72. カイルとの別離
テロの死亡者はシャザードだけ。でも、怪我人は多数出ていた。聖女様たちでも、すべての傷を簡単に治せるわけじゃない。
カイルは軽傷だったので、魔術師の欠員を埋めるために、忙しく立ち働いていた。
そんなカイルが私を訪ねてきたのは、事件から一週間が経った頃だった。
「あのときは、危険な目に合わせてしまって、本当に悪かった」
開口一番、カイルは私に頭を下げた。私は慌てて頭を上げてくれるよう頼む。カイルに謝ってもらうようなことは何もない。
王宮のバラ園を散歩しながら、私たちはポツポツと話をした。
今回のことで、カイルは魔術師になることに決めた。ずっと魔力を隠していたけれど、それは持てる者としての責任を放棄していただけだと。そう気が付いたと、カイルは打ち明けてくれた。
魔法を本格的に学ぶために、レイ様の師匠のいる西国に旅立つという。
「ずっと騎士になりたかった。好きだった子と約束したから。彼女だけの騎士になるって」
「前に……、言ってた子?」
学園の薬草園で、私たちは短い恋バナをした。あのとき、カイルは好きだった子がいると言っていた。男子じゃなくて女子で。
「彼女を守りきれなかったんだ」
それって、カイルが愛した少女は、亡くなってしまったということ?気にはなったけれど、それは聞かないことにした。辛いことを思い出させる必要はない。
「やっと騎士になって、今度こそ君を守れると思った。でも、やっぱり守れなかった」
「そんなことないわ!カイルが庇ってくれたから、私は無事に……」
カイルは、申し訳なさそうに首を振った。どう言えばカイルが納得してくれるのだろう。それが分からなくて、私は口を噤んだ。
もしかしたら、カイルはただ、話を聞いてほしいだけかもしれない。私は黙って、カイルが再び話し出すのを待った。
「力で保護するだけが、守るということじゃない。平和な世界を作ることや幸せを願うこと、その幸せを見守り続けること。相手を思いやる気持ちが、大きな守りになる」
それを聞いて、私でもカイルの意図することが分かってしまった。カイルは婚約を解消して、私を自由にするつもりだ。そのために、わざわざ私に会いに来てくれたんだ。
カイルから、愛を告げられたことはない。でも、いつもいつでも、私の味方をしてくれた。そして、それは不器用なカイルらしい慈しみ方だった。
「魔法量を考えれば、本来なら魔術師になるべきだった。きちんと修業を積んでいれば、シャザードにも対抗できたかもしれない。大切な人の未来を守ってあげられたのに」
目からあふれる涙をこらえて、私はカイルに小さな箱を差し出した。それは、カイルの求婚を受けた夜にもらった指輪だった。
カイルは黙ってそれを受け取り、そっと蓋を開ける。その中には、あの可愛い花を象った指輪が納まっていた。
「これは『チューダー・ローズ』と呼ばれる花なんだ。ガーネットは祖母の愛した石。命を繋ぐ血の色だ。ほんの少しの間だったけれど、君の指を飾れてよかった」
私は声を出さずに泣いた。カイルの真心に報いることができないことが、悲しくて申し訳なくて泣いた。そんな私をカイルは抱きしめ、泣き止むまで背中をさすってくれていた。
カイルは本当に最後の最後まで、私に惜しみない優しさを示し、誠を尽くしてくれた。本物の私の騎士だった。
「十年か二十年か。魔術師になれるまで、どのくらいかかるか分からない。でも、いつか一人前になったら、この国に戻ってくるよ。君の子どもたちの未来を見守れるように」
そして、カイルは思い出したように、ポケットから小さな箱を取り出した。それは、私がカイルに返した箱と同じくらいの大きさで、たぶん中身は指輪だと見当がついた。
「これはローランドからだ。果樹園の襲撃のときから預かっていた。自分で渡せと言ったんだが、突っぱねられた」
「ローランドから?」
「ああ、ベルダの店に持っていったジャケット。あのポケットに入ってたんだ。君がうちに来た翌日、これを返すために王宮でローランドに会った」
「それって、あの謹慎になった事件の……」
「ああ。あいつの優柔不断に頭に来て、つい殴ってしまった。大人気なかったな」
「知らなかった。どうして言ってくれなかったの?」
カイルはさびしそうに笑った。聞いてはいけないことだったのかもしれない。カイルにはカイルの事情がある。ローランドに対する複雑な気持ちも。
「この指輪を、早く君に渡そうと思っていた。でも、どうしてもできなかった。渡したら何かが変ってしまうんじゃないかと。みっともない嫉妬だったな。許してほしい」
蓋を開けると、公爵家の象徴であるエメラルドの婚約指輪が輝いていた。これは私が受け取るべきものじゃない。
慌ててカイルに返そうとしたけれど、それは間違いだと気がついた。これを返す相手は、カイルじゃない。
「ありがとう。元気でね」
「君も。幸せを祈ってる」
そう言って優しく微笑むと、カイルは魔道士のローブを羽織った。そして、振り返ることなく、私の元から去っていった。
カイルが行ってしまった後、私は声をあげて泣いた。まるで、私の中の何かが悲鳴を上げているみたいに、涙を止めることができなかった。
私たちの人生は、ほんの一瞬交差しただけで、こうして離れていった。それは私が自分で選んだ運命。なのに、すごく心が痛かった。
バラ園の薔薇は、今を盛りと咲き誇り、その甘い香りが私を包む。そこだけまるで別世界のようで、なぜか赤と白の薔薇を、とても懐かしく感じた。
カイルの幸せを、私も祈り続ける。彼の未来を守りたいと思った。いつかまた、カイルと笑って会える日が来ることを願いながら、私は長いことバラ園に佇んでいた。