4話 カレーライスに吸い寄せられた邪竜王
鍬を振り下ろし地面を掘り返す。
目的の位置まで耕し終えたら首にかけたタオルで汗を拭った。
あれから毎日野菜を収穫し食事と弁当を作っている。睡眠時間も必ず六時間以上はとるようにしていた。そのおかげで仕事の効率も上がりここ数日は定時であがれるようになっていた。
劇的に何かが変わったわけではない。
だが、ゆっくりと大きく変化はしている。
変わったことと言えば畑を拡大したことか。
量ではなく種類を増やす計画で新しい畝を作り新しい作物を植えた。
実のところ野菜炒めに飽きていて、そろそろもっと手の込んだ料理が食べたくなっていたからだ。
たとえばカレーとか。
俺は昔からカレーだけは作るのが上手かった。
家族にだって大好評だ。ただ、上京してから作る頻度はめっきり減った。
新しく植えたのはタマネギとジャガイモ。
ニンジンはすでにあるので問題なし。豚肉は畑では採れない為、いつものスーパーで購入済みである。
ちなみに畑を耕しているのはトモモの実の量産に備えてだ。
西島さんとのお弁当会は毎日続いていて、彼女とはおかずをもらう代わりにトモモの実を渡す暗黙の契約を結んでいる。結ばされたが正しいかな。これまでは畑の周りに生えた野生のそれでつないできたけどそろそろ限りが見え始めていた。
当初から増やす方向であった為、時期が早まっただけではある。
「日が落ちてきた。夕食の準備をしないと」
鍬を小屋に片付け食事の準備に取りかかる。
テーブルには収穫したばかりのジャガイモとタマネギ、それから市販のカレールゥとサラダ油、豚肉が置いてある。
「ニンジンは向こうか。豚肉は、数秒なら腐らないかな」
現実世界側に戻り、通路に置いてあるアイスボックスからニンジンを取り出した。
冷蔵庫がないのはいささか不便ではあるものの、暗所保存でぎりぎり乗り切れている。こちらに保管しておけば傷む時間も小さくて済むから助かっている。
しかしながら毎日収獲してると消費と増加が釣り合わなくなるのは早い段階で予想されたことだ。そこで俺は頻繁に見かける兎に餌としてやることに決めていた。調べてみたところ『ハリウサギ』と呼ばれている魔物だと判明した。性格は臆病。草食ではあるものの警戒や威嚇時に全身の毛を鋭い棘に変化させ攻撃するとネットに書かれていた。
事前の魔物はいない予想は外れたわけだ。
ただ、何もしなければ大人しい生き物なので問題ないと考えている。
ニンジンをもらえると思ったのか、ハリウサギ達がわらわら集まってくる。
可愛くても魔物だ。離れた位置からニンジンを投げてぴょんぴょん跳ねる様子を堪能する。
うーん、癒やされるな。
できるならなでてみたいけどそれは難しいかな。
テーブルに戻ったところで手早く調理に移る。
甘い香りのするタマネギを縦に切ると断面からじわりと水分があふれ出た。野球ボールほどのサイズのジャガイモをピーラーで皮むきしてからさくさくと包丁で切る。それら野菜を炒め、先に炒めておいた肉と合わせ水を注ぐ。
「むいむい」
鳴き声のした方へ視線を向ければ、数羽のハリウサギが固まってじっとこちらの様子を窺っていた。その内の一羽がぴょんぴょんと近づいてきてさらに様子を窺う。
ハリウサギは臆病な魔物だ。
怖がらせないよう無視しよう。
そんなことを考えている内に、さらに近づいてきて遂に足下までやってきた。
好奇心の強い子なのかな。他とは違ってずいぶんぐいぐい来る。
俺のサンダルを履いた素足をクンクン嗅ぐので少々恥ずかしくなった。
鍋にカレールゥを投入してコトコト煮込む。三日分を計画しているので使用している鍋のサイズは大きめだ。その分火力も必要なのでシングルバーナーではなくカセットコンロを使用している。
ほどなくして食欲を刺激する香りが辺りに漂い始めた。
好奇心の強い一羽は未だに俺の足下で逃げることなくじっと座っている。
真っ白な毛をしていてみるからにふわふわで柔らかそうであった。しかし、まだ触れる段階ではない。俺がどのような性格の生き物なのか探っているのだ。
飯ごうでご飯を炊くと皿にご飯とカレーを盛り付ける。
もちろん定番の真っ赤な福神漬けも添えてだ。
カレーの完成!!
すっかり日は傾き黄金色の光が差していた。
わくわくしながら皿を持とうとした瞬間、ごうっと強い風が吹く。
な、なんだっ!?
木々を激しく揺らす強烈な風が止んだ直後に、真上に巨大な影があることに気がついた。
ずしん、重い巨体が上空より舞い降り地面を揺らす。
揺れに立っていられなくて尻餅をついた俺は見上げたそれに心底恐怖した。
西日に照らされ浮かび上がる獰猛な捕食者の貌。巨大な翼と鱗が並んだ分厚い体躯は圧倒的なまでの質量を誇っていた。頭部にはねじ曲がった二本の角があり、僅かに覗く牙は太く大きく鋼鉄をも容易に貫きそうである。
それは『黒色に限りなく近い紫色』の”竜”であった。
瑠璃色の瞳が俺を捉えていた。
く、食われる。頭からばっくりいかれるんだ。
せめて、せめてカレーを食べてから死にたかった――。
ドラゴンは俺ではなくなぜか鍋の方へ顔を近づけた。
すんすんっ、ふぅうううううっ。
カレーの香りを堪能するかのように嗅いだのち、ドラゴンは顔を真上に上げて咆哮する。
「なんぞこの刺激的な香りはぁああああああ!!」
は、喋った? 魔物って喋るのか??
そんなはずは。魔物については予備知識として少しばかり調べたけどそんな情報はなかった。
ドラゴンは再び俺を視界に捉える。
「おい、人の子よ。それを儂に食わせろ」
「は、はい、今すぐに!」
ここは大人しく従うんだ。
逆らえば食われる。頭からばっくりに違いない。
できるだけ手早く、しかし刺激せず、平静を保ちつつ大皿へご飯とカレーを盛り付けた。
「ど、どうぞ。貴方様には物足りないかもしれませんが」
「うむ、待っておったぞ。では人の食事に適した姿をとろうぞ」
「へ……?」
ドラゴンの肉体が光に包まれたかと思えば、みるみる縮まり人の形となった。
光が粒となって弾ければその下から絶世の美女が出現する。
風に揺られて舞い上がる金糸のごとく繊細かつ艶やかな黄金の長髪。形の良い眉は眉尻が上がり自信に満ちあふれている。瞼を上げたその瞳は、宝石のように透明感のある瑠璃色であった。
口角を鋭利に上げ、犬歯を剥き出しにして笑みを浮かべる彼女は、腰に手を当てどうだと言わんばかりに胸を張る。
――全裸で。
「ちょ、なんで裸なんですか! 何か着てください!」
「服はない! 裸の一つや二つ見たくらいで狼狽えるな」
「狼狽えますって! 貴女は良くても俺が捕まってしまいます! 俺の服を貸しますからそれを着て食事してください」
「まぁよい。ここは人のルールに従ってやろうぞ。一刻も早くその激烈美味そうな飯を食いたいからな」
俺からスウェットを借りた彼女は渋々腕と脚を通した。
長い後ろ髪を両手で払うように流し準備は完了したようだった。
カレーの載った大皿を掴むなり彼女はぴたりと動きを止め小首をかしげる。
「おい、これはどのようにして食すものぞ」
「スプーンを使ってください」
「食事の道具か。なるほどこれで掬って食えと」
スプーンを手渡すと彼女は、大きめに切ったニンジンを掬い上げパクリと口に頬張った。
その瞬間、俺は彼女の背後で稲妻が走るのを見た気がした。
もぐもぐと咀嚼しごくりと飲み込んだ彼女は「はぁぁあああああああっ」と至福の声を漏らす。
「なんぞこれは。永らく生きているがこのような美食は生まれて初めてだ。お世辞にも食欲をそそる様相などしておらぬというのに、匂いを嗅ぐだけで奥底からマグマのような食欲が湧き上がり、一度でも食せばその複雑かつ独特濃厚な味わいに度肝を抜かれる。うぬぅ、このような至高の美食をお上品に食すなど儂には無理ぞ」
彼女はがっと大皿を掴み無心になってカレーライスを食べ始めた。
確かにその通りだ。カレーライスは家庭料理。子供のようにがつがつお腹いっぱいになるまで食べてこその料理だ。
そういえば俺もまだ食べてなかったんだった。
今のうちにカレーライスをいただくとしよう。
「ごちそうさまでした」
「満足した。いやぁ、実に美味い料理であったぞ」
ドラゴンであった女性は腹をさすり満足そうだ。
残ったのは汚れた食器と空っぽになった鍋。
数日分のカレーがものの十数分で綺麗に消えてしまった。恐るべき胃袋。いや、元はでっかいドラゴンだったから当然と言えば当然なのかもしれない。突然だったからスルーしていたけどどうやってあの巨体をここまで小さくできたんだろう。物理法則はどうなっているんだ。
「なんぞ聞きたげな顔だな」
「人の姿をしているけど本当にさっきのドラゴンなんだよね?」
「無論。竜族のみに伝わる人化の秘法のおかげであるぞ。しかし、人の姿となるのは千年ぶり成功するかいささか不安はあった。ふぅ、このカレーライスは食べると汗が止まらんな。なんぞ拭うものはないか」
「タオルを貸すよ。遠慮なく使って」
「なかなか気が利くオスではないか。すまぬな」
タオルを受け取った彼女は滴る汗を拭う。
竜族か。迷宮には稀にドラゴンがいると耳にしたことはあったけど、まさか人語を解し人の姿になれるなんて。俺の持つ一般的な迷宮の知識にはなかった。彼女は何者なんだ。
「自己紹介がまだであったな。儂は邪竜王のレナヴェールぞ」
「俺は藤宮遙人。よろしく」
「うぬ。喉が乾いた水をくれ」
「少し待ってて」
ペットボトルからグラスに水を注ぐ。
その間、俺はだらだら冷や汗を流していた。
邪竜王ってなに!? 邪悪な竜の王ってこと!??
ヤバい相手と知り合ってしまったのでは!?
さっきからフランクに喋ってるけど機嫌を損ねた結果食われるとかない!?
振り返るとレナヴェールはアウトドアチェアーからいなくなり、俺の作った畑をまじまじと眺めていた。
「はい水」
「感謝するぞ。ごくごく、ぷっはぁ。カレーライスを食った後の水はたまらんな。まさしくこの世の極楽ぞ。人族だけでこのような享楽を独占しているとは許せんな」
「おおげさだよ。カレーくらいいくらでも作れるからね」
「なぬ? あれは人知を超えし食材で作られた料理ではなかったのか? また作れると申すか??」
「毎日はさすがに飽きるからたまになら。食材のほとんどはここで採れた野菜だから作るだけならそこまで手間じゃないんだ。それに本当に美味しいカレーは二日目からだしね」
グラスを落としたレナヴェールは青ざめ、この世の終わりのような顔をしていた。
その意味が理解できず俺は「ど、どうかした?」と、どうにか機嫌を損ねないよう細心の注意を払って声をかけた。
「ぜんぶたべちゃった……」
泣きそうな顔でそんなことを言うものだからつい吹き出してしまった。
邪悪かどうかははっきりしなくてわかることはある。この美人ドラゴンは食い意地が張っているということだ。
「なにがおかしい! さては内心で真のカレーを食べずカレーを語る儂を馬鹿にしていたのだな! 二日目のカレー、先に知っていたなら我慢したのに」
「悪かった。こんなにもカレーに心を奪われた人を初めて見たからつい」
子供でもここまで落ち込まないよ。
だけど笑ってしまったのはこちらが悪い。まぁいつになるのかは定かじゃないけど彼女ががやってきた時にでも作ってあげよう。
「決めたぞ。儂はここで暮らす」
「暮らすって、は?」
「お前とここで暮らすのだ。毎日会えるのなら毎日カレーライスを食べられる。今日の儂は冴えておるぞ。賢者のごとき天才的発想。なんたる名案ぞ」
なんですって?
一緒に暮らす??
「はぁぁあああああああああっ!?」
「よろしく頼むぞハルト」
「待った待った、本当にここに住むつもり!?」
「そうだと言っているぞ」
魔物と共同生活なんて聞いたことがない。
第一彼女はドラゴンだ。いつ間違えて殺されるか分からない。
でもこんな美女と生活ができるなんてもうこの先ないかも。いや、でも彼女はドラゴンで。だめだ頭がこんがらがってきた。
「もちろんタダでとは申さんぞ。引き換えに契約を結んでやろう」
「契約……?」
「いついかなる時でも藤宮遙人を護ろう。儂はお前の盾となり剣となる」
「ボディガードみたいなものかな?」
「ぼでぃ、なんぞそれは。だが約束は守る」
俺は腕を組んで考える。
ドラゴンが居るなら他の魔物だっている可能性は大いにある。この先襲われない保証はどこにもないのだ。楽観的に始めたスローライフだけど、もし彼女が守ってくれるならこれまでよりも安心して生活ができるだろう。代価だってせいぜい食事くらいだ。悪い取り引きじゃない。
「そこまで言うのなら認めるよ。ただし毎日カレーライスは勘弁してくれないかな」
「しかたがない。譲歩してやろうぞ」
「よろしくレナヴェール」
「うぬ、よろしくぞハルト」
満足そうにレナヴェールは笑った。