76. 添い寝の理由 (アレクの視点)
カイルが去った喪失感は大きい。みなが彼を惜しんでいた。だが、ゆっくり感傷に浸る暇はない。
テロ撲滅のため、国際規範や制裁規定の需要が増した。当事国として、討議に参加する必要がある。各国からの慰問や応援も絶えず、その対応に追われる。
結局、部屋に戻る時間すら取れない。ようやく父が帰還して安堵した頃、クララがローランドを訪ねたことを知った。私はまた激しく後悔した。
クララは療養中のヘザーを見舞っただけだ。だが、私を見限って、そのまま王宮を去る可能性は十分にあった。
今夜こそ、きちんと話そう。恋愛にはコミュニケーションが大事らしい。もちろん、スキンシップが最終目的だと力説されたが。
その日は鬼のごとく仕事を片付けた。それでも、執務室を出たのは、午後九時を少し回ったくらいだった。
そんなに早く、私が戻るとは思わなかったのだろう。控室からメイドたちの雑談が聞こえた。
「殿下は薄情です。ずっとクララ様を放置して」
「見損ないましたわ。あんな広いベッドに一人寝させるなんて」
「寒々しい部屋で、薄い夜着を着せてね。鬼だわ」
「温めてあげる気もないのに!」
どうやら、私のクララへの仕打ちに、メイドたちは心底腹を立てているようだ。それはそうだろう。寝室に愛する女性を囲っておいて、なんのケアもしていないのだ。反論の余地もない。
だが、なぜクララを寒がらせたままに?温かい部屋や衣服を用意するべきだろう。
「今日は泣いてらしたわ」
「お寂しいのよ。王宮には知り合いも少ないし」
「抱きしめてあげないと、鬱になってしまうわ」
「人肌って癒やしですものね」
「子供が添い寝を好むのは、まさにそれ」
「ほぼ軟禁状態ですもの。不安になって当然だわ」
知らなかった。クララが寂しさで情緒不安定に!泣くほど精神がまいっていたのか。彼女が安心できるなら、一晩中でも抱きしめてやりたい。私が癒やしてやることはできるだろうか。
メイドたちに気付かれないよう、音を立てずに部屋のドアを開けた。あの会話を聞かれたと知ったら、メイドたちもいたたまれないだろう。クララを思ってのことだ。この件は不問に処す。私は後ろ手で、そっとドアを閉めた。
後で分かったことだが、メイドたちは私が聞いているのを、もちろん知っていた。寝室がいつも寒いわけでも、クララが欝というわけでもなかった。全部が嘘ではないが、正確な情報でもない。
つまり、あの会話は私に聞かせるためのもの。彼らの完全なる善意がなし得た業だったのだ。
クララはすでにぐっすりと眠っていた。確かに瞼が少し赤くて、僅かに熱を持っていた。聞いた通り、とても薄い寝間着に身を包んでいる。
ずいぶん名前を呼んでみたが、全く起きる気配がない。ストレス過多だと、人はよく眠ると聞いた。そういう状態なのかもしれない。
そっと頭を撫でていると、「殿下」と寝言を言った。「可愛い」と心の声が漏れてしまい、誰も聞いていないのに、かなり照れた。
そのとき、クララが身震いをした。寒いのかもしれない。強い使命感に駆られ、私はシャツを脱いでベッドに入った。
人を温めるには全裸になるといい。だが、さすがに下は脱がなくていいだろう。雪山で遭難したわけじゃないのだから。
それに、下半身に関しては色々な意味で、不具合なことが生じてしまう可能性もある。目が覚めたクララが驚くかもしれないし、今後の関係に支障が出たら困る。
クララに嫌われたら立ち直れない。
ぐっすり眠るクララを、背中から抱きすくめた。夜着は布地が薄く、生身の体の柔らかさが感じられる。髪や首筋からはいい匂いがするし、密着した体からクララの熱が伝わる。
確かに、その肌の温かさは、私の癒やしになった。だが、どちらかというと興奮というか、苦悩というか。そういう感覚のほうが強い。
クララを悲しませた罰として、この煩悩に打ち勝たねばならない。しっかりしろ。挫けるな。東の国の『禅』なるものの精神を見倣うのだ。
しばらくは厳しかったが、やがて私も眠りに落ちた。ここ数週間、いつも仕事に追われていたし、考えることがありすぎて、仮眠を取っていても脳は目覚めていた。今は頭の中はクララのことだけ。紛れもない癒やしだ。
私はそのままぐっすり眠り、いつもの癖なのか、かなり早朝に目覚めてしまった。そして、腕の中で眠るクララの寝顔を見たとき、私はようやく人としての幸福を手に入れたと思った。
上半身を起こし、しばらくの間クララの寝顔を見つめていると、その白い首筋に私の印を刻みたいという欲求に、抵抗できなくなった。
クララの上に覆いかぶさるようにして、首筋にキスマークをつける。その姿を、朝の支度に来たメイドに、ばっちり見られてしまった。
メイドは急いで出ていこうとしたが、私はそれを遮った。あんな場面を見られてしまい、気恥ずかしさもあったので、クララが起きるまで政務に戻ることにした。
「クララは疲れている。好きなだけ寝かせてやってくれ」
「承知いたしました」
メイドは顔を真っ赤にしている。そういえば、私は上半身裸だった。若いメイドに裸体を晒すのはよくない。ベッドから出る前に、さっとバスローブを羽織った。
「クララが起きたら、連絡をしてくれ」
「必ずお知らせいたします」
別室で手早く身支度をして、すぐに部屋を出た。
気持ちがいい朝だ。バラ園で薔薇を摘もう。クララには白い薔薇が似合う。そして、一緒に朝食を取って、すぐにプロポーズをしよう。今日からは王太子の婚約者として、いつも傍らにいてもらい、共に食事をとり一緒に眠る。そんな普通の生活ができる。
私はそんなことを考えて、気分を高揚させていた。
思えば、あのときが私の幸せの絶頂だった。まさに頭の中がお花畑状態。まさか、その数時間後に人生のどん底に突き落とされることになるとは、夢にも思わずに。
私は考えが、非常に甘かったのだった。