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7話 西島由海

 

 AM6:05 某所にある高層マンション上層。


 白い遮光カーテンの隙間から差し込む橙色の光の筋に照らされながら、台所でせわしなく作業をする一人の女性。台所の正面にあるリビングには大型TVにソファが置かれ、壁には一人暮らしの女性には不釣り合いな禍々しいナイフが飾られていた。


 女性は薄く焼き色が入った卵焼きを、まな板に載せて包丁で切り分ける。


 できあがったおかずを小さな弁当箱に敷き詰め、入りきらなかったおかずはその隣に置かれている色違いの弁当箱に詰め込む。彼女は仕上げに猫のキャラクターが描かれたプラスチックの串を刺し、こみ上げる嬉しさから口の端を緩ませた。


「先輩食べてくれるかな。大丈夫だよね。男の人だし。理由を聞かれたらいつもトモモの実を貰ってるお礼って言っちゃおう」


 ふたを閉めれば桜色と蒼色の弁当箱が並ぶ。まるでペアである。

 端から見れば恋人のために用意した弁当のようであった。再び表情筋を緩ませた彼女はしばし時間を忘れて見入っていた。


「元気になってくれて本当に良かった。いつも倒れそうな顔をしてたから。あの頃の先輩が戻ってきてくれたみたいで嬉しい。今度こそ私が先輩を助ける。私が助けるんだ」


 西島由海は真剣なまなざしを蒼い弁当箱へ向けた。


 今年で二十四歳を迎える彼女はかつて藤宮遙人に二度助けられた。

 一度目は入社したばかりの新人だった頃、二度目は遙人にも伏せているもう一つの姿で。


 不意にリビングに置いてあったスマホが鳴った。


 エプロンを外した由海は、落ち着いた歩みで近づきスマホを手に取る。


「はい、もしもし。どうもご無沙汰してます。その件につきましてはお断りしたはずです。私フリーですよ? 貴方方にそんな権限はありませんよね。はい。分かりました。考えておきます。本業が忙しいのであまり期待しないでくださいね」


 通話を切ったスマホの画面には『新時代派遣会社ポラリス』と表示されていた。


 会社では出すことのない冷たく鋭い雰囲気を漂わせる由海は、スマホの画面を消してから深呼吸する。気持ちを切り替えた彼女はするりと髪からシュシュを取りポニーテールから普段のストレートヘアーへと戻した。


「冒険者なんて辞めて今の会社員一本に絞ろうかな。貯金もあるからそこまで必死に稼ぐ必要なんてないのよね。時間関係なく呼び出されるのも迷惑だし、何より先輩と会える時間が少なくなるのは大問題よ」


 脳裏に過るのは二年前の遙人の姿。

 由海は弁当を袋に入れながら、自分だけが知る遙人の姿に思いをはせていた。



 ***



 ――二年前。


「本日より働くこととなりました西島由海です。よろしくお願いいたします」


 真新しいスーツを身につけ西島由海は深くお辞儀をする。

 彼女の前には先輩である社員がずらりと並び、歓迎も否定の声もなく視線だけが突き刺さっていた。


 緊張に身体をこわばらせていた由海は恐る恐る顔を上げる。


 先輩達からの声はなかった。


 ただただ様々な色を含んだ目だけが由海の顔や身体へ突き刺さる。彼女はここでもだ、と思った。どこに行っても浮いたような扱いを受ける。距離を置かれ遠巻きに好奇の視線だけが向けられるのだ。由海は内心で落胆にも似た感情の下落を覚えた。

 ただ、実際は彼女の美貌に誰もが息をのんでいただけなのだが彼女は気づかない。


 ぱちぱちぱち。


 どこからか拍手が響いた。

 音の発生源は年上であろう二十代の男性社員だった。


「入社おめでとう。期待しているよ。頑張って」

「はいっ!」


 彼の拍手に触発されるようにオフィス全体に拍手が鳴り響いた。


 その中で手を叩きながら舌打ちをするものがいた。

 先ほどとの男性と近いもしくは同じくらいの年齢の男性である。色素がやや薄いのか短めの髪は茶色に近く整った目鼻立ちをしていた。

 

 彼は由海ではなく、先ほどの彼をにらみつけるようにじっと見ていた。


「本日より西島さんの教育係となる藤宮遙人です。分からないことや困ったことがあったら気軽に相談してくれるかな。まぁ俺の分かる範囲でしか応えられないけど」

「よろしくお願いします藤宮先輩」


 由海は頭を下げて新人教育担当へ挨拶をした。

 顔を上げたところで彼女は、その人物が誰よりも早く拍手をしてくれた相手だと気が付いた。


 外見は平凡そのもの。穏やかで捉えどころがない印象であった。

 良い人が必ずしも良い先輩だとは限らない。頼りにならなければ別の人に変えて貰おう。そのようなことを由海はうっすら考えていた。



 *



 藤宮遙人は特にこれと言って特徴のない人だった。


 特別仕事ができるわけでもなく、特別人付き合いが上手い人でもなかった。普通に仕事をこなす普通の会社員。それが由海の藤宮への評価だった。


 唯一由海が遙人を気に入っていたのは、彼が生み出す絶妙な距離感であった。

 ほどほどに適当な彼の態度は由海にとって居心地の良い日常となっていた。


 キーを打ち込み続ける由海は、ふとデスクに湯気の昇るコーヒーの入ったカップが置かれていることに気が付いた。

 カップ自体は彼女が購入し用意したものである。しかし、自分で淹れた覚えがない。一口含んでみるとミルクはもちろん大量の砂糖が投入されており由海が常飲しているコーヒーの味であった。


「藤宮先輩が淹れてくれたのですか?」


 由海は隣のデスクで作業をしている藤宮遙人に声をかけた。


「頑張ってる後輩へご褒美だよ」

「ありがとうございます。じゃあ藤宮先輩には私が」

「そう? だったらお願いしようかな。それから俺のことは遙人って呼んでくれる方がありがたいな。実は名字より名前の方が呼ばれ慣れててさ。学生時代も遙人呼びが定着しすぎて名字を忘れられたことがあって――あ、いや、西島さんが嫌なら別にいいんだ。会社だしちゃんとすべきだってのはごもっともだから」

「大丈夫ですよ。それなら遙人先輩ってお呼びしても?」

「うん。ありがとう西島さん」


 穏やかな微笑みを浮かべる藤宮遙人に、由海は『この人は私が冒険者として魔物と戦っているなんて考えもしないんだろうな』などと自身とは違う生き物のように感じていた。


 ソロで活動するそこそこ名の知れた冒険者、それが西島由海のもう一つの顔であった。





「なんだこの書類は。間違いが多すぎる。明日使用する資料だぞ」

「申し訳ありません。急いで直します」


 デスクに書類を叩きつけるように置いた三十代後半であろう係長は、怒りを隠しもせず由海を叱責する。彼女は頭を下げた後、突き返された書類を受け取り席へと帰還した。


 書類を確認した彼女はみるみる顔面蒼白となっていく。

 完成した時点と内容がところどころ変わっているのだ。由海はまさかと書類をめくっていく。


「誰かがいじった? でも誰が?」


 私のパソコンに入れるのは社内の人だけ、だとしたら内部の人間の仕業? だけどどうしてこんな風にいじったのかしら。データを盗み取るならまだしも。


 由海はデータをいじったであろう人間の狙いが読めず不安を感じた。


「急がなきゃ」


 時計の針に由海ははっとする。


 誰が犯人か考えている暇はなかった。

 由海はファイルを開き修正を開始した。





 PM7:00 照明だけが動き続ける誰もいないオフィス。

 由海はたった一人黙々と作業を行っていた。


 一部と言えいじられている箇所は広範囲にわたる。それらを見つけ出すには穴が空くほど何度も何度も見直さなければならない。明日の会議には重要な案件が含まれている。失敗すれば自分だけでなく教育係の遙人も評価が下がる。由海は迷惑は掛けられないと必死だった。


 食い入るように画面を見つめていた由海は、突然頬に冷たい感触が当たり椅子の上で飛び上がった。


「にゃっ!?」

「ごめん。そこまで驚くとは思わなかったんだ」


 振り返った由海は、ペットボトルを持った遙人に目を大きく見開いた。

 彼の片手にはビニール袋が握られており、半透明越しに飲み物や食べ物らしき色と形がうっすら透けていた。


「先輩帰ったんじゃ」

「後輩が頑張ってるのに俺が何もしないなんて教育係失格だろ。なーんて実際は一度自宅に戻ったんだけどね。財布を忘れてさコンビニで慌てた慌てた」


 遙人は席に座りパソコンを立ち上げる。

 どんなときも変わらず優しくフォローしてくれる遙人に、由海は感謝の念で胸が苦しくなっていた。


「えーっと、どこをどう直すのか教えて貰おうかな」

「データを送ります。修正箇所はこの書類に」

「どれどれ。なるほど、ここをこうして、こっちはこの方が分かりやすいかな。どうせ直すのならもっと分かりやすい内容にしよう」

「いいですね。さすが遙人先輩です」


 二人っきりでキーを打ち続ける。

 由海はふと手を止め遙人の方に顔を向けた。


 彼はぶつぶつと呟きながらモニターの中に集中していた。

 その姿、その横顔に、彼女は一際強く心臓が鳴ったのを自覚した。


 なんだろう、この胸の痛み。


 訳も分からず彼を見るだけで顔に熱が帯びる。

 初めての感覚に彼女は戸惑っていた。


「どうしたの?」

「い、いえ」


 そこから作業は一気に進み、二人はほどなく書類を完成させ会社を後にした。



 *



 ずる、ずるずる。


 街灯が並ぶ暗い小道。由海は壁に手を突きながら足を引きずっていた。


 昼間のスーツ姿ではなく、戦闘用の漆黒のボディスーツに身を包む現在の彼女はフリーの冒険者である。


 迷宮で魔物と戦い貴重な資源を採取する。

 死と隣り合わせの常に命の危険にさらされる職業。


 この日の彼女は油断していた。いつもなら容易に躱すことができた魔物の攻撃をもろに受けてしまったのだ。それでも魔物を倒し迷宮から脱出したが、傷は深く彼女は出血しながら誰にも発見されず意識をもうろうとさせていた。


「しくじった。私が油断するなんて。どうしてもっていうから受けた仕事だったけどこんなことなら断るべきだった。先輩、今頃何してるかな……ちゃんと休めてるかな。私が無理矢理手伝わせちゃったから……」


 視界の半分が赤くなる。顔に触れるとその手にはべっとり血が付いていた。

 出血は頭部にも及び彼女は乾いた笑いを吐き出す。その足取りはおぼつかなく手を突く壁には血の跡が続いていた。病院はもうすぐ。あと少し歩けば病院に着く。


「せんぱ、い」


 地面が目の前にあった。


 倒れたのだと由海はそこで初めて知った。

 混濁し始める意識に男性の声が届く。


「大丈夫か!? うわっ、血だらけじゃないか!」

「だ、れ?」

「しっかりしろ! 俺が病院に連れて行ってやるからな!」


 ふわりと体が浮く感覚があった。

 目を開くと見知った男性の顔があった。だが、いつもよりも必死の顔だ。


 どうして、どうしてそんなに必死なんですか。

 そんなに私、頼りない後輩ですか。


「すみません! 急患なんですっ! すみませんっ!!」


 がくっと激しい揺れに由海は目を開いた。

 いつの間にか意識が遠くなっていた。耳に届くのはやかましいほどのクラクションだ。


 周囲に視線を向ければ、沢山の車が停車し遙人はぺこぺこ頭を下げていた。

 申し訳なさそうにする彼の額からは汗が流れ落ちていた。


 私、また迷惑を。


「病院はもう目の前だ! 死ぬな! 絶対に俺が助けてやるから! 頼むから生きててくれ!!」

「せ、んぱ」

「なんだって!? おおっ、病院だぞ!」


 私だと気づいていない?

 そっか、顔に血が付いてるから分からないんだ。


 再び遠くなる意識の中、由海は僅かに口角を上げて笑う。


「急患です! 今にも死にそうなんです助けてください!」

「君はそこで待機していて、急いで担架を持ってくる」

「お願いします!」


 病院職員によって担架に乗せられた由海は、心配そうに見下ろす遙人に微笑みかけた。


「ありがと、せん、ぱ、」

「もう大丈夫だから。ちゃんと治療してもらって」


 扉を超えたところで遙人は立ち止まり、締まりきるその時まで無事を祈るように由海をその目で追い続けていた。

 手術室に運ばれた由海へ医師がペンライトを向ける。


「意識はあるようだね」

「は、い」

「心配しなくていいよ。今は十五年前より格段に医療技術が発達していてこのくらいの傷なら跡を残さず一日で治療できるから」


 先輩に二度も助けられるなんて。

 いつかきっと絶対に、次は私が先輩を助けますから。

 先輩が嫌って言っても聞きませんからね。


 絶対に。



 ***



 いやぁ、驚いたな。

 まさか会社帰りに大けがをした冒険者を発見するなんて。

 会社前で西島さんを見送った後、適当な店で飯を食って、その帰りにコンビニ寄ってたら見つけちゃうんだもんな。

 しかし、西島さんに似てたなあの子。

 気のせいだろう。世の中には似た人が三人はいると言う。


 さて、どうしようかな。彼女が無事か見届けた方がいいよね。


「由海は!? 由海はどこだ!?」

「落ち着いてください。たった今、集中治療室に入ったところです」


 俺と同じく裏口から入ったスーツ姿の男性が声を荒げていた。

 女性看護師は彼に説明を行い次第に男性は落ち着きを取り戻しているようであった。


 もしかしてさっきの子のご家族かな。

 冒険者は緊急時に備えて、家族の連絡先を装備のどこかに書いてあると耳にした記憶がある。きっと病院側が連絡したんだな。


 しかし、西島さんと同じ名前なんだ。

 名前まで同じなんてこんなこともあるんだな。


「では、もう問題なさそうなんで俺は帰ります」

「あ、あのちょっと」


 女性看護師の声をスルーして俺は帰路につく。

 なにせ明日も会社があって忙しいのだ。


 はぁ、どこか田舎でスローライフしたいな。


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