1.吹雪去りて
一週間の間続いた地吹雪が、途切れたらしかった。
観測窓に貼りついた霜に蓄熱スレートを何度も擦りつけて融かし、ザンカはどうにか充分な視界を確保した。西に拡がる「背骨山脈」の稜線が、弱い日差しを受けてバラ色に輝いている。それに、久々に見る空の青。
これなら外に出られる。行くんだ、俺がやらなきゃならない――
「ダンゲ爺! 晴れたぜ、俺ぁ狩りに出る!」
伝声器に向かって叫ぶと、少し遅れてややしわがれた声が返ってきた。
――ああ、頼んだぞ。だが無理はするなよ。
「大丈夫さ!」
元気よく叫ぶと、ザンカは保温スーツのジッパーを襟元まで引っ張り上げて展望室を走り出た。
ザンカたちが住む小さな拠点「船」には、いまのところ二十人ほどが暮らしている。
雪と氷に覆われたこの極寒の平原で人間一人が生きていくには、相当量の食物や燃料が必要だ。だがこのところの悪天候で、備蓄はどれも底をつきかけていた。
すぐにでも狩りに出て、肥えた半機アザラシを狩らねばならない。最低でも五頭、できれば七頭は欲しいところだ。
素手で触れれば皮膚が持っていかれそうに冷えた手すりを手袋越しに掴み、タラップを駆け下りて第三層へ。格納庫へはここからが最短距離だ。
隔壁の二重扉を慎重に操作して、ザンカはヴォルツ・エッジの格納ケージへと足を踏み入れた。
ケージの中に立って機体を見上げる。手足を伸ばせば全長七メートルに達しようかという、力強く柔軟な人型の物体がうずくまった姿勢でザンカを見下ろしていた。
「カイラ! ヤリガンナはどうだ?」
格納庫の隅でストーブにあたっていた人影が、もぞもぞと動いてこちらへ振り向いた。三つ年上の、ザンカの従姉だ。
「……いつでも出られるようにしてある。どうだ、って訊きに来るくらいなら、ちぃとは自分でも整備をやれっての」
「そんなこと言ったって、カイラは俺に工具を触らせねぇだろ」
「そりゃな。ザンカだってそうだろ? お互い相手の職分の訓練は受けてない。受けてないことはやっちゃダメだ。分業ってやつだよな」
カイラはとうとうとまくし立て、たじろいだザンカに向かって最後にウインクを一つよこした。
「だから、ザンカはつまんないことわざわざ言わずに、安心してエッジに乗ってりゃいいのさ」
「――『ヤリガンナ』だ」
ザンカは短く強い口調で、そう訂正した――これは俺ので、俺だけの特別なエッジなんだ。
”機動外装・SKTー818型”
そんな風に読める小さな銘板が、左肩部後方の装甲に取り付けられてはいる。だがザンカをはじめ「船」に住まう一族にとって、本来の名称などには何の意味もなかった。
これはいまや三機しか残っていない一族の共有財産であり、この地で生きるための切り札である「迅き足運びの刃」、その一機。
そして今はザンカが与えた「ヤリガンナ」の名を冠される、彼の誇りと力そのものだった。他の機体とひっくるめて同じように呼ばれるのは気に食わない。
「はいはい、分かったよ。ヤリガンナはザンカにあわせて完璧に調整してあるから、頑張っていい獲物をしとめてきて」
「任せろ」
「期待してるからね、ホントに」
カイラは苦笑して肩をすくめると、格納庫の隅にある小さな扉へ向かった。その向こうには外部への通信機を備えたエッジの管制室がある。
ザンカはヤリガンナの腰あたりにある、小さなコックを掴んで廻した。首後ろから背中の中ほどまでを覆う分厚く盛り上がった装甲カバーが開き、旧世界の「バイク」によく似たうつ伏せでまたがるシートとハンドル、ペダルが現れた。
シートを抱くような形で乗り込み、ハンドルを握ってカバーを閉じる。起動キーを押し込んで数秒後、ちょうど彼の顔が正対する位置にある曲面モニターに、頭部カメラからの映像がくっきりと映し出された。
機体が中腰の姿勢へ移行し、ゆっくりと歩きだす。
「ゲート開けてくれ。ヤリガンナ、出る」
庫内の一方の壁面に吊り下げられた橇付きパレットを掴み、ストラップで後方に引きずりながらゲートの正面に立つ。シャッターカバーが外側へ倒れると、風で巻き上げられた地表の雪が庫内に吹き込んで、吹雪がぶり返したかと錯覚させた。
* * * * *
まばらな青空に垂れこめた雲、その切れ間から差し込む光の階。見渡す限り雪と氷の世界――
ザンカの「ヤリガンナ」は前傾姿勢を保ち、脚部を交互に動かし氷を蹴って胸のすくような速度で滑走している。
氷原のところどころに残る四角い岩山は、もともと人が住む建物だったらしい。いつからこんな風になったのか、ザンカも、ダンゲ爺ら一族の長老たちも、誰も知らない。
ずっと昔のある時、大地を回転させる軸が大きくズレたのだともいう。ザンカたちの父祖は温かい土地を求めて移動する途中、乗っていた「船」の故障でこの「背骨山脈」のふもとに流れ着くことになった。以来、何世代もここで暮らしている。
船に積み込んでいた装備品の一つが、この人型機械「ヴォルツ・エッジ」だ。もともとは汎用可能な物らしいが、今や人間のすねにあたる部分の中ほどから、変形して氷上を滑るための長大な滑走用エッジを展開可能な極地用脚部パーツに換装されている。
(もっとも、他の脚部など補修部品用に分解してしまったか何かで、原形を保ったものなど残ってはいない。カイラが見せてくれた整備マニュアルに、それらしい図版が載っていただけだ)
ザンカはヤリガンナを走らせながら地平線をカメラで追い、獲物を探した。半機アザラシを一頭仕留めれば、十人が一カ月食いつなげる。
いつのころに生み出されたか定かではないが、機械と肉の混在した奇妙な身体を持ち、土と水と空気から体を維持するために必要な物質を自家合成する。ほぼ完全な自己完結型の独立栄養生物だ。
この種の半機生物がいるからこそ、ザンカたちの一族は暮らしていけている。だが、その巨体は堅牢な防御を誇り、必要ならば闘争も選択する荒い気性を持っている。狩りはいつだって、命がけだ。
(いたぞ……!)
モニター画面の一角に、黄色い矢印が浮かび上がる。視線入力でズーム。筒状に丸めた毛布に金属製の型枠をかぶせたような姿が二頭、三頭――いや、その後ろに十頭はいるか?
「イエッホオォォウ! 俺ぁツイてるぜ、大漁じゃないか!」
歓声を上げてそちらへ進路を向ける。子供のころからの体験と知識が、彼の口の中におびただしい量の唾液を分泌させた。
大量の油と、剥ぎ取れる限りの機械部品。それに新鮮な肉があそこにある。ザンカは背負ったモリをその場に打ち込み、パレットのストラップをそこに引っ掛けて固定したうえで再び走り出した。
アザラシの群までは約二千メートル。途中からは緩やかな斜面になっている。
斜面に差し掛かったところで一回機体をホップさせたヤリガンナは、脚部の滑走用エッジを進路に斜めに向け、後方へ倒れ込むような姿勢で制動を掛けながらも速度を保って滑り降りた。
削れた氷が足元から煙のように飛散し空中へ巻き上がる。虹の輝きを帯びた人工の雪嵐をあとに曳きつつ、ヤリガンナは群れに迫った――
「んあッ?」
ふいに違和感を覚えて、モニター画面に目を凝らす。
半機アザラシたちがひどく興奮していた。普通ならこのくらい接近するまでに、奴らは一度くらいは逃走離脱を試みるのだ。だが、この群れはそんな様子もなく、怒り狂ったように突っ込んでくる。
ザンカの鋭い眼はすぐに、その理由らしきものを見つけた。後続の半機アザラシたちの集団に紛れて、その向こう側に横たわっているなにかがある。
その物体から突き出した長いパーツの先端に五指らしきものの形をみとめた瞬間、ザンカは体じゅうの血液が沸騰したように感じた。
(人間……!? いや違う、ありゃあ――)
人間の大きさでないことは、周囲に蠢くアザラシとの対比ですぐに知れる。およそ五メートルから七メートルの、わずかに黄色味を帯びた白い人型。
ヴォルツ・エッジだ。それも恐らくは他所の拠点から来た、別の集団の。
「うぉおおおおお!!」
昂奮と高揚。言葉にならない、何かひどく強烈な予感と衝動が絶叫となってこみ上げる。ヤリガンナの腕を腰に回し、両サイドに装着された分厚い肉斬り鉈を装備した。向かってくる先頭のアザラシの頭部めがけて叩きつけ、ひるんだところに逆の腕で横殴りに頚へ打ち込む。
身長四メートルほどのそいつがどうと横倒しに崩れおち、白い氷原を赤黒い液体でどぼどぼと汚し濡らした。続いて迫りくるもう一頭に、真っ向から突撃しながらも、ザンカの頭はすでにこの先のことを考えていた。
(こいつはもう、狩りどころじゃなくなった……)
他所の集団との交流は絶えて久しいが、ことによるとこれを機に新たなつながりができるかもしれない。雪と氷の中で代わり映えのない生活を繰り返して、一族の先細りな存続を支えていく――そんな未来が、今この瞬間を境に一変するのかもしれなかった。