16話 会社員の人助け
ぶちぶちと本日も、畑の作物を収穫する。
本当に成長速度が速くて助かる。食費も節約できてしっかり食べられる。
強いて不満をあげるなら、バリエーションが少ないところかな。
畑の面積を拡大もしくは種類を変えながら育てるのもありだけど、その結果消費できなくなるのは大問題だ。早く育つ分、作物の種類と数は慎重にならざるを得ない。
ウチにはカレードラゴンが住み着いているので、ニンジン、タマネギ、ジャガイモは固定として、トモモの実もデザートとして意外に消費は多いのでこれも固定。モヤシは別に育てているので考慮する必要はなし。残るはキュウリ、トマト、ナス等である。
消費量を鑑みてキュウリ、トマト、ナスは数を減らしても問題ないと思われる。
俺の調理技量じゃ使ってもサラダくらいだし。ナスは俺が好きなので減らしても残しておきたい。焼きナスとか晩酌に合うんだよなぁ。まぁ最悪カレーにも入れられるから消費はどうにかできるけど。
で、空いた枠に何を植えるのか。
一時間ほど熟考した俺は二つの作物を育てることにした。
「これでよしっと。レナ水をかけて」
「うぬ、たんと育つのだぞ。お前達は美味いカレーになるのだ」
「ピーマンとほうれん草なんだけどね……」
じょうろを持つレナが、植えたばかりの苗に水を掛けてくれる。
苗は水を弾きその下の土がみるみる湿り気を帯びていた。
うっきうきのレナには申し訳ないけどカレー用の食材じゃないんだよね。どちらかと言えばお弁当用。もちろん余ればカレーにも入れるけど。
「しかし、あの女なんとも顔に似合わず押しが強かったな」
「それはまぁしかたないんじゃないかな。打ち明けると決めた時点でこうなるのは予想できてたから」
俺とレナはピンク色の真新しいテントを揃って眺める。
新しいテントは俺が使用しているテントの隣に置かれていて、現在は誰も使用しておらず入り口はぴっちり閉められていた。
新しいテントの所有者は西島さんである。
彼女は「ずるいです先輩。こんなのチートですよ」などとぷんぷんと怒っていた。それから「時々でいいのでここを使わせてもらえませんか?」と許可を求め、OKを出すと爆速にてテントを購入し運び込みから設置まで全てしてしまった。
チートって。西島さんにしてみれば時間の流れが違う迷宮なんて珍しくもなんともないと思うけど。あれかな、本格的に暮らせる環境を整えてあるからかな? 利用しやすいからとか。
「いっけね。もうこんな時間だ」
「また会社とやらか。ハルトは本当にせわしないぞ。ゆっくりできぬのか」
「カレーに肉を入れなくてかまわないのならいいけど」
「行くのだ。絶対に遅刻するな」
手早くスーツを身に纏い鞄を掴む。
弁当は作った。作り置きのカレーもある。
それから、ハンカチだ。
ハンカチを折りたたみポケットに入れる。
「名刺とやらを忘れておるぞ」
「あっぶない。ありがとう」
名刺入れをハンカチの入ったポケットに突っ込む。
ドアを抜けて現実世界側に出ると、通路に置いてある置き時計の時刻を確認。いつもより少しだけ遅れている。走らないと間に合わないかも。
よーし、身体強化。ここから駅までダッシュだ。
身体強化を発動した俺は、階段を使わずその場で手すりを飛び越え地上へと着地。膝を軽く折り曲げ衝撃を逃がし、ダッシュしてまたたび荘を出た。
「なんとか間に合った。スローライフは楽しいけど時間感覚の緩さが弊害かな」
腕時計を確認しつつ駅を出る。
迷宮世界側だとのんびりすぎてて体感時間も緩く感じる。こちらに戻ってくる度にその感覚も戻さなくてはいけないから大変だ。でも、スローライフを続けるつもりなら我慢するしかないんだろうな。
おっと点滅してる。
横断歩道の前で停止する。もうまもなく信号は赤になろうとしていた。しかし、横断歩道の半ばでは未だおばあさんが杖を突いて歩いているではないか。
信号が赤になると同時にトラックが動き出す。
まだおばあさんが――。
走り出したトラックの運転手は、手元のスマホに視線を落としており、横断中のおばあさんがいることに気が付いていない様子であった。
「やるしか、ないよな」
まだ間に合う。身体強化なら。
鞄を脇に抱え俺は魔力を解き放つ。
「ひぃ!?」
「うぉ、なんで婆さんが!?」
迫るトラックを前におばあさんは動けなくなっていた。
トラックの運転手もブレーキが間に合わず車内で叫んでいた。
「大丈夫。俺が助けます」
俺の出せる最大の速さでおばあさんを抱き上げ、道路の向こう側へ走り抜けた。
「お怪我はありませんか?」
「ありがとうありがとう。あと少しで轢かれるところでした。貴方は命の恩人です」
ふぅ、結構ギリギリだった。
冷や汗が出たよ。
ハンカチを取り出し汗を拭う。
トラックはその場で停車したが、何事もなかったかのように再び走り出した。
「ぜひお礼をさせてください。お名前を教えていただけるかしら」
「たいしたことはしておりませんので。すみません。会社に遅れてしまいますのでこれにて失礼いたします」
「あ、あのどちらの会社に――!」
おばあさんを振り切り、その場から離脱。
身体強化した脚で会社へと向かった。
◇
デスクに到着したところで鞄を開く。
ことん、と湯気の立つカップが置かれた。
「おはようございます。遙人先輩」
にっこり微笑みを浮かべるのは西島さんだ。
淹れ立ての良い香りだ。心が落ち着く。
だけどなんで西島さんが俺に?
彼女が淹れるのは別段不思議なことじゃないけど朝からは今までなかった。
ニコニコしているしすごくご機嫌な感じだ。
「先輩のところにお世話になれば、丸三日も自由な時間が確保できるんですね。先輩と一緒だし仕事終わりが楽しみだなぁ」
「定時にあがれればの話だからね。まぁそれでも時間は余るけど。家に来るのはかまわないけど必要な物は自分で用意してね。調理器具くらいなら貸してあげられるけど」
「安心してください。すでに準備は始めています」
西島さんはにっこり微笑む。
準備……なんの?
なんだろうそこはかとなく嫌な予感がする。
爆速でテントを持ち込んだ彼女だ。恐らく今回もすさまじい速さで何かをしたのだろう。レナの言うとおり意外に押しが強い。
「あれ、係長は休み?」
コーヒーを片手に係長のデスクを眺める。
珍しく係長の姿はどこにもなかった。
いつもならこの時間にはいるはずなんだけど。もしかして遅刻とか。有休もありえるかな。どちらにしろ珍しい。
「今日はお休みらしいですよ。浜松さんが話しているのを耳にしたので」
「へー、珍しいね」
さて、そろそろ仕事モードに入らないと。
立ち上がってジャケットを脱ぐ。ポケットに手を入れて社員証を取り出し、もう片方のポケットに――。
「……ない? 名刺がない!?」
「落としたんですか?」
「そうだ、あの時だ」
ハンカチを取り出したあの時に名刺入れを落としたんだ。
何やってんだよ俺。何年社会人しているんだ。
いや、希望はまだある。親切な方が拾って交番に届けてくれるかもしれない。あるいは直接電話を。名刺には電話番号を記載してある。ないとは言い切れない。
「おはようさん」
「「おはようございます」」
いつもより遅れて斉藤さんが出勤する。
俺と西島さんは揃って手を振った。
すると斉藤さんがなぜか俺にウィンクした。
斉藤さん、気持ち悪いです。
「あ、そうだ。先輩にご報告したいことがあったんです」
「業務に取りかかるところだったんだけど」
「まぁまぁ、もう少しだけ」
彼女は自分のデスクに戻り、ファイルを掴んで急いで戻ってきた。
持ってきたファイルには『♡遙人先輩の作物ファイル♡』とタイトルが付けられているではないか。凝ってるなぁ。
「前回伺った帰りにお野菜をいただきましたよね?」
「お土産に各一種類ずつ」
「私の知り合いにこういうのを調べるのが得意な人が居るんです。先輩は野菜を食べて元気になったと仰っていましたよね? 私も気になってその人にお野菜を視て貰ったんです」
「その結果がここに?」
「はい」
ファイルを開いてみると、彼女にあげた野菜が写真となって張られていた。
その横に野菜の効果が記載されていた。
【ニンジン】
この野菜は体力を全回復させる効果があると思われる。つまり一本食べれば疲労はなくなり快眠後のような溢れんばかりの体力を一瞬で取り戻すことができるというわけだ。さらに素晴らしいのは極めて微量だが人体へ魔力を与えてくれる点だろう。魔物を倒さずともこれさえ食べていればいつかは魔法を使えるほどの魔力を獲得できるはずだ。フルケアキャロットを名付けるとしよう。
たぶん調べた人が書いてくれた説明文だろう。
分かりやすいのだが、癖が強い。
それはそうとニンジンには体力回復の効果があったのか。
ニンジンを作り始めてから、急激に体調が良くなった気もするから恐らく間違っていない。
【キュウリ】
こいつは精神力を半分ほど回復させる効果があると思われる。すなわち癒やしだ。ガラスのハートの君でもこれさえ接種しておけばストレスフルの現代社会を悠々と泳いでいけるぞ。さらに面白いことに安眠効果も僅かながらあるようだ。囓って眠れば翌日はすっきりサンシャイン!
すっきりサンシャイン……?
俺の目をとめた箇所に西島さんは苦笑する。
「良い人なんですけど変わっていまして」
「面白い人と親交があるんだね」
「ええまぁ」
その他の野菜の効果をざっとまとめるとこうだ。
ナス:美肌・若返り(与える効果は微小)
トマト:状態異常回復(一本で半分ほど回復)
ジャガイモ:筋力アップ(一時的に筋力を小アップする)
モヤシ:敏捷アップ(一時的に敏捷を小アップする)
タマネギ:魔力回復(一個で魔力を全回復)
トモモの実:魔力増加(永続的に魔力を微小増加する)
調べた人によると能力アップ系は一時的な上昇に過ぎないそうだ。持続効果時間は数時間ほど。ただしどの野菜も食べれば食べるほど効果は増加するらしいので、ジャガイモを三個食べてさらに筋力アップも可能らしい。
もっとも驚きべきはやはりトモモの実。魔力を得られたのは実のおかげだろう。毎日食べているのだから増える速度も早いはずだ。そういうことだったのか。納得した。
「実は先輩から実をいただくようになってから魔力が増えた気がしていたんです。増加量自体は微々たるものですが、食べてさえいれば自然に増えるなんてとんでもない話ですよ」
「実を欲しがってたのもそれが理由?」
「それは違います。純粋に私の好みの味でした」
トモモの実美味しいもんね。
西島さんがそう言っちゃうのも分かるよ。
普通の野菜じゃないのはもう知っていたけど、こうして効果をはっきり教えられると、とんでもないものを育てていたんだなって自覚するよ。
ファイルを彼女に返すと、西島さんはずいっと顔を近づけた。
「野菜のことは誰にも言わない方がいいですよ。先輩にはまだ分からないでしょうけど、これとんでもない効果ですから」
「すごい効果なのは俺にも理解できるけど、そんなに?」
「絶対、誰にも言わないでくださいね」
「わ、わかった」
念を押され僅かに動揺する。
俺の野菜にどれほどの価値があるというのか。魔力を得られるあたりはとんでもないとは思うけど、能力アップ程度は身体強化があればそれほど必要じゃない気もする。もしかしてバフとして使用できそうだから冒険者に狙われるぞ的な?
あり得る。食べるだけで力が上がるなら効率は良い。
実際、俺も仕事なんかで助けられている部分はあると思う。知らなかっただけで。
西島さんの言うとおりうっかり漏らさないよう気をつけよう。
「……あの、まだ何か?」
西島さんはデスクに戻らずニコニコしていた。
「今日も先輩の家に行きますからね」
「うん。どうぞ」
たったそれだけのやりとり。
彼女は嬉しそうにデスクへと戻っていった。
さーて、仕事仕事。
あれ? 皆さん、どうして俺の方を見ていらっしゃるのでしょうか。
課の人間全てが動きを止め、俺に注目していた。






