく、むやみに使えば作戦が立ち行かなくなる。


「やっぱり一度、合流した方が――」


 その瞬間。耳に、か細い声が届いた。


「……だ……れか……たす……け……」


 即座に顔を上げ、廊下の奥へと視線を走らせる。静まり返った空間に染み入るように響いたその声は、あまりに弱々しいが、確かに人のものだった。


「リーダー……」

「なんだ?」

「声がしました。……助けてって。けど、細すぎて詳しくは聞き取れない」

「……」

「一回合流しません? さすがに一人は怖すぎるんですけど!」


「お前それでもCAT隊員か」

 呆れ混じりの声が返る。


「しょうがないでしょ! あたしがビビりなの、リーダーが一番知ってるでしょ! お願いだから誰でもいいからこっちに寄越して!」


「……少し待て」


 数秒の沈黙。しかし返ってきた答えは無情だった。

「無理だ。第一小隊は魔術師と交戦中。第二小隊も同様。こちら第三小隊は神話生物と接敵中だ」


「え? じゃあ何で通話できてるんですか」


「そんなの……よいしょっと!」


 直後、爆発音と断末魔のような叫び声がインカム越しに轟く。

「戦いながら話してるに決まっているだろう」


「……あんたホントに化け物ですよね」


「うるさい。ともかく増援は送れん。遊撃隊も各階を探索中で手が塞がっている。危険を感じたら即時撤退を許可する。その声の主を調べろ」


「ええ……怖いですよ」


「文句を言うな。例の行方不明者の可能性もある。頼んだぞ」


「ああもう! 分かりましたよ。現在地下四階ですから、なにかあったら絶対に助けに来てくださいよ!」


「分かっている。お前は私の隊の一員だ。殉職など許さん。ただ……無様を晒したら帰った後覚えておけ」


 リーダーの顔が脳裏に浮かび、Kirinは小さく身を震わせる。

「……善処します」


 通話を切り、深く息を吐く。


「戦闘中に壊れたら困るし……インカムのライトは消しておこう」


 小さな光が落ち、薄闇がさらに濃くなる。廊下の白壁は死体の皮膚のように冷ややかで無機質だった。足音と蛍光灯の点滅音が異様に大きく響き、汗に濡れた手袋の中は不快にじっとりと濡れている。抱えたライフルは鉛のように重かった。


 一歩、また一歩。背後から視線を感じる錯覚に耐えながら、声のした扉へ近づいていく。


 やがて辿り着いたのは近代的な鉄扉。横にはタッチパネルのような装置が取り付けられていた。


(電子パネル……いや、違う。普通なら、この規模の研究所で蛍光灯が不規則に点滅するなんてあり得ない。施設自体は清潔で管理が行き届いているのに、電気系統だけが異常をきたしている――つまりこれは機械の不調じゃない。

 むしろ魔術で制御されているがゆえに、術者の注意が他に割かれた時、こうして綻びが出るんだ。前線に術者が駆り出されれば、照明や扉の制御が乱れる。

 なら、このパネルも電子制御に見せかけた“結界装置”の一部。開閉の鍵は電気信号じゃなく、魔術的な符号を読み取る仕組み……CATの訓練で何度も叩き込まれたパターンだ)


 Kirinは腰のボディバッグから一枚の木製カードを取り出す。表にはお経のような文字が刻まれ、裏には六芒星を思わせる紋が輝いていた。


 それをパネルにかざした瞬間――


 ピーッという音と共に、扉は静かにあとがき

 静寂を切り裂いて開かれた扉の向こうに待つものは、果たして救いか、それともさらなる絶望か。

 確かなのは、Kirinが今立ち入ったその一歩が、もう後戻りできぬ領域への境界を越えたということだけだった。


 廊下に残された蛍光灯の明滅は、彼女の背を照らしながら――まるで「戻る道はない」と告げるかのように、ゆらめき続けていた。

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