14話 会社員と邪竜と後輩
西島さんと共に自宅への道を辿る。
時刻はまだ十一時過ぎ。
あちら側を紹介しても時間は有り余る。せっかくだし昼食でも食べていって貰おう。
ただ、一番厄介な問題がある。レナだ。彼女をどう説明するべきなのか非常に悩む。冒険者にとって魔物は敵。討伐対象。言葉を話すとしても相容れるかどうか。
しかし、それ以前にこの西島さんをどうにかしないと。
隣を歩く彼女は緊張しているのか一言も喋ろうとはしない。
「大丈夫? 緊張してる?」
「はにゃんっ!? は、はい、少しだけ!」
はにゃん……?
うーん、やっぱり猫っぽいよね。今さらだけど西島さんって猫好きなのかな。鞄にいつも猫のキーホルダーをぶら下げてるし。購入したカップだって猫だった。もしかして家には猫グッズが山ほどあったりして。いやいや、そんなわけないか。たとえそうだとしても別におかしいことじゃない。
視界の先に、またたび荘の看板が見えてきて緊張が増す。
田中さんには失礼だけど、世辞にも立派な建物とは呼べない。
俺がぼろアパートに住んでいると知って彼女はどう思うだろう。失望するだろうか。それとも哀れみを抱くだろうか。あるいは滑稽だと見下すか。そんな人間ではないと頭では分かっていてもどこかで不安があった。
「もうすぐ先輩のご自宅ですね」
「あまり期待しないでね。本当にぼろアパートだから」
「どこだろうと先輩がいるなら都です」
きっぱり言い切る彼女に少しばかり心が和らぐ。
でもあれ、なんで自宅の位置が分かったんだろう?
忘れてるだけで場所は教えたのかな?
住所や名称が判明していればスマホで確認できるから知ってても不思議ではないけど。
ようやくまたたび荘を視界に捉え、そのまま入り口へと彼女を案内する。
アパートの出入り口ではいつものように田中さんが掃除をしていて、俺を見つけるなり動きを止めてじっと観察する。
「たった今戻ってきました。本日もお掃除お疲れ様です」
「お帰り。で、その横のお嬢ちゃんはなんだい」
「初めまして西島由海と申します。先輩――藤宮遙人さんとは会社で一緒に働かせていただいております」
「ふーん、あたしは大家の田中だよ」
すっと目を細める田中さんは、露骨なまでに頭の上から足の先まで、何かを見定めるように観察を続けた。一方の西島さんも緊張した面持ちで受け入れていた。
途端にぱっと田中さんの表情が明るくなる。
「悪くないね。これで器量も良ければ言うことないだろうさ。藤宮君にゃ常々良い子がいないかと気を揉んでたんだけどね。その心配もなさそうさ」
「田中さん、違うから。西島さんとはそういう関係じゃないから」
「まだ、だろ? あら、そのキーホルダー可愛いね。もしかしてあんた猫好きかい?」
西島さんのバッグについている猫のキーホルダーに視線を止めた田中さんは、記憶にないほど目を輝かせていた。即座に反応するのは西島さんだ。彼女も同じく目を輝かせ「田中さんもですか?」とお互いに距離を詰める。
「ウチは四匹飼っててどの子も可愛いのよ。ちょっと見るかい?」
「ぜひ! 私は一匹だからもう我が儘に育っちゃって」
二人はスマホを取り出し愛猫自慢を始める。
俺には踏み込めない領域が展開され、言葉の多重結界が張られていた。
考えてみれば田中さんが猫好きなのは嫌ってほど周知されていたことだ。なんせ名称がまたたび荘なのだから。ここで西島さんと化学反応を起こすとは想定外だった。
「気に入った。あんたならいつでも大歓迎だよ。藤宮君をよろしく頼むね」
「はい! お任せください!」
「あのー、そろそろ部屋に入りたいのですがー」
「「忘れてた」」
ひどい。連れてきたのは俺なんだけど。
再び掃除を始めた田中さんを後ろに、俺と西島さんは階段を上がる。
「なかなかのぼろアパートだろ。最近じゃ逆にそこが気に入っているんだけどね」
「レトロで私は好きですよ。暮らした人達の歴史が刻まれてて、抽象的ですけどなんだかあったかい気がします」
「あったかい、か……そうかも」
彼女はぼろアパートをむしろ褒めてくれる。
その言葉はただ住んでいた俺にとって考えもしなかったものだ。
ぼろぼろをマイナスにしか捉えてなかった俺には新鮮でそれでいてはっとさせられる。同時に西島さんに申し訳なさを抱く。失望や哀れみなんて彼女が抱くはずなどなかったのだ。彼女にとって一番大事なのは誰が住んでいるか。高い家賃を払っているとか優秀な設備が整っているとか全てどうでもいいことだったんだ。勝手に緊張して不安がって、これじゃあどっちが年上で先輩か分からないな。
鍵を取り出しドアノブに差し込む。
がちゃりと回してノブを握った。
「これから見せるのは俺と西島さんだけの秘密にしてほしい」
「はい。他言しません」
「それから一つだけ質問」
「なんですか?」
「喋る魔物って珍しかったりするのかな?」
「魔物は言葉を話しませんよ?」
マジ? 一匹もいないの?
ど、どうしよう。急に会わせるのが怖くなってきた。
けどここまで来てやっぱり無理は通じない。
いくしかない。西島さんなら。レナなら。上手く対応してくれるはずだ。
ドアを開いた先には――森が広がっていた。
木々のざわめきと揺れる草花。ハリウサギが二本足で立ち上がりこちらを窺う。畑では作物が緑濃く伸びていて、水をやった後なのか水滴が葉っぱの上を滑り落ちていた。
頭上には鮮やかな青空があって柔らかな陽光が降り注ぐ。
「ここが迷宮化した自宅だよ。実際はドアだけみたいだけど……西島さん?」
「迷宮? これが? でも間違いなく異空間化している。あまりにも普通すぎる。先輩、ここおかしくないですか?」
「おかしいって?」
「具体的にはまだ言葉にできないのですが、私の知る迷宮とは何かが違う」
数々の迷宮を体験してきた冒険者だからこその見識。
俺みたいな一般人にはただの森でも彼女には別の何かに映っているようだ。
さて、レナはどこかな。
西島さんに紹介したいのだけれど。
「ぬはははははっ、よく来たな人の子よ。儂が直々に歓迎してやろうぞ」
森の奥から出てきた大人姿のレナは、俺達の前にやってくると両腕を組んで不敵な笑みを浮かべる。しかもなぜか周辺を覆うほどの魔力を放出していた。
「なんでまた大人の姿?」
「カッコイイからぞ。それ以外に何がある」
はぁぁ、また漫画から変な影響を受けてる。
わざわざ森から登場するし、たぶんこれずいぶん前から練っていたな。
すっと前に西島さんが歩み出る。
その表情はこわばっていて極度に緊張している様子だった。
「下がって先輩。なんて濃くて重い魔力、それに信じられない魔力量」
「違うんだ西島さん」
「恐れよ敬え。儂こそは邪龍の王。レナヴェールぞ」
右手を掲げたレナは力を込める。ジャージの右袖は膨れ上がり風船のように破裂した。その下からは体格とは不釣り合いな、黒に限りなく近い紫色の鱗を生やした竜の腕が現れた。
あんなこともできたのか。
悔しいけどカッコイイ。
真似したいけどたぶんあれは、人化の秘法を使用する竜族のみの特殊技みたいな物なのだろうな。一部解除みたいな?
刹那、どこからか引き抜いたナイフで西島さんはレナへ斬りつけた。
空気を震わせる金属音。竜の鱗はたやすく刃を止めた。
「魔物……? なんて硬い鱗。信じられない」
「良い動きぞ。しかし、重さがない。さては速度タイプぞ」
「人語を解する魔物なんてありえない。おまけに知能も相当高い。まさかA級の魔物!? どうしてこんな小さなアパートの迷宮に!?」
「うぬ、人の話を聞いておらんな。会話が成立しないではないか」
あ、あの、戦うのはやめて。
まだ紹介もちゃんとできてないのに。
飛び下がった西島さんはさらに速度を上げて斬り込む。
対するレナはその場から動かず右腕のみで斬撃を弾いていた。
正直なところ目で追うのもやっとだ。思考強化してようやくなのだからとんでもない身体能力だ。
距離を取った西島さんにレナは初めて一歩踏み出した。
「まだ力を隠しておるだろう。儂には視えるぞ。お前の魔力が」
「見透かされているようで底が知れない。化け物ね」
「おおお?」
西島さんの放出魔力が増し、ふわりと舞い踊る髪の毛がみるみる白く染まった。
閉じた瞼を開くと、その目は金色に染まっており白いまつげが揺れる。
――白き姫君。
そんな言葉がどこからか浮かんだ。
次の瞬間、彼女は消えた。違う。俺の目ではもはや追いきれなくなったのだ。しかし、レナは依然と彼女の姿を捉えているようであった。
轟音が響き衝撃が奔る。背後から迫った西島さんの刃をレナは竜化した左腕で止めていた。それもナイフごと握って。
「さては特殊体質持ちか」
「この姿になった私は速い」
「面白い。興が乗ってきた。うぬ?」
またしても姿を消した西島さん。
レナは血が滴る左手に驚くような表情をした。
「脱するばかりか儂の皮膚を傷つけるとは――たいしたものぞ」
「まだ視えてる!?」
背後からの斬撃をレナは右手で防いだ。
今度は西島さんが驚いていた。
そろそろどうにか止めないと。
かといって二人の間に飛び込めば俺が死ぬ。
ふと、忘れていた空腹感を思い出す。
そろそろお昼ご飯だ。
俺は置かれた鍋を覗いてみる。
予想通り中は空っぽ。作り置きしてたけどレナが全て食べたみたいだ。
二人の戦いは継続している。
守ってばかりであったレナも徐々に攻撃を繰り出していた。
しかし、西島さんの速度には届かず空振り、どちらも決め手に欠け拮抗している印象であった。
その間に俺は野菜を切り炒める。先に炒めて置いた豚肉を合わせ水を投入して煮込んだ。合間に炊飯器に米をセットしておく。ほどよく時間が経過したところで鍋のふたを開けると、食欲をそそるカレーの匂いがぶわっと辺りに広がった。
「待て。この香りは」
「臭いがなんだっていうの……カレー?」
手と足を止めた二人を呼ぶ。
「昼食の用意ができたよ」
「カレーぞ!!」
「え? え? 昼食?」
子供の姿に戻ったレナは、西島さんの脇を通りぴょんと椅子に座った。
突然戦う相手が居なくなった西島さんは、混乱しているのか大人レナが居た場所と子供レナが居る場所に視線を往復させた。
「西島さんも」
「は、はい」
皿にご飯とカレーを盛り付け二人の前に置く。
スプーンを渡して最後に自分のカレーライスを用意した。
「「「いただきます」」」
いつもと変わらない美味さ。
レナも運動をした後のように普段よりももりもり食べている。
戸惑っていた西島さんも恐る恐るカレーを口に運ぶ。
「……美味しい」
「うぬ、ハルトのカレーは絶品ぞ。だが、今日はニンニクは入っておらぬの」
「西島さんが居るからね。美味しいけど臭いがきついから」
女性にとってニンニクは事前に定め覚悟をもって挑む食材だ。最近じゃ俺も口臭を気にしてニンニク入りカレーは頻繁には作らないようにしている。レナは不満そうだけど。
先に食べ終えた俺と西島さんは淹れたコーヒーで一休みする。
ちなみにレナは未だにもりもり食べている。さすがカレードラゴン。
「すみませんでした! 先輩のお友達だったなんて!」
「謝らなくていいから。あれはレナが悪い。西島さんを挑発するように魔力を出してたからね。お互い大きな怪我もなかったからこれでおしまいで良いんじゃないかな」
「儂だけ!?」
「じゃあどうして大人の姿で出てきたのかな。子供の姿だと戦いづらいと思って変えてたんだよね?」
「う、いやー、本当にうまいなぁハルトのカレーは!」
目が泳いでるけど。話を逸らさないでくれるかな。
するとくすくすと西島さんが笑う。
「お二人は仲が良いんですね。羨ましいです」
「うーん、仲が良いというか、勝手に住み着いたというか。カレーの匂いに釣られて居座ったドラゴンなんだけどね」
「ドラゴンっ!?」
「なに!? どうしたの!?」
がたっ、と勢いよく立ち上がった西島さんはレナを見開いた目で見つめる。
その面持ちはこれまでで最も緊張しており冷や汗が流れていた。
「ドラゴンがどれほどの魔物かご存じですか?」
「魔物にはランクが設定されている、だっけ」
「そう、魔物には強さに合わせたランク付けが成されています。下からEDCBAと上がり、その上にはS、そして、さらにその上にはSSが置かれています」
彼女はごくりと生唾を飲み込み口を開く。
「竜種はSからSSと言われています。SSは大規模災害級、都市が機能停止または壊滅するほどの強さだと」
彼女の言葉を飲み込むのにしばしのタイムラグがあった。
大規模災害級。それは台風や地震などの自然災害と同等の扱い。
隣で暢気にカレーライスを食っているこのちびっ子がその領域にいる生物だと。
俺はドラゴンを現代に蘇った恐竜くらいに考えてたけど、実は想像している以上にとんでもない存在だったようだ。
どうしても聞かずにはいられない。
「レナ、君はいつか人を滅ぼすのか?」
「なぜ? 質問の意図が読めんな。そもそも儂は人を好いている。小さな存在のくせに常に切磋琢磨し新しいものを作り出す。その姿は実に愛らしいではないか。強欲が過ぎる時もあるが、それすらも儂には興味深く面白く感じる。今はハルトとハルトが生み出すものに夢中だがの」
「人を愛しているのか」
「それは違う。人がペットを愛でるように、儂の感情もそれに近い」
愛犬は好きだけど犬全体を愛しているわけではない。
人という生物に興味はあってもそれはあくまで興味止まり。愛を抱けるかは個体による。理解できない考えではない。むしろ普通だ。
彼女には人と敵対する意思はないようだ。安心したよ。
「もうこんな時間。すみませんこんなに長くお邪魔して」
「あー、まだゆっくりしてて大丈夫だよ。外はお昼くらいだから」
「でも時計では十七時に、お、お泊まりですかっ!?」
急に西島さんがそわそわし始めた。
変な勘違いをさせたみたいだ。
俺はドアを開けて外の様子を確認させてあげる。
「ほら、まだ日は高い」
「なんで……? 嘘でしょ」
現実世界側に出た彼女は、明るい青空を見上げたまま言葉を失っていた。
「お泊まりできなくて残念だったな。白女」
ばりっ、とカレーせんべいを食べるレナがニヤニヤしていた。






