3.君と一杯のお茶を
四機のフロストドーザは、「船」から三百メートルほどの地点で停止した。
ドーザの背部上面に向けられたハッチが開き、長身の男がそこから姿を表した。彼は片手を上方に掲げて一礼すると、落ち着いた美声でありながらどこか金属的な軋りを伴った声で、ゆるゆると口上を述べ始めた。
――ごきげんよう、名も知らぬ遺跡宇宙船の諸君……私は『皇城』より遣わされた治安執行官、バクロム校尉だ。我が帝国の皇族、シュリ姫を追って参った。機体に仕掛けておいた発信機で、この拠点に彼女の機動外装が運び込まれことは判明している。どうか速やかに引き渡してもらいたい。
じろり――
集会場に集まった面々の視線が、一斉にシュリと呼ばれた件の少女に集まった。
「だめ……駄目です、引き渡さないで。バクロムは冷酷で狡猾な男。私を確保したら、次はあなた方を拘束しようとするでしょう」
「拘束されると……あ、燃料!?」
バレス兄が訊かなくてもよさそうなことを口にする。
「はい。バイオマス転換器で加工されてしまいます。彼らは押しなべて、外部のものを人間だと思っておりません」
押し殺した悲鳴が上がった。あちらの機体は外観だけでも武装していることが明らかで、船は動けず、人間だけ逃げることもこの距離では無理。
いずれにしても死ぬしかないのか、という暗澹とした認識が生まれつつあった。
(なあ、ナジン兄)
ザンカは身を低くしてナジン兄を呼び、耳打ちした。
(なんだ、ザンカ)
(格納庫のゲートはあいつらから死角になる、船の反対側だよな……?)
(なるほど、奇襲か?)
(話が速いや。たぶん、雪が舞うような突風はまだ何度か吹くはずだ)
(……乗った)
瞬く間、ひそひそと口伝えにアイデアが共有される。展望室の窓から即席の白旗が掲げられ、その間にザンカとナジン兄は集会場から姿を消していた。
* * * * *
空はいつのまにか再び曇っている。
「船」からバクロムの待つ地点まで、シュリは殊更にゆっくりと歩いた。
「……考え直してくれませんか、バクロム卿。亡き父が実在を示唆した『真の転換器』さえ手に入れれば……もう人間を加工せずとも済むのです。兵士たちが過酷な外征に駆り出されることも……!」
美しい顔を寒風になぶられながら、なおも必死に説得を試みる。だが、バクロムは憐れむように笑って彼女の訴えを退けた。
「受け入れかねますな、姫。そんなものが転がり込めば、我々がこれまで為してきたこと――生かすべき民を生かすために、死すべきを殺してきたことが、一切裏返って罪となってしまうではありませんか。それでは『皇城』が倫理的に終わってしまう。貴方には終生、地下牢で無為に過ごしていただこう……シャンカはここの連中に呉れてやる運びとなりましたが、いずれ先は同じこと――」
傲慢そのものの言葉が終わらぬうちに――一陣の風と共に雪が舞い、しばし視界の一切が白く閉ざされた。
「なっ……これは!? ええい、撃て! 撃て! 奴らに余計な隙を許すな!」
顔を覆って操縦席に戻ろうとしつつ、バクロムが叫んだその時。
耳を圧する擦過音と共に何かが急速に接近し、フロストドーザの機体に恐ろしい衝撃が加わった。同時にいくつかの発砲音と、跳弾の残響。
「ぐげぇええッ!」
吹き荒れる白い地吹雪の帳を割いて、振り下ろされた灰色、半機の鉄腕。その手にあった分厚い刃がバクロムの片腕ごと乗機を断ち割っていた。
――はぁ……撃ちやがった。こいつら、ホントに俺たちをまるで人と見てねぇんだ。
頭上から降ってきたのはまだ子供っぽさの残る少年の声。
「お、おお……これはヴォルツ・エッジ? まさか、姫のもの以外にも、こんなところに!?」
屈辱と痛みに歪んだ顔のまま、バクロムはその場に崩れ落ちた。
ザンカの作戦は大当たりだった。この時期の不安定な天候をたのみ、シュリに時間を稼がせて、ゲートの陰で機会をうかがっていたのだ。
フロストドーザにはレーダーが積まれていたが、高速で肉薄するヴォルツ・エッジに対応するだけの能力は、操縦者に備わっていなかった――
「皇城」のフロストドーザ隊はその多くが頭部センサーか操縦席を潰され、壊滅。
「船」側はプリンシパルが中破し、ナジン兄が右膝を砕かれた。幸い、他にはこれといった損害はなかった。
* * * * *
「すみません、私のために……」
ザンカたちは集会場で車座を囲み、シュリもそこに加わっていた。円形に並べたスレートの上で、茱萸茶の小鍋が煮えている。
「気にするな。どのみち、あんたの話が本当なら今のところ『皇城』と共存はできない」
ナジン兄が腿の上に横たえた松葉杖を撫でながら笑った。
「多分また来るよねえ。困ったことに、あんたのエッジに仕掛けたという発信機はまだ見つけ出せないんだ」
カイラが膝に頬杖をついてため息を吐く。
「そうですか……ではやはり、私はここを出なくては」
うなだれるシュリに、ザンカは右手を差し出して言った。
「だったら、俺と――カイラも一緒に行く」
「いいのですか?」
シュリは戸惑った。先ほど彼らから聞いた、操縦者のしきたりと違うではないか。それに彼らは今日、操縦者を一人引退させてしまったのに。
「だってなあ。このまま船だけ守っててもジリ貧だ。あんたの話――『真の転換器』には、みんなの問題を全部まとめて片づける可能性がある。それがもし駄目でも、俺たちには新しい血を入れ、取引相手を見つける希望が残ってる」
「……もう少しだけ、考えさせてください」
シュリはうつむいた。どうしたことか、ひどく顔が熱い。一人で捜すよりも、仲間がいた方がそれは心強い。だが、彼は本当にその――私を?
「選択肢は少ないと思うけどな、好きに選んでくれよ。まあカイラにも連れ合いを見つけてやりたい。俺ぁ旅に出るのを選ぶぜ」
「まだまだ、ザンカには私の世話が必要だろうけどね」
旅か。それなら、とシュリは自分の手札を一つ、場に出す決意をした。
「思いだしたのですが……ここに来る途中で見つけたものがあります。この船とよく似た『宇宙船』の残骸。転換器は残念ながらありませんでしたが」
「おお?」
バレス兄が目を光らせた。
「そりゃひょっとすると……『船』の修理に使えるものは、手に入るかもな」
「そうですね。動かせるようになったら、できることが増えるでしょう」
良いじゃないか、と一座の空気に明るいものが加わる。
「よし、何でもできることからやっていこう。少なくとも、俺たちは最後の生き残りじゃない、それが分かってればどうにでもなるさ」
ナジン兄の指示で、マグが配られる。シュリの手にも、ザンカから湯気の立つそれが手渡された。
「とりあえず、一緒にお茶を飲むところから始めようぜ」
二ッと笑いかけるザンカに、シュリもまだ戸惑いながらどうにか笑みを返す。ナジン兄の音頭に、皆が唱和した。
――我らに、等しく温もりを!