11 女教師になりまして、
◇
今、俺の両親は旅行中で家にいない。
金曜日、両親は仕事を終え次第、少し遠くに旅行へと向かった。飼っている犬のこともあるし、俺には期末試験も控えている。
そのため、今回俺はお留守番だ。
それに両親が絶対に帰ってこないからこそできることもある。
土曜日の朝。
目が覚め、まずは犬の散歩に向かう。そして帰宅後、両親がしっかりと旅行地にたどり着いたことを、SNSにアップロードされた写真で確認すると、俺はクローゼットの奥に隠してある紙袋を開けた。
紙袋の中身は女性ものの下着、ブラジャーだ。
今後、サブアカウントが必要になる事態があるだろうと思い、先日、購入しに行った。
勿論、例の女性の姿でだ。
その際だけ、こっそり今は日本いない姉の部屋に侵入し、服を拝借させてもらった。姉は例の女性姿ほどの身長はないが、姉の部屋にはネットで買ってサイズが合わずに放置している服が大量にあることは知っていた。案の定、探したところ俺でもきれそうなサイズのものが出てきた。
姉の部屋で服をあさっているところを親にバレたらどうしようかと、ヒヤヒヤしながら探した甲斐があったというもの。
そうして向かった下着屋。
何故、女性物の下着を持ってないのかなど、色々つっこまれはしたが、そんな困難も乗り越え、俺は下着を数着ほど購入した。
正直、恥ずかしさ云々より、罪悪感が凄かった。
物凄く、悪いことをしている気分になった。
余談だが、下はボクサーパンツでいいだろうと思い、購入していない。決して、罪悪感や恥ずかしさに耐えかね、購入できなかったわけではない。
そんなわけで、数々の苦難の末に購入した下着だが、買って終わりというわけにはいかない。
つけるのに慣れておく必要があった。
そのためにもまずは、サブアカウントを発動し、女性の姿に変わる。
男性の姿でなんて絶対にしたくないし、それどころか想像もしたくない。
そうしてネットで調べながら付け方を覚え、ついでにこの姿に合わせて買っておいた服も着てみる。
「悲しいくらい美人だな」
鏡に映る女性はまるでモデルのようだった。そして美しかった。
いっそ、もう日常をこの姿で過ごした方がいいのではと思うほどに。
店員にお薦めされるがままに購入したデニムは足の長さを強調しおり、白いブラウスもよく似合っている。
「って、いかんいかん」
見惚れている場合じゃない。
縁結びの仕事の準備も大切なことだが、俺は期末試験の勉強もしなければならない。
中間試験は色々あったせいで、点数を落としてしまっている。期末試験では下がった分くらいは取り戻したい。
勉強を始めるため、変身を解除しようとした……その時だった。
「彩都! 勉強しにきたよ!」
俺の部屋の扉が開いた。
勉強道具の入ったショルダーバッグを肩からかける、私服姿の青葉と、俺……霜上彩都の部屋にいる黒髪の見知らぬお姉さんが出会ってしまった瞬間だった。
しまった。
同時に扱える権能は一つまで。だから、サブアカウントを使っている間は、位置情報が使えない。そのそもこの権能は近所に青葉が住んでいることもあり、常に発動していると邪魔なため、普段は切ってしまっている。
「えーと、どちら様でしょうか?」
青葉がキョロキョロと視線を動かしながら、落ち着かない様子で問いかける。
当然だ。
幼馴染の男の部屋を開けたら、見知らぬお姉さんがいるのだから。
俺は頭を必死に回転させ、答える。
「私は天音、彩都の姉に頼まれて、時々勉強を教えにきてる。それで、あなたは?」
俺には六つ上の姉がいる。
今は海外の大学に通ってくるため、しばらくは帰ってこないだろう。最もらしい言い訳で真っ先に思いついたのは姉の友人だった。
青葉と姉はほぼほぼ接点がないし、今後もないだろう。
いや、何があろうと接触させない。
そんな俺こと、天音の言葉に青葉は困惑しつつも、言葉を返す。
「は、初めまして。私は青葉兎美で……えーと」
「あぁ、あなたが青葉さん? 彩都から聞いている。幼馴染だって」
それにしても、何故青葉が俺の部屋まで来たのかが分からない。
「勉強しに来たって言ったけど、どうしてここに? インターホンは鳴らさなかったの?」
「それは、外からこの部屋に人影が見えて。だからいるなって思ったんですけど、インターホンが鳴らなくて。それで彩都のことも呼んだんですけど、反応がなかったので」
インターホンが壊れているとは想定外……というか、聞いてないな。
それに青葉は昔、とある出来事があった際に、俺の両親から合鍵を貰っているし、入ることはできなくはない。
それはそうとして、そういう大事なことは言っておいてくれと、両親に対する愚痴を心で呟きながら、頭をフル回転させる。
まず初めに、俺は急ぎ脳内で天音というキャラの設定を固めていった。
とりあえず、俺伝てに青葉のことを度々聞いているということにしよう。全く聞いていない、知らないという設定よりはずっと演じやすいはずだ。何か、ボロが出ても誤魔化しやすい。
「えーと、勉強しにきたんだっけ? ごめんなさい、彩都は犬の餌がなくなったって、今、買い物に行ってて。ついでに他にも買い物してくるから、すぐには帰ってこないかもしれないってことだけど」
そういうわけだから頼む。青葉よ、帰ってくれ。
そう神様に……縁結びのあいつ以外の神様に願いを捧げる。
しかし、人生、思うようにはいかないもので。
「そうだ、なら、私の勉強に付き合ってくれませんか?」
「えっ」
「だめ、ですか?」
上目遣いでそう懇願してくる青葉。
なんだ、この青葉は。
俺が今まで見たことがないレベルで可愛い。どう言うわけか、彼女を愛らしいと思ってしまう。
何故、彼女が部活で先輩たちから好かれているのかが分かった瞬間だった。
「え、えぇ、いいけど」
「やったー!」
気がつけば俺は、そう返事を返してしまっていた。
こうして、俺は青葉に勉強を教えることとなる。
二階にある俺の自室ではやりにくかったため、一階のリビングで勉強をすることとなった。
青葉は持ってきた問題集とノートを机の上に広げた。
青葉の成績は良くも悪くもない。
いや、あの高校で真ん中なのだから、もっと広い範囲で見れば少し良い方かもしれない。
文系科目が得意で理系科目が苦手。理系でも、暗記は強かったはずだ。もっとも、そんなことを今の俺が、つまり天音が知っているのはおかしいため、少しの演技を挟む必要がある。
見直しのために持ってきたであろう中間テストの用紙を受け取る。
「なるほど。見たところ、現代文は強い、そして歴史や英語みたいな暗記科目も強い。化学基礎は悪くない。一方で、数学は苦手といったところかな?」
「はい、数学は苦手です」
さて。本格的にどうしたものか。
俺は生まれてこの方、塾というものに通ったことがない。なんたって、通うのが面倒だからだ。今の時代、講義はネットで見れるし、中学、高校レベルの内容であれば解説は豊富だ。本当に分からない難問があったとしても、そんなのは高校の教員に聞けばいい。そんなこともあまりなかったが。
故に、こうして対面で、人に教えるという行為がイマイチわからない。
一方的な授業、とは違うだろうし。
「とりあえず、問題集を解きながら、わからない所があったら言って。その時は私が教えるから」
「ありがとうございます」
多分、こんな感じだろうか。
後は青葉のわからない問題に、俺が答えられるかだが期末のテスト範囲はすでに一通りやっている。ここに来て、早めに始めた期末対策が功をなしたわけだ。
そうしてとりあえず二時間ほど勉強し、数学を一旦切り上げる。
「はぁ〜、疲れた」
俺もだ。なんなら俺の方が疲れている。
「一旦、休憩にしようか」
「はい!」
俺は天音のため、キッチンからコップと冷えたお茶のペットボトル、ついでにお菓子を持ってくる。
「大丈夫、彩都から許可は取ったから」
「ありがとうございます」
休憩時間こそ、油断ならない。
今までは勉強に関する話のみだったが、そうもいかないだろう。
俺は天音というキャラクターを演じ切るため、気合を入れる。
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