88. 光の道標(アレクのエピローグ)
「父上、あれは一体、なんだったんですか?」
サロンでブランデーを飲みながら、私は父に文句を言う。
「お前の望み通りだろう。婚約者とおおっぴらにイチャイチャする仕事を作るなど、なかなかできないぞ」
私はため息をついた。できないんじゃなく、普通はやらない。
「あれでは、嫁いびりだと誤解されましたよ」
嫌味っぽくそう言ったが、父は愉快そうに笑っただけだった。
「結構じゃないか。舅にいじめられる嫁!不憫に思われ、敵はいなくなるぞ。あの娘は後見もないし、父親も派閥に属してない。人の心を拠り所にするしかないのだからな。むしろ、うまくやったと褒めてもらいたいくらいだ」
「父上、まさか、そのためだけにあんな芝居を?」
「そんなわけないだろう。婚前交渉を悪しとするのは、時代の流れに逆行している。未だに身籠った未婚の娘を恥じて、修道院に送り込む親も多い。こういうことは、男女の両方に責任がある。女性の人権を守るという意味でも、古い考えは王室から変えていくべきだ」
真面目なのか不真面目なのか。父には読めないところが多い。腹黒国王。
「あの慈善病院には、王室から責任者を出したかったところだ。王太子妃が公務で携われば、お前の支持も上がろう。本人の参考にもなる。一石二鳥だ」
「敵いませんね、父上には。その政治手腕、私には足元にも及びません」
「蛇の道は蛇と言うだろう。お前のように、正道を行くのもいいが、大事なのは結果だ。国民みなが幸福になる決断をすることが、何より重要なのだからな」
「肝に銘じます。これからもご指導ください」
父はまた私の頭をくしゃくしゃと撫でて、嬉しそうに目を細めた。
「よい娘を見つけたな。お前は見る目がある。あの娘は早々に私の芝居に気が付いたぞ。彼女を侮るな。あれは、真実を見極められる者だ」
セシルも同じことを言った。クララには、王族を理解して支えられる器があると。
「もう下がれ。クララ嬢を待たせるな。日々精進するとは、けなげじゃないか。お前も励めよ。抱いた後で振られるなんて、王族の恥晒しだぞ」
「誤解です!あのときはまだ……」
父はニヤニヤと笑っている。からかわれた。本当に食えない人だ。
だが、父の子に生まれたことに感謝した。自慢の父だ。そして、私も父の自慢の息子でいたいと、切に願った。
部屋に戻ると、すべての支度が整っていた。晩餐の様子は、今夜中には王宮内に、明日には新聞で国中に広まるだろう。
クララはベッドに腰掛けて、私の帰りを待っていた。頬を上気させて、俯いている。
髪をそっと撫でると、彼女はビクッと身体を震わせた。見上げる瞳は熱で潤んで、とても艶めかしい。
「今日から、ずっと一緒だ」
クララの頬に口づける。彼女は私の首に腕を回して、耳元でそっと囁いた。
「はい。末永く、よろしくお願いします」
そのままクララを押し倒すと、私は強力な結界を張った。これで朝まで誰も入れないし、中の音も外にはもれない。
彼女の目をまっすぐに見て、私は笑いながらこう言った。
「さあ、今夜も楽しい王族の仕事をしようか」
私の言葉を聞いて、クララはにっこりと微笑んだ。
「はい。アレクシス様、愛しています」
そうして、その翌日から、クララの過酷な王太子妃教育と王族の仕事人生が始まった。それについては、王室付作家である宰相夫人のノンフィクション小説を読めばいい。クララの奮闘は、読む者の勇気を奮い起こすことだろう。
数年後には、北方勢力が壊滅した。そして、世界に真の平和が訪れた頃、私は王位を継いだ。王妃となったクララは、三人目の子を身籠っていたが、相変わらず美しかった。
クララに生き写しの第一王女は、宰相のたっての願いで、その息子と婚約した。まだケンカ相手だが、クララの幼い頃を見ているようで、少し妬けてしまったものだ。
やがて、私の治世で王国は全盛を迎えた。そんな私の側には、いつでも美しい王妃とかわいい子供たちがいた。
家族の大きな愛に支えられて、私の人生は光り輝くものとなったのだ。
父は侍女長だけを連れて、『秘密の花園』に隠居用の邸宅を構えた。毎日のように訪れる孫たちの相手で忙しそうだった。
二人がどういう関係なのか、実のところ定かではなかった。だが、父の穏やかな生活を見れば、天国の母上もきっと喜んでくれただろう。
孫が学齢に達する頃には、西国から懐かしい友が戻ってきた。私たちは再会を喜びあったが、元婚約者のよしみと、彼がクララにべったりなのには閉口した。
その賢者が設立した魔法学校に、魔力ある孫たちが揃って入学した。そこには、西国の農村出身だという天才魔術師もいた。
その両親や祖父母について、詳しく聞いたことはない。だが、銀髪と群青色の瞳をした超絶美形の男子は、学園のアイドルらしい。その素晴らしい才能と優れた気質から、やがてはいい臣下になると目されている。
学園の緑の中で、彼らも人生の永遠の輝きを見つけるのだろう。
そして今、私たちは『秘密の花園』にあるコテージで、余生を楽しんでいる。長い人生の秋になって、ようやく王族の務めから離れて、二人きりで自由な時間を過ごしているのだ。
あの日、ここで約束してくれたように、彼女はずっと私のそばにいた。今日も彼女は、裸足で草原に立ってこう言うのだ。
「本当に素敵なところね。天国みたいだわ」
そう。ここは天国。そして君が私の天使。いつまでも一緒にいよう。ずっと共に生きよう。決して離れることなく。
頬を撫でる風は暖かく、私たちはブランケットの上に寝転んだまま、のんびりと流れる雲を数えていた。そして、彼女は私に愛をささやく。
「アレクシス様、愛しています」
私も君を愛している。永遠に愛し続ける。この約束は、決して破られることはない。
そして、私たちが勝ち取った幸せの輝きは消えることなく、遥か未来を照らす光の道標となったのだった。
【完】