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東京迷宮スローライフ ~アラサー会社員と邪竜のおだやかで刺激的な日常~  作者: 徳川レモン
第一章 農耕始動編

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10/22

10話 会社員は目撃する

 

 迷宮世界側自宅――。


 だらしない体勢にて漫画を読むレナの真横で、俺はノートPCのキーボードを一心不乱に打ち続けていた。画面に映るのは文章である。同じ文章を打ち込むと画面隅にいるキャラクターが「その調子」とサムズアップした。

 いわゆるタイピング練習ソフトだ。ゲーム形式になっていて、打ち間違いが少なければ少ないほど高得点になる電気店のパソコンソフトコーナーによく置いているあれ。


 今さらタイピングの練習かと笑われるかもしれない。

 実はこれは魔力操作の訓練なのである。


 原始魔法の一つ――『思考強化魔法』を発動しながら目の前の作業に集中する技術を身につけようとしていた。


「おい、打ち間違いが多くなってるぞ。速度も若干落ちた。思考強化を維持しろ」

「そう言われてもキツいんだって。どちらも集中しろなんて無茶だよ」

「お前が言い出したことぞ。魔力を仕事に役立てたいとか定時で帰りたいからとかあれこれ理由を言っていたのはどこのどいつぞ?」

「すみませんでした。がんばります」


 魔力を仕事に役立てたいというのは実際のところ建前で、本音は定時に帰りたいからだ。


 思考強化は文字通り思考を強化する魔法である。思考速度を魔力を込めた分だけ加速させるというとんでもない効果である。ただし、無限に加速できるわけではない。思考自体は脳で行う、つまり脳が持つ本来の機能を超えることはできない。限界値が存在しているわけだ。それを超えるとレナ曰く頭が爆発して死ぬらしい。怖い。

 ただ、低い加速を多用するくらいなら支障は出ないそうなので仕事に使うくらいなら問題はないそうだ。


「身体強化はともかく思考強化は万人に使用できる魔法ではない。高い適性、センスが求められる魔法ぞ。その点で言えばハルトは将来有望ぞ。一握りの素質を持つ者として自覚を持って訓練に取り組むべきぞ」

「そうなんだ。俺ってすごいんだ」

「ちゃんと育てばの話ぞ。今は孵ったばかりのちびドラゴンに過ぎぬ」


 仰るとおりで。努力します。


 しかしながらこの俺に魔法の才能があったなんて驚きだ。こうならなければ一生知らなかっただろうな。本当に人生は何があるか分からない。


「手が止まっているぞ」

「やば、考え事に意識を割きすぎた」


 慌てて打ち込みを再開する。


 これで身体強化も併用できればさらなる速度アップも見込めるのだが、残念ながら現時点ではこの二つの長時間発動は困難だ。発動するだけでも難しい。その上さらに業務など今の俺には無理だ。なので今は思考強化を優先して伸ばしているところだ。


 ゲームが終了し得点が出る。


 最初にやったときよりだいぶ高い数字を出せるようになってきた。思考強化も一時間程度なら安定して維持できるようになってきたので上々である。


 漫画から目を上げたレナも許容範囲内だったらしく「うぬ」と頷いていた。


「じゃあゲームは閉じて……お待ちかねの時間だ」

「おおおお、待っていたぞ。早く早く」


 マウスでゲームを閉じ、俺はそのまま通販サイトのアイコンをタップする。

 開いた通販サイトのホームページにレナは俺の後方から身を乗り出し目を輝かせていた。


 迷宮世界側には電波は届かない。何故かは不明だけどそうなっている。


 しかし、有線で引いたところインターネットが通じるようになったのだ。そこで俺は旧自室からフラットタイプの有線LANを伸ばし、玄関のとなりにある小窓から線を外に出すと、その線を玄関ドアの隙間から差し込んで見事迷宮世界側へと引き込むことに成功した。

 さすが築年数三十年以上、ドアもドア枠も経年劣化でヘコみまくっていてケーブルを通すのは造作もなかった。おかげでこうして迷宮にいながらインターネットができている。


 相変わらずスマホの電波は届かないので、その辺りは対策を検討中だ。現在は仕事用のスマホだけ現実世界側に置いておき、定期的に確認するようにしている。


 俺は時々使用している通販サイトEmazonで必要そうなものを注文する。


 飲料用の水、トイレットペーパー、調味料各種、それから追加のテーブルやチェアーなどなど。タープに目を付けた俺はそれもついでにポチった。

 タープは二本の柱とロープで作る日差しや雨を避ける屋根のような物だ。

 幸いまだ雨は降っていないけど備えはしておかなければならない。


「このシャツぞ。購入ぞ、購入」

「えー、ダサくないかな。その下のシャツの方が可愛いと思うけど」

「お前の目は節穴か。この『ムキムキカッパ』の方が百万倍可愛いだろう。正義のために毎日頭の皿を乾燥させているヒーローだぞ。最高に格好いいし可愛いぞ」


 レナが欲しがっているのは筋骨隆々のカッパがポージングしているTシャツである。暇つぶしにとノートPCでDVDを見せてやったら大ハマりしてしまい、以来グッズ商品をねだられることが多くなった。


「カッパ太郎はは虫類界のヒーローだな。ドラゴンの儂も鼻が高い」

「たぶん両生類じゃないかな」

「……え?」


 いや、どうなのだろう。人型だしホモサピエンス以外の人なのかな。

 そもそも論でいえば妖怪だから既存の生物ですらないかも。

 ちなみにカッパ太郎はムキムキカッパの主人公である。


「購入でいい?」

「お、おう、購入ぞ」


 戸惑うレナを余所に俺はTシャツもポチった。



 ◇



 普段の二倍の速さで業務が進む。

 着々とレナとの修行の成果が出ていた。


 もちろん業務を行っているこの瞬間も魔力操作の修行だ。

 仕事を行いつつ思考強化も維持する。思考強化を長時間使用すると普段よりも強く疲れる傾向にあるが、恐らくこの環境に俺自身がまだ慣れていないからだと思われる。使い慣れればいずれ維持も簡単になるだろう。


「コーヒーっと、あれ? 空だ」


 脇に置いてあった自分のカップを持つと中は空っぽであった。


 しかたない淹れてこよう。


 席を立ち給湯室へ向かう。

 と、給湯室の入り口手前で俺は立ち止まった。


「西島さん、以前にも伝えたけど親しくする相手はちゃんと考えた方がいいわよ」

「私が藤宮さんと仲良くすることに何か問題があるのでしょうか?」


 この声は西島さんだ。

 一緒に居るのは同じ部署の浜松さん、大村さん、前田さんのようだ。


 この三人はいつもつるんで噂話や下世話な話に花を咲かせている面倒な人達である。悪い人達じゃないんだろうけど、ちょっとばかしおしゃべりが過ぎるきらいがある。


「ちょっと浜松さんが忠告してくれてるのよ。ちゃんと聞きなさいよ」

「顔がいいくせに愛想がないわよねこの子。そんなんじゃいつまでたっても良い男を捕まえられないわよ。花の寿命は短い、二十代なんてあっという間よ。あんな空気なんか相手してないでもっと上を目指しなさい」

「空気……? 遙人先輩を皆さんそんな風に呼んでいるんですか?」

「だからなんだって言うのよ」


 知っていたけど改めて聞くと傷つくな。

 そりゃあね、平凡街道をひたすら走ってきた自覚はあるし、知人などの周囲からも平凡と評価されている。だからってわざわざ目の前にぶら下げて馬鹿にする必要はないだろ。空気になろうとしたわけじゃない。勝手にそうなっていたんだ。


 あれ……なんだこの感覚。

 肌がピリピリする緊張感、どこかで。そうだレナが見せてくれた魔力の放出。


 圧力の出所は給湯室の中からであった。


「訂正してください。遙人先輩は空気や冴えない人じゃありません」

「な、なんなの、そこまで怒ることないじゃない」

「私達は貴女の為を想って言ってるだけよ」

「余計なお世話です。遙人先輩はそこらの男より百倍、いえ、千倍、万倍強くてカッコイイ人です。あんなにも誰かのために本気になれる人はいません。私が最高に尊敬する先輩なんです――」


 直後にばりん、と陶器が割れるような音が中から響いた。


 そっと覗くと西島さんが愛用しているカップを握りつぶしていた。その身体からは魔力が放出されており握りつぶした手からは血の一滴も出ていない。


 もしかして身体強化なのか?

 どうして西島さんが??


「ひぃ」

「二度と私の前で先輩をそんな風に呼ばないでください。じゃないと私、手加減できなくなりますから」


 氷のように冷たい微笑。

 しかし、恐ろしいまでに美しかった。


 相手が悪かったと認めたのか青ざめた顔で浜松さんと他二人は給湯室を飛び出す。

 三人は俺の方を見ることなく背を向けて走り去っていった。


「はぁ、やっちゃった……」


 一人残された西島さんは反省するように呟いていた。

 声の調子からして泣いているようだった。


 こんな空気で中に入るのは辛いな。どうにか誤魔化してコーヒーを淹れよう。


「どうしたの西島さん!? カップ落としちゃった?」

「ぐすっ、いえ、にぎりつ――あ、そうです。うっかり落としました」

「大丈夫? 怪我はない?」

「あの」


 一応手を見せて貰うがやはり傷はなかった。


 魔力の放出はすでに収まっているようだが、残滓ともいうべき圧が部屋の中に残されている。レナなら漂う魔力をはっきり認識できただろう。


 魔力を持っているなんて、西島さんは一体何者なのだろう。


「遙人先輩」

「ん?」

「少しの間だけ良いですので、何も聞かずハグをさせて貰ってもかまいませんか?」

「えーっと」

「お願いします」

「わかった。少しの間だけだよ」


 彼女は抱きついてきて俺の胸に顔を埋めた。


 こういうの慣れてないから照れるな。慰めるのも先輩の役割なのは理解しているけど。

 俺なんかの為に同性の先輩を敵に回すようなことをするなんて。申し訳ない気持ちと同時に嬉しさもあった。こんな俺でもちゃんと見てくれていて味方をしてくれる人が居るのだと。


「落ち着いた?」

「はい。ありがとうございました」

「これで目元を拭いて」

「そんな、ハンカチまで! 必ず洗濯してお返しします!」

「気が向いたときにでいいよ」


 俺は彼女にハンカチを押しつけ、足下の割れたカップを拾い始める。

 目元を拭った彼女もハンカチをポケットに入れ、同じようにカップの欠片を拾った。


「気に入ってたのに」

「残念だったね」


 さすがに自業自得とは言えないな。

 俺は目撃していないことになっているし彼女も割りたくて割った訳じゃないだろうから。


 できるなら味方してくれた彼女に感謝としてカップを贈りたいところだけど、女性にカップなんて渡した経験がないからなぁ。似たような物を買うとしても色々疎い俺にはどこで買えばいいかすら見当が付かない。ネット通販はさすがにさすがすぎるし。


「おや、先客がいたようだ」


 声のした方に目を向けると、カップを持った斉藤さんがいた。


 どうやら彼もコーヒーを淹れに来たようだ。

 気を遣ったのか俺達を邪魔しまいと給湯室には立ち入らず、入り口前で微笑みを浮かべて様子を眺めている。


「私がカップをわってしまって。片付けますので待っててください」

「すみません斉藤さん」

「慌てなくてかまわないよ。大いに長く時間をかけてくれたまえ。その分ゆっくり休憩ができるからね」

「相変わらずですね。でも助かります」


 良いキャラしてるよな斉藤さん。

 憎めなくてそれでいてやるべきことはきっちりやるから文句の付けようがない。


「ちなみに誰のカップ?」

「私です」

「ふーん、西島さんの」


 割れたカップをじっと見ていた斉藤さんが、不意ににちゃあと底意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「じゃあ二人で新しいカップを買ってきなさいよ。どうせ藤宮君、暇でしょ?」

「それいいですね! 賛成です! お願いできますか、先輩」

「あ、うん、特に予定もないしかまわないけど。俺なんかでいいの?」

「「いいの」」


 斉藤さんと西島さんの声が重なる。


 一緒に買い物か。誰かと買い物なんていつぶりだろう。ていうか一緒に出かけるってことは私服を見られるじゃないか。ぬぁぁああ、女の子と買い物できるような服もってねぇ。


 俺は慌てて挙手した。


「い、いつ、ですか?」

「できれば休日の方が良いですし、日曜日でしょうか」


 明後日ですね。


 服を買えるタイミングは今日か明日の退勤後。今日の迷宮世界側で過ごす三日間を熟考に費やせば購入できるのは明日だけになる。ぎりぎりすぎる。こんなことなら普段からファッションに気を遣っておけば良かった。レナのダサいTシャツなんて注文している場合じゃなかった。


 俺がうーんうーんと考えている間に、西島さんと斉藤さんはお互いを称えるようにサムズアップしていた。


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