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2話 会社員は迷宮に暮らす

 

 ――戻った外は夕暮れの東京であった。


 夕暮れ……夜……夕暮れ……夜??


 時間がずれてる??

 そんなまさか。


 鞄をまさぐり仕事用スマホを掴んだ。

 日付と時刻を確認すると前日の十九時十八分であった。


 二時間も経っていないだって? 


 そんなことってあり得るのか。いや、でもなにかの特集記事で読んだ気がする。迷宮の中には時間の流れが違うものがあるって。門外漢だからおかしく感じているが、日常的に迷宮を出入りしている人間には普通なのかもしれない。


 とある考えが頭を過る。


「もし、もし流れが一定で魔物がいない迷宮だとしたら。いやいやいや、世間で騒がれてる危険な場所だぞ。たまたま襲われなかっただけかもしれない」


 だけどもしそうだとしたら? たまたまじゃなく本当にいないのだとしたら。

 暮らすには最高の場所じゃないか?


 とんでもない行動だってことは自覚している。だけど日々仕事に追われる俺にはこれがどうしても天から垂らされた蜘蛛の糸のように思えてしかたなかった。そして、そう思わせるだけの可能性がこの迷宮にはあった。


 仕事用スマホをポケットに入れ、俺は無意識にプライベートスマホを操作していた。

『迷宮化 政府 報告』と検索ワードを打ち込んでみると画面にずらりと検索結果が並ぶ。


「ダンジョン化した際の対応は、えーっと、自己申告なのか。現時点で魔物流出の危険性はないとの報告。調査結果によっては建物と土地の買い取りを行う場合も――」


 意識はこのままこの部屋で暮らす方向へとシフトしつつあった。


 実を言うと昔から俺にはスローライフの願望があった。

 いつの日か田舎で畑を耕しながらのんびり暮らしたい。その為にこつこつお金を貯めながら働き続けているのである。


 叶うかどうかも分からない夢。

 その夢がもしかしたら現役社会人のまま叶うかもしれないのだ。

 救いかもしれない糸は同時に夢を叶える糸でもあった。


 もちろん依然としてリスクは存在する。迷宮には非常に謎が多い場所だ。未だに新たな報告があがっているくらいだ。


 だからこそこう考える。俺が生活することで後々人々に役立つデータが得られるかもしれない。さすがに迷宮で生活をしている人間はまだいないだろう。その最初の人として俺が立候補しようではないか。


 え? ただの言い訳だって? 言い訳ですけどなにか。


 憧れのスローライフが目の前にぶら下がっているんだ。おまけにというかむしろこっちがメインと言ってもいい。九時間がたった一時間強でしかないなんてとんでもないチートだ。チート自室。チート自宅。チー宅。何かと時間に追われる社会人にとってこれほど喉から手が出るほど欲しいものはない。


 しかし、一つ問題がある。田中さんだ。


 オーナーである彼女にだけは迷宮化を伝えておく必要がある。

 賃借人だからというのもあるが、一番は彼女に嘘をつきたくないからだ。


「どうあれ報告はすべきだ。田中さんを裏切る事はできない」


 実のところまたたび荘での日々は俺を救ってくれていたりする。

 田中さんとのちょっとした会話は孤独を和らげてくれていた。もし説明した上で駄目だと言うのなら大人しく従うつもりだ。俺はあの人をもう一人の祖母のように想っているのだから。


「田中さん!」

「あん?」


 タイミング良く田中さんが敷地から出ていこうとしていた。

 俺は慌てて二階から彼女を呼び止めた。


「部屋に関して少々お話があるのですがお時間ありますか?」

「これからスーパーに行くつもりだったんだけどね。まぁいいよ」

「すぐ下に行きます」


 階段を駆け下りた俺は、田中さんに駆け寄ってこれまで起きた出来事を事細かに説明し、このままあの部屋で暮らしたい旨を伝えた。


「我が儘なのは承知しています。このままあの部屋に住まわせていただけないでしょうか」

「迷宮化ねぇ。危険はないのかい?」

「ない、とは言い切れませんね。それを確かめる意味もありますし」

「なるほどね。で、迷宮に住んであんたは何をしたいんだい」

「畑を作りたいなと」

「畑? 畑ってあの畑かい?」

「はい! あの畑です!」


 やや興奮気味で返事をしてしまった。

 なんせあれだけ広くて自然豊かな土地だ。畑はもちろん散々思い描いたあれこれができそうだった。

 田中さんは呆れた様子でため息を吐く。


「話は概ね理解したよ。あんたの好きにすりゃあいい。あの部屋で畑でもなんでも耕せばいいさ。ただし、この話は聞かなかったことにする」

「それはつまり」

「あたしは何も知らない。何も聞かなかった。だからこれまで通り部屋を貸して家賃を頂く。全て自己責任だ。何が起きてもあたしは知らなかったで通すからね」


 なんて懐が深い人だ。俺の我が儘をこうもあっさりと許してくれるなんて。

 ますます頭が上がらない。


「ありがとうございますっ」

「そんじゃあたしはもう行くよ。まったくもう少し賢い子だと思っていたんだけどね。わざわざ命張って危険な場所に行く必要も無いだろうに。働き過ぎて馬鹿になっちまったのかね」


 小さな背中へ俺は深く頭を下げた。



 ◇



 アパートに帰還したところで時刻は二十二時を回っていた。

 とっぷり日は暮れ辺りはすっかり夜の闇に包まれている。


 玄関前に抱えていた重い荷物を下ろす。


 ホームセンターで購入した品は以下である。

 テント、寝袋、LEDランプ、シングルバーナー、二リットルの水、カップ麺、小型ヤカン。


 腕時計を腕から外しドアの前にある手すりに巻いた。

 これから向こうに行って時間の流れが一定なのかを検証する。


「滞在時間は六時間。腕時計の経過時間であちらとこちらの時間差もはっきりする。なんだか緊張してきた。怖いっていうより興奮? こんなにワクワクしているのはいつぶりかな」


 危険があると分かっていてもゲームみたいでドキドキする。

 迷宮なんて俺とは一生無関係だと思っていた。大迷宮時代とか沸き立っていてもそれは全体で見ればほんの一部で、普通の生活を続ける会社員には関わりの無い話だったからだ。


 俺も脱サラして冒険者になろうかな。

 意外と儲かるって話らしいし。


「って俺には無理無理。戦闘なんてガラじゃないって」


 ドアノブを握りドアを開く。

 たった一枚のドアを隔てた向こうには豊かな大自然が広がっていた。

 こっちは早朝らしく陽が徐々に昇っている。


 何度体験しても違和感がすごいな。

 アパートの一室が森と繋がっているなんて。

 荷物を向こう側へ移動させると最後に俺もドア枠をくぐる。


「魔物の姿は無し、っと」


 ドアを閉める。念のために施錠はしない。


 買ってきたばかりのテントを広げ組み立てる。ホームセンターで一番安かっただけあってサイズは小さくなんとも頼りない。LEDランプも電池を入れて点灯するか一度チェックする。

 寝袋、水、食料はテントの中に入れ準備は完了。

 テントは万が一を考えてドアのすぐ近くに設置した。


「明るい内に周辺を調べるとしよう。消えた私物の行方も気になる。迷宮化したならここは俺の部屋ってことでいいんだよな? これって本当に迷宮なのか? よく耳にする謎の構造物も見当たらないけど……空もあってまるで外みたいだ」


 見上げる空は本物そっくり。

 以前に有名冒険者のインタビュー記事を読んだ。その人物が言うには迷宮は閉じられた空間であり小さな箱庭世界だそうだ。果てには現在の人類の技術ではどうやっても壊せない壁があって、そんな破壊不能オブジェクトが迷宮の四方を囲んでいるらしい。

 外のように思えてもここは閉鎖された空間なのだ。


「……畑の跡?」


 適当に散策していると畑跡らしき箇所を発見した。

 草に覆われているが地面には確かに人の手が加えられたであろう(うね)がある。

 よくよく注視してみれば、雑草とは思えない黄色い実を付けた作物らしき植物が茂みの間から頭を出しているではないか。


 ここに誰か住んでいた?

 それともこれすらも迷宮の生成物?


 畑があるなら話は早い。元の状態に戻し是非とも野菜を育ててみたい。

 採れた野菜で弁当を作れば食費を浮かせられてなおかつ健康にも良い。これを機会に野菜を中心とした食生活に移すのもありだ。田中さんも顔色の悪さを心配してくれてるし。


「これって食べられるのかな? 見た目はミニトマトっぽいけど……匂いはほんのり甘い。毒があるかテストしてみよう」


 実を軽く潰して汁を手首に塗ってみる。

 痒み、発疹、麻痺が出れば毒があるって証拠だ。簡易的な判別方法だけど。

 変化は無し。次は唇に塗ってみる。変化なし。

 最後に口に入れて舐めてみた。


「味はどちらかと言えばミニトマトよりも桃に近いかな。食感はねっとりしていてチョコレートみたいだ。うん美味しい。もう一個」


 見た目こそミニトマトだけど桃のように皮は柔らかく風味も味も桃に非常に似ていた。

 中心には小さな種が一つだけあって食べた後は適当に吐き出した。


「デザートとして弁当に入れてみようかな。しかし、これだけ草が生えてると抜くのは苦労しそうだ。土もこのままじゃ使えないから、鍬に肥料に水をまくじょうろも用意しないと」


 さらに何か無いか周囲をくまなく探す。

 よくよく注意を向ければ畑跡の近くに小屋らしき建物があるではないか。

 小屋の扉は(かんぬき)で閉じられており、扉の前に移動した俺は中を確認すべく横木を外した。


「家ってよりも倉庫だ。乾燥した葉っぱに正体不明の液体が入った瓶。それから木製の桶――てことは近くに水源がある?」


 ここまで便利になんでも用意してくれている迷宮だ。井戸の一つくらいあっても不思議じゃない。いやぁ迷宮ってすごいな。欲しかった物がなんでも手に入る。できるなら快適な一軒家を用意しておいてもらいたかったけどそこまで言ったら我が儘かな。


 小屋の奥に進もうとしたところで、とある物に目がとまり足を止めた。


「おおおっ、(くわ)だ。こっちにはスコップも。畑があるなら農具もあるよな普通。鉈と斧もあるなんて迷宮は親切だな。自己申告制にしてあるのもひょっとして独占しておきたい人達がいるからなのかな。ありえる、うんうん」


 壁に立てかけられた鍬やスコップ。その隣には鉈と斧が置かれていた。

 どれも作りやデザインは古めかしくずいぶんと使い込まれているようであった。

 せっかく用意してくれているのだから快く使わせてもらうとしよう。小屋の探索はまた後日にし、俺はさっそく鍬を掴んで畑の整備に動き出した。




「ふぅ、草抜きはこのくらいでいいかな」


 折り曲げていた腰を伸ばし額の汗を腕で拭う。

 畑の草抜きをすると決めてからかれこれ数時間。単純作業は得意なので夢中になってぶちぶち引き抜き続けていた。甲斐あって雑草に覆われていた畑はむき出しとなった茶色い状態を取り戻していた。


 スマホを取り出し時間を確認する。

 こちら側に来てからちょうど六時間が経過したところだった。


 ドアを開き外に出た俺は、手すりに巻いた腕時計の針を確認する。


「ぴったり一時間。規則性はあるみたいだ。こちら側の一時間は向こうでは六時間になるから、そこから仕事と通勤の時間を引いて……自宅にいられるのはだいたい十二時間だからそこに六をかけて――一日八十四時間!?」


 これはあくまで定時退勤できた場合の計算だ。

 だとしても恐らく余るほどの休息時間は得られる。

 さらにもっと言えば、一日向こう側にいたら百四十四時間確保できる計算になる。やばい。正確な数字が出たせいで迷宮がとんでもなく魅力的に思えてきた。本当に働きながらスローライフが送れるレベルじゃないか。


 ところで……俺の私物はどこに?


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