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5話 目覚める会社員

 

 ぎゅうぎゅう詰めの早朝ラッシュ。

 未だにこれだけは慣れない。それでも以前ほどの辛さはなかった。迷宮に暮らし始めてから出勤は三日おきとなった。こちらでは存在しない時間、実際は十二時間そこらでしかない。


 レナは今頃どうしてるかな。

 三日間不在だからカレーをたんまり作って置いたけど。正直腐らないか心配だ。


 彼女は「冷蔵の魔法で問題なしぞ!」なんて言っていたけど不安だ。


 信用していないわけじゃないけど魔法だからなぁ。俺みたいな一般人にはなじみがないし実際目にしてもぴんとこなかった。いや、すごいんだけどね。だって魔法なんだよ? 何もないところで火をおこしたり風を発生させるなんて驚かない方がどうかしている。それからレナヴェールのことはレナと呼んでいる。呼びにくいし本人もレナの方が呼ばれ慣れているとのこと。


 電車が目的に駅に到着する。ドアが開くと同時に、俺は流れに従いホームへと出た。

 すれ違う人々の顔は様々。活力に溢れている人もいれば、目が死んでいるような人もいる。皆一様に同じ方向へと進んで行くのだ。過酷な現実と呼ばれる世界に自ら飛び込みに。こちらの方がよほど迷宮だ。


 流れに乗って階段を上る。


(今日も調子が良いな。あんなに辛かった階段がやけに軽い)


 スローライフ生活のおかげだろう。

 心身共に快調である。一段飛ばしで駆け上がってもいいくらいに元気だ。

 人の目があるからさすがにしないけど。


「だから何度も断っているだろ。興味はないって。しつこいな」


 女子高生の前にいる会社員だろうか。通話をしながら階段を上っている。

 ここからでは顔は窺えず声だけが届いていた。


「いい加減にしないと訴えるぞ!」

「きゃ!?」


 会社員が鞄ごと腕を振った。

 そのすぐ後ろにいた女子高生は弾き飛ばされ足が階段から離れた。


 まずい。このままだと後頭部から床にたたきつけられる。

 打ち所が悪ければ死。助けないと。だけどここからじゃ間に合わない。


 ――いや、それでも助けるんだ。


 その瞬間、俺は奇妙な感覚に襲われた。


 なんだ? 動きが遅く感じる?

 周囲の人がスローモーションのようだ。

 だが、これはいい。彼女を助けられるかもしれない。


 鞄をその場に投げ捨て走る。

 階段を段飛ばしで駆け上がって、ゆっくり落下する女子高生の背中へ腕を添えた。

 体勢を整えつつ両腕で彼女を抱える状態へと持っていく。


 直後にスローモーションは切れた。


 両腕にかかる重み。しかし、耐えられないほどではなかった。

 安堵の息を吐いた俺に、女子高生は目を点にして「え? え?」と腕の中でキョロキョロしている。


 間に合った。助けられたんだ。


 だけど何だったんだ今の感覚は……。


 彼女を抱えながら突き飛ばした犯人を捜す。

 しかし、逃げたのかそれらしい人物の姿はなかった。


 周囲がざわつく。


「今のすごくなかった?」

「くそっ、動画撮れば良かった。絶対バズったのに」

「人間離れした速度だったよ。間違いないって」


 彼らは彼女が落ちそうになったことよりも俺に興味が向いているようであった。







「助けていただきありがとうございました」

「いえ、たいしたことは。それより怪我がなくて幸いです」


 俺と女の子は駅構内で別れの挨拶を交わす。

 じっくり見る余裕もなかったから今の今まで気が付かなかったけど、ずいぶんと可愛らしい女の子である。バッグからは兎のキャラクターが提げられていた。


「会社がありますので俺はこれで」

「あ、待ってください」

「はい?」


 出勤すべく背を向けたところで彼女に引き留められる。

 まだ何かあっただろうか。


「お名前を」

「藤宮遙人です。では失礼」


 急ぎ足で会社へと向かう。

 遅れると一本入れてあるから怒られることはないと思いたい。

 しかし、あの感覚は一体何だったのか。俺だけ時間が速くなったように感じたけど。



 ◇



 恒例となった昼休みの弁当会。

 いつものように西島さんと弁当箱を突き合わせ雑談する。


「女子高生を助けた!?」

「しーっ。あまり大きな声で言わないでくれるかな」

「どうしてですか。良いことじゃないですか」

「なんかこう当たり前のことをしただけなのに自慢しているみたいで嫌じゃないか」

「お言葉ですけど人助けは当たり前じゃないですよ。そう思えるのは先輩だからです。これ、ウィンナーです」

「ありがとう」


 俺の弁当にタコさんウィンナーが加わる。

 こちらからはお返しにトモモの実を渡した。


 今日はニンジンとタマネギのミニかき揚げを作って入れてみたけど上手くできている。サクサクとしていて食感がたまらない。


「ところで先輩、気づいてますか?」

「なにを?」

「目の下ですよ」

「目の下??」

「クマ。すっかり消えてますよ」


 西島さんは手鏡を取り出し渡してくれる。

 鏡には別人ではないかと疑うほど若々しい男がいた。


 生活習慣が変わりその結果肉体にも変化が現れた……としてもずいぶんな変わり様だ。まだスローライフを始めてから一ヶ月も経っていないのだ。今朝の妙な感覚も引っかかる。いや、肉体の変化は以前から兆候があったからいいとして、変な感覚はレナが来てから起きた出来事だ。だとしたら彼女が俺に何かした? 

 顔を上げると西島さんがどこか嬉しそうであった。


「すっかり元気になりましたね」

「思い切って生活を変えたおかげだ」

「で、そろそろ教えてくれませんか。何が先輩をそこまで変えたんですか」

「あー、うーん、自堕落な自分への反省?」

「きっかけもなく突然ですか?」


 信じていないのかジト目で俺を見ていた。


 別に隠すようなことじゃないけど、なんとなく打ち明ける相手は選んだ方がいいような危機感にも似た予感があった。それにレナのこともある。俺は彼女以外に言葉を介す魔物を知らない。似た存在が居るのなら安心して他言できるけど、もしそうじゃないのなら……情報はできる限り伏せた方が良いだろう。


「きっかけもなく突然かな」

「ふーん、そうですか。じゃあもう聞きません」


 彼女はぷいっと顔を背けた。

 しまった。怒らせちゃったかな。

 これからも仲良くしたいのだけれど。



 ◇



 帰宅早々に出迎えてくれたのは鍋を脇に抱えたレナであった。

 その表情は険しくずいぶんとご立腹の様子。


「遅い! いつまで待たせるぞ! その目で見よ、カレーはすでに尽きた! はよう儂に次のカレーを作れ! カレーが食いたいぞ!」

「はいはい。夕食を作るから手を洗ってきなさい」

「うぬ!」


 恐るべきカレー。

 一瞬でレナの機嫌を直してしまった。


 あの鍋を食べきったのかぁ。四日は持つと踏んでいたんだけどな。

 この調子だと材料がすぐに底を突きそうだ。

 もう少し畑を拡大した方が良いかな。弁当に使う食材も必要だし。


 手を濡らしたままスウェット姿で戻ってきたレナは、俺からタオルを受け取りニコニコ笑顔でアウトドアチェアーに腰を下ろす。


「ぼーっとしてないで皮を剥いて」

「なぬ!? 儂に手伝わせるつもりか!?」

「一人であれだけの量を作るのは大変なんだ。少しくらい手を貸しても罰は当たらないと思うけどな。それとも竜族は食って寝るだけの怠惰な生き物なのかい」

「無礼者め! 竜族を何もできん知恵なき魔物と同列に扱うな! よかろうならば教えてやる。儂の皮むきとくと目に焼き付けるがいい」


 だんだん扱い方が分かってきた。

 実際手は足りないから手伝ってくれるのは非常にありがたい。

 どのみちウチには働かない子を養う余裕はないのだ。


 タマネギをむき始めたレナは先ほどとは打って変わり黙々と作業をこなしていた。

 その横で俺はもらったタマネギをひたすらに切る。


「なぁハルト」

「ん?」

「にゃんでにゃみだがでるぞ??」


 だばーっと涙を流すレナは理由が分からず困惑しているようであった。

 恐らく風向きだろう。俺が切ったタマネギの成分が風下にいるレナへ直撃していたのだ。

 この前のカレー作りでタマネギには苦労させられたからゴーグルを購入していたんだっけ。どこだったかな。あったこれだ。

 レナにゴーグルを装着させタマネギの皮むきを継続させる。


「おおおおっ、涙が出なくなったぞ。人の世には便利な代物があるのだな」

「飛んでくる飛沫を防ぐだけだけどね」


 煮込みの段階に入りようやく一段落する。

 そこで俺は買ってきた物をレナへ手渡した。


「なんぞこれは? 服か?」

「いつまでも俺のスウェットじゃ困るからね。ただ、女性用の服なんて購入したことがないからジャージにしちゃったんだけど大丈夫かな」


 着替えたレナは自身の着るジャージを不思議そうにしていた。

 もちろんだがジャージの下もちゃんと着ている。合わせて購入したTシャツとハーフパンツ。さらにその下には女子店員から目をそらしながら手に入れたスポーツブラとパンツである。


 うん。あれだな。金髪も相まってヤンキーにしか見えない。

 ある意味でよく似合っている。


「気に入ったぞ。動きやすく軽い。しかし、このブラとやらは邪魔ぞ。胸が窮屈で苦しいではないか。人のメスは難儀なものを付けて生きているのだな」

「申し訳ないけど一緒に生活するならそれは必須だ。俺には色々と目に毒だからね」

「なんぞ。儂に発情しておるのか。頭を垂れてお願いするならまぐわってやらんでもないぞ。お前は良いオスだからな」

「あー、うん。聞かなかったことにする」

「どういうことぞ!?」


 怒るレナを無視してできあがったカレーを盛り付ける。

 本日もごろごろ野菜たっぷりの豚肉カレーだ。


 席に着いた彼女の前にカレーライスを置いてやるとスプーンで無心に食べ始める。俺も一口食べて今日の出来に納得した。


「そういえば今日、不思議なことがあったんだ。もしかしてレナが原因?」

「儂は何もしておらんぞ。だが原因には心当たりがある」

「教えてほしい。周囲の動きが遅くなったんだ。あれはなんだったんだ」


 もぐもぐと頬を膨らませていたレナはごくりと飲み込み口を開く。


「魔力ぞ」

「魔力……?」

「しばし待て。儂は今カレーライスに忙しい」

「そこまで言って待たせるのか」


 彼女はそこから山盛りカレーを三杯喰らった。


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