13話 会社員は後輩とデートする
がちゃがちゃと甲冑や武器を鳴らし行く人々は、そのほとんどが冒険者である。
魔力を持たない一般人達は、威圧的な彼らを避けるように進み一刻も早く立ち去ろうと足を足を速めていた。そんな理由もあって人の量は休日にもかかわらずまばらだ。
交差点に着いた僕らは足を止める。
甲冑姿の男性を避け進行方向を覗くと信号は赤。青になるまでしばしの足休めである。
隣に目を向ければ、普段の彼女とは違う彼女が立っていた。
ワンピースに上からは落ち着いた色合いのジャケットを羽織っている。何より目を引くのは彼女自身だ。艶やかで細い濡れ羽色の髪が四月の風に撫でられ揺れる。手で耳元の髪をかき上げるその仕草と横顔は見るものの呼吸を一瞬、だが永遠と思えるほど長く止める。
彼女の瞳が俺に固定される。
「せんぱい?」
「あ、よく似合ってて素敵だなって。って俺なんかに褒められても嬉しくないよね。ごめん」
「むしろ先輩に褒めていただきたくて頑張りました。今日の私どうですか?」
「うん。とても可愛いよ」
「か、かわいい……先輩に褒められた」
顔を朱色に染めた西島さんはうつむいてしまった。
直球過ぎたかな。だけど本当によく似合ってて見惚れてしまった。慣れたつもりでいたけどむしろ改めてとんでもない美人さんだと教えられた気分だ。周囲の男性も女性も彼女の美貌を無視できずちらちら窺っている。
誰かのささやきが耳に届く。
「うわ、すっごい美人。あんな子この世にいるんだ」
「でも隣の男が釣り合ってない。地味すぎ」
ですよね。自覚してますよ。
ご心配なく。ただの会社の先輩後輩の関係ですから。
よこしまな心を抱かぬよう努力してます。
「先輩も、カッコイイです。いつも素敵だけど今日は特に」
「ありがとう。ちょっと安心したよ。ひどい格好だって呆れられる覚悟もしてたからね」
「社交辞令じゃありませんからね。本当にカッコイイですから」
信号が青になると同時に人々が歩き出した。
人の流れに従うように俺達も交差点を寄り添って歩く。
「一つ聞いていいかな? どうして渋谷? カップを買うならもっと良さそうな場所があったと思うけど。不満を言っているわけじゃないんだ。ちょっとした疑問、かな?」
「実はあの割れたカップ、超軽量強化素材でできた冒険者仕様の逸品でしたので入手経路も限られてて。手に入りやすい場所がここだったんです」
「へぇ、そんな商品まであるんだ」
隣で相づちをうちつつ内心で冷や汗を流した。
そんなカップを握りつぶした西島さんってどんな握力してるの?
いくら身体強化してたっていっても限度があるよね?
たぶんだけど強化した俺でもそんなのできない気がする。
◇
案内されて入った百貨店は、まさに冒険者アイテムの宝庫であった。
ここ渋谷はかつての姿と客層を捨てた代わりに冒険者という新たな客を獲得したと言われている。しかしながら実際は、冒険者自体が若者に人気の職種であることから憧れて訪れる一般人も少なくないそうだ。捨てたは語弊である。これまでの客層が冒険者にごっそり変わっただけなのである。
客のほとんどが冒険者なだけあって、店舗のほぼ全てが冒険者仕様となっている。貴金属コーナーは武器や特殊なアクセサリー販売に。化粧品コーナーは迷宮向けのメイク用品やケア用品に。バッグ、服、全てが迷宮用である。そして、最上階は冒険者しか立ち入れない迷宮エリアになっていた。
渋谷にはこのような場所が無数にあるのだ。
「見てください先輩。こっちも可愛いですよ」
「ペアなんだ。値段は、一つ三万!?」
彼女が見ていたのはペアのカップだった。
ピンクと青の猫が寄り添ういかにもな恋人向けの商品である。
ただのカップが三万、冒険者はそんなにも儲かる仕事なのか。
迷宮が登場してから景気は上向きになっているとよく耳にはするけど、一般にはまだその実感は薄く給料はまだまだ変わらない。だが、世の中儲かるところは儲かっているのだ。
一目惚れしてしまったのか彼女は、店員を呼び寄せガラスケースから取り出して貰うようお願いをする。彼女がほしいのはピンクのカップ。ここは先輩らしくさっと支払いをすべきだろう。だがしかし、三万は高い。気軽に出せる金額ではない。
藤宮遙人、男らしく財布を出すんだ。何のために一緒に来ているんだ。
俺なんかを先輩と呼んでくれる可愛い後輩を励ますためだろう。でも三万は痛い。いや、出せ。先輩魂を見せるときだ。
「支払いは俺がします」
「先輩!?」
手早く支払いを済ませ包装されたカップを彼女に渡す。
受け取った彼女は呆然としていた。そして、手元の紙袋に目を落とし突然慌て出す。
「せ、せんぱい、いただけません! 今日は自分で買うつもりで――」
「だけどもう買っちゃったし。昨日のお礼と思って受け取ってくれると嬉しいかな」
「ずるいですよ。こんなのいただいたらもう気軽に割れないじゃないですか」
「うん。割らないでね」
カップは握りつぶす物じゃないから。
できるだけ大事に使ってほしい。
しかし、残された青い方のカップは寂しくなるな。ペアものの宿命というべきか、片方だけが売れてしまうともう片方は取り残されたようで心が痛む。
「こっちの青い方をください。支払いは私が」
「え」
な、なにしてるの?
欲しいカップはもう手に入れたよね??
包装された青いカップを受け取った西島さんは満足そうな表情をした。
もしかすると彼女も俺と同じく、あのカップが寂しそうに見えたのかな。二匹の猫は二匹のままがいいよな。むしろこれで良かったと安堵している。
「どうぞ」
「俺に?」
「プレゼントです」
彼女は青いカップの入った紙袋を俺の方へ差し出した。
終始眺める女性店員は微笑みながら『黙って受け取れ』と目で言外の言葉を訴えていた。
「ありがとう。大切するよ」
笑顔で紙袋を受けとった。
西島さんは一際明るい笑顔を浮かべた。
「まだ時間ありますか?」
「ん、予定は入れてないから何時でも大丈夫だよ」
「付き合っていただきたい場所があります」
「遠いのかな?」
「すぐそこですよ」
彼女に案内され俺は百貨店を出る。
◇
そこは『冒険喫茶オズ』の看板が掛かったこぢんまりとしたカフェであった。
ガラス窓から覗く店内は、アラサー男が入るにはいささかお洒落すぎる空気が漂っていた。
西島さんは迷うことなく中へ。俺も遅れて店内へと入った。
からんとベルが鳴ってすぐに鼻腔をくすぐるコーヒーの香りに意識が向く。長テーブルには数名のお客さんが雑談をしながらコーヒーを楽しんでいる。どうやらカフェを営みながら雑貨も販売しているようだ。壁側にある棚には可愛らしいデザインの商品が並んでいた。
「いらっしゃい」
カウンターの奥から挨拶をしたのは白髪混じりの初老の男性であった。恐らくこの店の店主だろう。一見するとどこにでも居そうな六十代くらいの男性。しかし、その頬には深い傷跡がありポットを持つ手にも無数の傷跡があった。ここは渋谷、冒険者が当たり前にいる街だ。
西島さんは彼に深く一礼して適当な席へ俺を誘導する。二人して椅子に腰を下ろすと店主らしき男性がメニューをテーブルに置いた。
「これメニュー表ね。由海ちゃんが男性を連れてくるなんて珍しいね。もしかして新人さんかな? 大変だね先輩も」
「新人……?」
エプロン姿の店主は気さくに声をかけてくれる。
ただ、俺は反応しきれずにいた。彼の言葉の意味を正確に受け止められなかったからだ。
西島さんは慌てて反応した。
「ヤスジロウさん、こちらは一般の方で会社の先輩なんです」
「えぇっ!? 一般人!? いやだって、魔力持ちだよね、彼。もしかして由海ちゃんが何してるのか言ってないのかい??」
「それは、これから……そうだ、先輩、飲み物を頼みませんか」
「あ、ああ、そうだね。温かいコーヒーをお願いします」
「私も同じものを」
店主は「ごゆっくり」と申し訳なさそうに下がった。
慌てる西島さんを前に逆に冷静になっていた。
俺が彼女の魔力を感じ取れるのだから向こうだって同じのはずだ。その可能性に思い至らなかったのはこれまで魔力を持たず生きてきたからだ。少なくとも彼女は俺が魔力持ちだと知りながらこれまで通り接してくれていた。知らない振りを通してくれていた。
思い返してみると彼女は、体調が良くなった理由をずいぶん気にしていたような記憶がある。あれは魔力に目覚めた発端を尋ねていたのではないか。西島さんのことだ。体調面も本当に心配はしてくれていたとは思う。彼女を見てきたから分かる。西島さんは優しい人間だ。
だからこそこういった控えめな意思表示となったのだろう。
わざわざ連れてきたのは、俺がひたすら隠している秘密をそろそろ打ち明けてほしいからに他ならない。でなければ渋谷には誘わなかっただろう。
確かにいい加減隠すのも限界を感じていた。
レナの次に最も接するのは西島さんだ。彼女とは弁当を見せ合う仲であり、俺の変化を終始目撃していた人間でもある。その上で魔力持ちだと把握されているのだからごまかし続けるのは困難だ。
もしこれまでの行動で反省があるとすればたった一つだけ。
彼女にはもっと早く打ち明けるべきだったのだ。
西島さんは信頼のできる人だ。打ち明けたところで言いふらすような人間ではない。わざわざ彼女にこんな場まで設けさせて俺は自分が恥ずかしい。もっと早く彼女を信じて打ち明ければ良かったのだ。
「その、実は――」
「今まで黙っていたけど――」
「私、冒険者をしてます!」
「自宅が迷宮化しているんだ!」
正面から打ち明けた秘密。
しかし、なぜか彼女も同じタイミングで言葉を発した。
俺と西島さんは目を点にしてほんの一時固まった。
「「……なんて?」」
冒険者? 元じゃなく??
まさか会社員しながら冒険者もやってるの?
そりゃあウチは副業オッケーな会社だけど冒険者は初めてだ。
「迷宮化ってどいうことですか!?」
「しーっ、自宅に冒険者が押しかけると困るからさ」
「す、すみません」
新しい迷宮が出現するとこぞって群がる、それが冒険者という生き物だ。
私有地だろうとずかずか入り込む一部のマナーのない冒険者は近年どこの国でも問題になっている。それを避けたくて秘密にしているのもある。
幸い店の中のお客さんは会話に夢中でこちらの内容までは意識が向いていない。
ヤスジロウと呼ばれた店主もコーヒーに集中していて会話を聞いていた感じはなかった。もしくは届いていても我関せずのスタンスをとっているだけかもしれない。
「どうぞ、ご注文のコーヒーです」
「良い香りですね、ありがとうございます」
「私達が今日来たことは他言無用でお願いします」
「ご安心ください。当店はお客様の情報は一切漏らしません。それが私のポリシーですから」
店主は運んできたコーヒーをテーブルに置き、俺に意味ありげなウィンクをした。
どうやらばっちり聞こえていたらしい。
まぁ変に隠されるよりはマシかな。
さて、お互いに尋ねたいことは山のようにある。
西島さんは声のトーンを落としてやや身を乗り出す感じで質問する。
「自宅が迷宮化ってどういうことですか。じゃあ今はどこで寝泊まりを」
「自宅だけど」
「とんでもない発言をしているの自覚されていますか?」
俺の返事に彼女は呆れた様子でため息を吐いた。
想定内の反応だ。迷宮で暮らそうとする奴なんてそうはいない。そして、実際に暮らしているのは俺だけじゃないかな。ただ、先入観とか発想の問題なだけで、住んでみると案外安全で快適だしなんとかやっていけている。少なくとも俺がいる迷宮はそうだ。
「西島さんが現役の冒険者だったなんて驚きだな。副業?」
「はい。昼間は社員、夜は冒険者として活動しています。本業は会社員ですからあくまでも不定期に入る仕事として請け負っていますよ」
「会社は?」
「冒険者だとは伝えてあります。比較的冒険業に寛容な会社を選びましたので、特に厳重注意や問題行動としてあげられたりはしていませんね」
嬉しそうにコーヒーカップを持ち上げた彼女は一口含む。
おっと、話に夢中になりすぎて忘れるところだった。
温かいうちにいただかないともったいない。
俺もカップを持ち上げてまずは香りを楽しむ。目の覚めるような煎った豆の香り。飲めばほどよい苦みとコクが味わえた。控えめに言っても美味しい。
「秘密にしていた理由は?」
「怖がられると思いまして……年々存在感の増している業種ですけど、未だに敬遠されることも多い仕事ですから。めざましい活躍がある一方で冒険者が起こす暗いニュースも増加傾向にありますし。でも先輩だけには教えておきたくて。黙っててすみませんでした」
「謝らなくていいよ。そこはほら、お互い様だから」
「そうですね」
俺達はカップを置きながら微笑み合う。
打ち明けられて良かった良かった。これでお互い気兼ねなくいろいろな話ができる。実は彼女からも魔力の使い方を教わりたかったのだ。レナは素晴らしい教師ではあるものの一方で気分屋でもある。日によって波があり教えて貰いたい内容を後に回されることも多々あるのだ。できればもう一人詳しい人間が欲しいと考えていた。
その点、西島さんなら現役の冒険者だし魔力持ちだ。今後のやりとりに大いに期待できる。
ことんと、カップを受け皿に着地させた西島さんは、微笑みながら怒りの空気をにじませる。
「ところで先輩、迷宮化した自宅で暮らしているってどういうことですか?」
「そのままの意味、だけど? 怒ってる?」
「怒ってませんよ。ただ、なんでそんな危ないことをしているのかなって」
ひぃ。怒ってるじゃん。
目が笑ってないから。
彼女が俺に対して怒るなんて初めてだ。
いや、これは恐らく身を案じてくれているからだ。これまで散々接してきたからなんとなく理由が想像できる。先輩である俺を大切に想ってくれているからこそ出てくる彼女の優しさだ。
だとしたら俺が取るべき行動は一つ。
きちんと安心させることだ。
「西島さんが良ければ俺の家に来てくれないかな」
「先輩のお宅にですか!? 今から!?」
「うん。予定があるなら断ってくれてもかまわないけど――」
「行きますっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」






