83. 恋人たちの時間(アレクの視点)
腕の中で、クララはすやすや眠っている。私に抱きしめられても、リラックスしてくれるのはいい傾向だ。
少なくとも、私のことは嫌っていない。いや、好いてくれていると思う。
昨夜、皆にさんざん諭された。女性を口説くのに、焦ってはいけないと。
外堀を埋めるのが一つの手。だが、部下の婚約者を略奪し、寝室に囲っている時点で、もはや根回しもへったくれもあったもんじゃない。
王宮中が、いや、国中がクララを私の想い人だと認識している。
そうなると、内から攻めるべきだった。悪友の中には、肉体の繋がりで女性を魅了する方法を主張する者もいた。だが、それについては却下された。
共寝をした翌朝に求婚を断られた事実から、私には無理だと判断されたらしい。酷い誤解だ。
結局、精神的な距離を縮めるという正攻法が、一番いいということになった。
ロマンチックなデートに誘い、美味しいものを食べさせ、高価なプレゼントをする。容姿や性格の素晴らしさを褒め称え、歯が浮くまで愛の言葉をささやく。
これが基本だそうだ。恋の手練とは、奥が深い。
直射日光に当たらないよう、私はクララに白い日傘を差し掛けた。ここに人はいない。だが、傘の影に入ったことで、なんとなくプライベートな空間にいる気分が増した。キスをしたいという衝動が抑えられない。
何度もついばむような軽いキスをすると、クララは私の胸に頬を擦り付けるように抱きついてきた。
こんな可憐な生き物が存在するなんて、この世の奇跡だと思う。
「殿下。昨日は、ごめんなさい」
「ごめん、起こしたかな?」
「いえ。それより、聞いてもらいたいことが」
「何?」
クララは私の胸に顔をうずめたまま、さらに私をぎゅっと抱きしめた。耳が真っ赤だ。
こんな可愛いのは反則だ。それがどんな話であっても、なんでも聞いてやりたくなる。
「殿下が好きです。好きで好きで、どうしようもないくらい好き。だから、側にいられるなら、何でもよかったんです」
クララの肩が震えている。私は腕に力を込めた。大丈夫、ちゃんと聞いている。そう伝えたくて。
「正妃の責任が重いとか、きちんと務める自信がないとか。ちゃんと向き合わずに逃げてしまって、本当にごめんなさい」
彼女は平民に近い男爵家の生まれ。自由な個人として育った。その中で培われた健やかで伸びやかな気質こそ、私が惹かれて止まない魅力だ。
そんなクララの前でだけ、私は王族ではなくて個人として、素直な感情を解放することができる。それが私にとって、どれほど貴重か。クララには想像できないだろう。
「いいんだ。私が焦りすぎた。王族になるということは、簡単なことじゃない。君の気持ちを考えずに、一方的な気持ちを押し付けたのだから、断られて当然だと思う」
「違います。そうじゃないんです!」
クララが半身を起こしたので、私もクララを離して起き上がった。
「ずっと側にいたいんです。殿下の覚悟を、私も一緒に。最初はうまくできないだろうけど、一生懸命努力します。だから、チャンスをください」
「クララ、私は……」
「殿下、あなたを愛しています。私と結婚してください!」
クララの告白と求婚に、胸がいっぱいになった。その華奢な体に宿る魂は、美しく清らかで強い。
彼女に手練を使おうとした自分が恥ずかしかった。その真っ直ぐな気性に憧憬を抱いて、自分もそうありたいと願ってきた。その正しい心を、ずっと愛してきたというのに。
「君には敵わないな。いつも一歩先を行かれてしまう」
「あの、お返事は?プロポーズを受けていただけますか?」
心配そうに見上げてくるクララに、私は満面の笑みで答えた。
「もちろん。喜んで受けるよ」
私の答えを聞いて、クララが抱きついてきた。長い長い片思いが終わって、私たちはやっと、恋人同士になったのだ。
それから、私たちは色々なことを話し合った。今までのこと、これからのこと、子供の頃のこと、将来の夢。
言えなかった気持ちや、言いたかった思い、そういうものをなんでも思いついただけ、素直な言葉で伝えあった。
「君に市場で再会したとき、なんて強烈な子になったんだろうって思ったよ」
「あのときは、先輩が王太子殿下だって知らなかったから」
「そうだね。僕たちはずっと、ただの先輩と後輩だった。でも、あれが僕たちの本来の姿だったね」
「やだ、先輩!私じゃなくて、僕って言ってる!」
「君だって、先輩って呼んでるじゃないか」
そうだ。僕はずっと僕だった。本来の僕の心で、ずっとクララと触れ合ってきたんだ。
「僕は王太子じゃなくて、ただのアレク。まだ未熟者だから、それでいいだろ?」
「そうね。王太子殿下はちょっと年寄りくさいわ。アレク先輩のほうがいい。じゃあ、私もただの後輩のクララでいい?」
「もちろん!君が気取った令嬢なんて、見てて吹き出しそうだったよ」
「ひどい!」
クララはそう言いながら靴を脱いだ。裸足になって草の上に立つ。風がサラサラとなでてる金髪が、太陽の光に反射してキラキラと輝いている。
その眩しさに、僕は思わず目を細めた。
「気持ちいいね!素敵なところ。天国にいるみたい!」
「本当にそうだね。気に入ってくれて嬉しいよ。これからも、ちょくちょくに遊びに来よう。暑い日は、湖で泳げるんだ。向こうには、小さなコテージがある。いい隠れ家だよ。お昼を食べたら案内しよう」
「嬉しい!楽しみだわ。あー、おなかペコペコ」
僕たちは、バスケットから昼食を取り出した。学園のランチでしたように、仲良く分け合って食べる。
クララと一緒のランチは、いつも美味しかった。でも、今日が今までで一番美味しいと思った。
これからは、どんな食事も美味しく食べられる。きっとすべてが幸せで満ちていく。
その日、僕たちは王宮へ戻らずに、コテージに泊まった。満天の星空の下で、永遠の忠誠を誓い合う。
もう、僕たちを引き離すものはない。これからはずっと一緒に、同じ人生を歩んでいく。
そしてその夜、クララは僕の妻となった。