知らぬ間に、外堀を埋められていた私
「本日、兄上が王太子に指名される事が決まった」
そうメレデリックが重々しい口を開く。その場の周囲の空気は重く、どんよりとしていた。その中でも彼の婚約者、シェリーの専属侍女であるキャローラは唇が真っ青になるほど、小刻みに震えていた。
シェリーはそんな彼女を気遣う視線を送りつつ、婚約者のメレデリックには申し訳なさそうな視線を送っている。そして彼の横には従者であるディナルドが立ち、眉間に皺を寄せて主人であるメレデリックを見ていた。
メレデリックは今まで兄と王位を争っていた。これには複雑な事情がある。
現在国王陛下には正妃と一人の側妃がいる。第二王子が正妃の子で、第一・第三王子が側妃の子。ここまで言えば分かるかもしれないが、国王陛下が側妃の子どもを王位に就けようと画策していたのだ。勿論、国王陛下が側妃を寵愛しているからである。
それでも、第一王子は優秀だから問題はなかった。
王子教育も問題なく終わり、更に騎士団長の指導を経て、文武両道と言われるほどの実力を付けた。その努力は計り知れない。
だが、そんな彼は婚約者がいなかった。だから婚約者を決める重要会議を行ったのだが、その最中、いきなりこう宣言したのだ。
「俺は王太子にならない」
そこから第一王子は父親である国王陛下が狼狽えているうちに、あれよあれよと王位継承権を放棄する書類を提出し、第一王子に頭を下げて頼まれた国王が印を押したのだ。
ちなみに第一王子はその後、騎士団長の娘と結婚し、今は次期騎士団長候補として騎士をまとめている立場にいる。
そして次に白羽の矢が立ったのが、第三王子であるメレデリックだった。
だが、流石に第一王子と同じ事が起きてはならない……なら、功績を上げた王子に立太子をさせようと会議で決まったのだ。最後まで国王陛下はメレデリックを推していたが、順当に行けば次の王太子は第二王子である。国の将来の事を考えると、側妃の息子だからと安易に王太子にするわけにはいかないのだ。
そして第二王子とメレデリックが競い合い……今日の会議で決着がついたのだ。
重苦しい空気を破ったのは、当事者であるはずのメレデリックとシェリーだった。
「ぷっ……」
「うふふ……」
何故か二人同時に吹き出したのだ。先程の空気はどこへやら。止められない事を良い事に、二人の笑い声はだんだん大きくなっていく。
訳の分からないキャローラは主人と王子の気が障ってしまった、と青ざめるが、ここで発言する事はできず顔を真っ青にして俯いていた。だから彼女は気づかない。ディナルドがこちらを見て眉を下げていた事に。
二人はひとしきり笑った後、満面の笑みで握手をした。その姿は恋人、というよりはまるで同志のように見える。
「そろそろ本音で話そうか?シェリー、今までお疲れ様!本当に君が婚約者で良かったよ」
「私もですわ!」
「いや〜、本当にここまでの道のりは面倒だったね」
そういきなり言い出したメレデリックとシェリーを目を丸くして見つめるキャローラ。そしてため息をつくディナルド。
ディナルドは知っていたのだろう。メレデリックに王位を継ぐつもりは全くなく、シェリーと協力して自分達の評価を落とす事なく第二王子を立てようと奮闘していた事を。
「本当に父上には困ったものだ。僕が国王になるには荷が重いと何度も言ったのに」
勿論、彼も優秀である。だが、彼の上には更に優秀な兄がいたのだ。
「兄上も言っていたよ。『一番やる気があって、王に向いているのは弟だ』って。それは僕も同意。僕は領地を治めるので手一杯さ」
「婚約者様も公爵令嬢ですし、どこをどう見てもあのお二人で治めた方が良いと思いますわ」
「父上の悪口はあまり言いたくないのだけれど……政治に愛を持ち込まないでほしいね。さて、これで粗方片付いた。シェリー、もう良いだろうか?」
「ええ、勿論!」
そう言ってメレデリックはシェリーに書類を渡す。それをシェリーは満面の笑みで受け取ったのであった。キャローラが彼女の侍女についてから、今までで一番美しく眩しい笑顔だった。
そんな話があった数日後、キャローラは主人であるシェリーに呼び出されていた。
結局あの話し合いでは、メレデリックとシェリーが協力して第二王子を王位に就けた事しか理解できなかった。あの後それとなくシェリーに書類の件を聞いてみたのだが、曖昧に笑うだけだったので聞く事を諦めたのだ。
そんなシェリーに呼び出されたキャローラは、何故か彼女付きの侍女により着飾られていた。
「ローラにはこっちはどうかしら?」
「良いと思います……でしたら、髪型はハーフアップにでもしましょうか?」
「それが良いわ!」
何故かキャローラそっちのけで、侍女とシェリーは彼女を着飾っていく。「何故か」と口を挟むものの、いつの間にか話題を変えられていて肝心なところで、シェリーに尋ねる事はできなかった。
そしてキャローラを着飾って満足したシェリーは、「私も」と言って、侍女と共に部屋を出ていった。訳が分かっていないキャローラを残して。
シェリーの支度が終わるまで、キャローラは固まったままずっと椅子に座っていた。
キャローラはシェリーの家の分家に属する子爵家の人間だ。最初は行儀見習いとして彼女に付いていたのだが、シェリーの気高さに惹かれ、行儀見習い後も彼女付きの侍女として働きたいと願い、それが実現した形である。
彼女の両親も、キャローラの初めてのワガママであった事、シェリーが「それならば」と受け入れてくれた事で、今まで彼女は専属として働く事ができたのである。
そして支度が終わったシェリーと何故か同じ馬車に乗り、どこかへ向かっている。疑問だらけの彼女の行動に首を傾げていると、目が合ったシェリーがニコリと笑った。
「大丈夫。悪いようにはしないわ」
キャローラのシェリーに対する忠誠は誰よりも高い。だから、彼女がそう言うなら大丈夫だろうと考え、首を縦に振ったのだが――。
まさか着いた場所は王城で、その上シェリーによって王城のある一室に放り込まれたキャローラを待っていたのは、メレデリックであるとは思わなかった。
彼はシェリーの婚約者である。その婚約者と何故二人っきりになっているのだろうか、と疑問が渦巻く。後ろの扉は開いているとは言え、婚約者でもない子爵令嬢であるキャローラがここにいる事は問題だ。
シェリーは「この部屋から出ちゃダメよ?」と言って去っていった。主人の命を聞くべきか、この状況から逃れるべきか……混乱しているうちに、いつの間にか彼女は扉から遠いソファーに座らされていた。そしてメレデリックは対面のソファーに座っている。
これは、逃げ出せないやつだ……とキャローラは腹を括った。叱責されたなら仕方がない、と。
そんな彼女の気持ちを察したのか、メレデリックは話し始めた。
「キャローラ嬢、いきなり連れてこられて驚いただろう?申し訳ない。僕がバークス嬢に頼んだんだ」
キャローラは、そうメレデリックから言われて目を瞬かせた。
バークスとは、シェリーの家名である。婚約者であるはずのシェリーを家名で呼んだ、この事から理解できるのはひとつ。
「あの、お聞きして宜しいでしょうか?」
「ああ、何でも良いよ?」
「お嬢様とは婚約を解消されたのですか?」
「そう。一昨日婚約は解消されたよ」
そう聞けば、「流石だ」と言ってメレデリックはキャローラに満面の笑みを見せる。その不意打ちとも言える笑みに見惚れてしまい、キャローラは頬を赤く染めた。
だが、彼に見惚れている場合でもない。キャローラは思い切ってメレデリックに尋ねる。
「何故でしょうか?あんなに仲睦まじくされていましたよね……?」
キャローラから見て、二人は仲の良い婚約者同士に見えていた。その姿を見て彼女の胸がズキン、と痛むくらいには。だから彼女から言わせれば、二人が婚約解消をするなんて信じられなかったのだ。
最初はキョトン、と目を丸くしていたメレデリックだったが、具体的な事を話していけば「なるほどね」と笑い出した。
「バークス嬢とは協力関係だったんだ。キャローラ嬢はこの前の話を聞いて、僕たちが第二王子を王位に就けようとしていた事は気づいていただろう?」
「はい」
「僕たちの目的はふたつ。ひとつ目は兄上を王太子にする事、そしてもうひとつは、その後婚約解消して……」
ふとメレデリックの視線がキャローラの視線と交わる。その視線に欲情が含まれているような気がして、彼女はメレデリックから視線を逸らす事ができない。
主人の婚約者だからと目を逸らしていた。この恋は実る事がない、と蓋をしていたのだ。王位に第二王子が就くと聞いた時に悲しんだのも、てっきり二人が王位に就きたいと考えていたのだと思っての事だった。
期待しても良いのだろうか、でも……と彼女の頭の中では、期待する思いとそれを否定する思いが混在していた。
だが、そんな彼女の想いを他所に、彼はきっぱりと言い放った。
「キャローラ嬢に結婚を申し込むつもりでいたのさ。キャローラ嬢、僕と婚約してくれないかな?」
メレデリックに婚約の申し込みをされ、頭がついていかないキャローラ。混乱した頭の中で何とか絞り出した言葉は「私に……ですか?」という疑問だった。
「そう。僕は結婚するならキャローラ嬢がいい」
「何故」とか「身分が」とか、言いたい事は沢山ある。だが、それ以上の多幸感と、困惑で彼女の頭の中は錯綜していた。キャローラの耳によく聞く声が届いたのは、やっとこさ、メレデリックになんて返事をすればいいのだろうか、と考え出したそんな時だ。
「殿下、こちらは終わりましたよ。ちゃんとローラから、返事を貰えました?」
「いや、まだだよ。今申し込みをしたところだ」
「あら、少々早まってしまいましたか?」
「いや、来てくれて良かったかもしれないな……相当混乱しているようだ」
「仕方ありませんよ。キャローラ嬢は全く気づいておりませんでしたからね……」
そう最後に申し訳なさそうに話していたのはディナルドである。メレデリックの侍従である彼が、どうしてシェリーと一緒にいるのだろう。しかもよく見ると、いつも以上に彼らの距離が近い。
そんな事を考えていたキャローラに説明し出したのは、シェリーだった。
「私と殿下は元々お互い協力し合う同志であって、恋愛感情はないの」
「そうなのですか?!」
初めて聞く話である。
「バークス嬢は僕と婚約する前に、ディナルドとの婚約話が上がっていたんだ」
ディナルドの家は侯爵家。お互いの格も問題なく、ディナルドは第三王子の側近。メレデリックは将来臣籍降下するだろうが、その時もディナルドとシェリーの二人が付いていき、二人でメレデリックを支えるつもりだったらしいのだが……。
「その前にバークス嬢との婚約が決まってしまった。父が強引にねじ込んだんだ」
「あの時は本当に驚いたわね……今だから言えるけれど、一日泣き明かしたわ」
「僕の事情に巻き込んで本当に申し訳なかった」
「いえ、殿下のせいではありませんわ」
頬に触りながら、首を傾げて言うシェリーが可愛らしいのだろう、隣にいるディナルドは顔が真っ赤である。
「その事を分かっていたから、最初は婚約解消だけだったのだけれど……途中でキャローラ、君と出会ったんだ」
「まさか、殿下がローラを気に入るとは思っておりませんでしたの。元々ローラには王宮の雰囲気を感じてほしいと思って連れてきていたのですから」
そういえば、侍女長からそんな話を聞いた事あったな、とキャローラは思った。
侍女長が言っていたのである。キャローラは非常に真面目で勤勉だったため、シェリー付きの侍女として王城へ付いていくのは問題ないと判断されたらしい。
そのためシェリーからは、「デビュタント前に王城の空気になれたら良いわ」と言われ、何度か王城に彼女のお付きとして来ていたのだ。
数回だけかと思っていたキャローラだったが、いつの間にやら毎回キャローラがシェリーのお付きになっていた事に、最初は疑問を持っていたのを思い出した。
「キャローラの結婚相手は、私共が責任を持って探す予定でしたけれど……」
「いや、そんな事はしなくて良い!キャローラは私と結婚するんだ!」
「だそうよ、ローラ?」
「で、ですがお嬢様!私は子爵令嬢です……殿下には釣り合いませんわ」
彼女は心が僅かに痛む。確かにメレデリックに対して敬愛や好意を持ち合わせている。だが、身分だけではなく、容姿、性格等々……全てにおいて彼と釣り合いが取れているとは思わない。
そう思い、「申し訳ございませんが……」と頭を下げようとしたところ、シェリーが話し始めた。
「だから言ったではありませんか。ローラは非常に真面目な子なのです。何も説明しない状態で言えば、不相応だと拒否されると」
シェリーは自信満々に胸を張ってメレデリックに言い放つ。彼女の様子に彼は頭を掻いていた。どうやら痛いところを衝かれたらしい。
メレデリックに言って満足したのか、シェリーの視線はキャローラに戻り、まるで母が娘を見るような慈愛の眼で、キャローラを見た。
「ローラが殿下に敬愛の念を抱いているのは知っているわ。だから、こちらで手を打っておいたの」
慈愛の笑みが小悪魔の笑みに変わっていく。
「ローラ、貴女はバークス家の養女になってから殿下に嫁ぐのよ。ああ、勿論貴女の御両親には許可を得ているわ。『ローラが是、というならば』という条件は付いているけれどね」
「えっ?」
いつの間にそんな話をしたのだろうか、と記憶を探ると、確かに年始の挨拶の時にキャローラの両親が侯爵と話していた事を思い出す。
きっとあの時なのだろう。
「身分も問題なし、貴女だって磨けば美しい貴族令嬢よ。それに結果を残すために努力をする姿勢は素晴らしいわ」
既にシェリーはキャローラの考えている事などお見通しらしい。
彼女の視線に気まずくなってメレデリックに戻すと、そこにはまるで猛獣のような視線を送る彼がいる。これはきっと彼からは逃れられない、そんな予感がした。
キャローラの予想は当たり、外堀を埋められるまで、後少し。
拙作を読んでいただき、ありがとうございました。
この作品は、現在完結している連載の執筆時に、ふと思い浮かんだアイディアを執筆したものです。前半部分が書きたくて、その場のノリと勢いで執筆したものになります。細かな設定等は考えていませんので、ご了承ください。
ブックマーク、評価等もよろしくお願いします。
また現在執筆中&最近完結した作品もありますので、宜しければ見てやってください。
記憶喪失の私と番
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【完結】私、もう興味がありませんのーー虐げられた愛し子は隣国でお店を開く事にしました
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