73. ヘザーの惚気
あのテロで、ヘザーは重傷を負った。一時は命も危ぶまれたけれど、救命魔法のおかげで一命をとりとめた。
その後しばらくは面会謝絶。それでも、三週間目くらいには自宅療養へと切り替わっていた。
国王陛下も王都に帰還し、国内の情勢もずいぶんと落ち着いてきた。そんな中、私はこっそりと筆頭公爵家を訪ねることにした。ヘザーはローランドの屋敷にいると聞いたから。
公爵家には昔から何度も遊びに来ている。ヘザーのお見舞いに来たと告げると、顔見知りの使用人たちは喜んで案内をしてくれた。
案の定、通された部屋はローランドの寝室。つまり、二人は同じ部屋で、一緒に寝ているってこと。
真新しい天蓋つきの大きなベッドに、ヘザーは上半身を起こして座っていた。ぐるっとカーテンを引けば、ベッド上でのプライバシーが守れる仕組み。どう見ても新婚用だ。
「クララ!こっちに来て、よく顔を見せて!」
ヘザーは涙で顔をぐちゃぐちゃにして、私に腕を伸ばした。元気なヘザーを見て、私も涙がこみ上げる。二人して抱き合って、互いの無事を喜んだ。
ひとしきり泣いたあと、私たちは離れていた時間を取り戻すかのように、おしゃべりに興じた。
「全部聞いたわよ。クララが助けてくれたんですってね!」
「ヘザーが私を助けてくれたのよ。落下物から庇ってくれた」
「あれは当たり前でしょ。じゃなきゃ、下敷きになってたわよ」
「だから、私も同じことをしただけ。親友を助けるのは当たり前でしょ?」
私たちは、ふふふと笑い合った。あのテロの中を、私たちは無事に生き抜いたのだ。
「具合はどう?まだ、ベッドから出られないの?」
「もうすっかりいいのよ。傷は治っているけど、神経が圧迫されたせいで、足に麻痺が残ってて。リハビリが必要なの。杖を使えば歩けるんだけど、今朝は腰が立たなくて」
今朝は?それは一体どういう意味?ふと見ると、ヘザーは顔を赤くしていた。な、なるほど、女子会トークの定番の事情か。
「えーと、それは。夜の営み疲れってこと?」
「うん、まあ、つまりは」
「あの男、怪我してる女性に!鬼畜だわ」
「怪我は問題ないの。大事を取って長めに入院をしてたんだけど、そういうことになったので出されちゃったのよ。それだけ元気ならって。ローランドは私よりも回復が早かったから。あいつ、普段から鍛えてるでしょ?」
これは惚気だよね?つまり、病床での不適切な行為がバレて、追い出されたということ?
ないでしょ、ないない。普通ないよ!猿じゃないんだよ、人間だよ?
そうは思ったけれど、人間も動物だ。動物というのは生命の危機に直面したときに、子孫を残そうという本能が働くらしい。
うーん、ということは、やっぱり二人は猿なのかな?理性より本能って……。
「そ、そうなんだ。いや、私はローランドの鍛えた体とか見たことないし、ちょっとよく分からないけど。そっか、えーと、よ、よかったね?」
とりあえず、そう言ってみた。ヘザーはものすごく恥ずかしそうに、でも、嬉しくて仕方ないというように、夫婦のアレコレを話しだした。
「それでね、式はリハビリ後にしようってことになったの。でも、婚姻届だけは先に済ませるわ。順序が逆になったら、恥ずかしいし」
それは赤ちゃんの話?まあ、貴族社会に授かり婚は聞かない。婚前交渉に寛大になったとはいえ、避妊は基本だ。
「ローランドは、すぐにでも欲しいみたいなのよ。前からそうだったじゃない? 癒やしになるって。だから急いでいるのよね。でも、式はやっぱりお腹が目立たないうちがいいと思って」
あー、もう勝手にして!その手の話は、未経験者にはちょっとつらい。
でも、ヘザーがすごく幸せそうなので、それでいいのかなって思う。王女様のときも思ったけれど、女性ホルモンというのはすごい働き者なんだと思う。ヘザーからも色気がダダ漏れだ。
それにしても、ローランドはがっつき過ぎだ。二人ともあんなに大怪我だったんだよ?いくらヘザーが好きだからって。
そのとき、急に胸にストンと、何かが落ちた気がした。そうか、そうだよね。
ヘザーとローランドは愛し合う婚約者同士。二人がそれで幸せなら、外野がヤイヤイ言う筋合いはない。それは、公爵夫妻も伯爵様も同じ意見なんだろう。
結婚前から子作りに励んでいるというのは、かなり熱に浮かされている感はあるけど、まあ若いし。
「とにかく、ローランドのことは気しなくていいからね。あいつのことは、もう大丈夫。それより、そっちはどうなの? 殿下とは……」
聞かれたくないことを、聞かれてしまった。殿下は、テロの事後処理や外交で忙しく、姿をまともに見かけることさえ稀だ。話をする時間すらない。
つまり、放置されている。そう思うと、落ち込んできた。ヘザーと同じく、私だって同じ部屋に寝ているのに、手も一切出されてない。
カイルじゃなく殿下とは……って聞いてきたということは、もう私の婚約解消のことは知れ渡っているんだ。そして、当然その理由も。
さすが、ヘザー。情報ネットの鬼だ。
ヘザーの質問にうっと詰まってしまったせいか、それ以上は何も聞かれなかった。そして、なぜかヘザーの惚気もストップしてしまった。
なんでだろう。急に話をやめちゃうなんて。私が殿下とうまく行ってないので、気を使ったのかな?
大人の階段を先に登ってしまったヘザー。階下でうろうろしている私じゃ、話し相手にならなくても仕方ない。
本人は元気だというけれど、色々と疲れているだろう。そういう大人の配慮で、私は一時間ほどで公爵邸を辞すことにした。
ヘザーは見送ると言い張ったけれど、それは固辞して一人で玄関へ向かう。
そして、階段を降りたロビーで、よく知っている男性の姿を見かけたのだ。もちろん、それはローランドだった。