71. 友の辞任(アレクの視点)
私は連日、累積する仕事に忙殺されている。セシルの出奔に伴って、様々な根回しも必要だった。とばっちりもいいところだ。
他にも、今回のテロに関して、国際社会から正式に抗議するよう要請があった。それらの準備に奔走している。父が戻るまでにしておくことが山ほどある。
私の寝室にクララが移ってきた日も、深夜三時頃に、ようやく仮眠をとりに部屋に戻れた。様子を確かめようと、私は気配を消して寝室に入る。
クララは私のベッドで、よく眠っていた。おそらくセシルの息がかかったメイドが用意した、透けるような薄い夜着を纏っている。
サイドテーブルに置いてある蝋燭は燃え尽きていた。ずいぶん遅くまで、私の帰りを待っていたのかもしれない。
待ちくたびれて眠ったクララを起こすのが忍びなく、また、不用意に欲情してしまう危険性を考え、私はそのまま別室に引き上げた。
朝になったら、ゆっくりと話をすればいい。時間は十分にある。
だが、私の目算は甘かった。私は早朝に叩き起こされ、急いで執務室に戻ることになったのだ。
そんな日が、1週間くらい続いた頃だろうか。メイドたちも、クララに期待させるのを不憫に思ったらしい。夜着は普通のしっかりした生地に変えられ、燭台も存在しなくなった。
私はかなり落ち込んだ。そして、反省した。
カイルが私に挨拶に来たのは、ちょうどそんな時だった。騎士を辞して、魔術師になる修業に出るという。
「騎士に在籍したまま、国費留学というのはどうだ? お前ほどの優秀な騎士、手放すのは惜しい」
「レイの師匠に、弟子入りを願おうと……」
「西の賢者に?少なくとも十年は戻れないぞ。修業なら、他でもできるだろう。何なら、私が指導してもいい」
「もう決めたことです。またシャザードのような者が、現れないとは限らない。そのときに、大事な人を守れる力を得たい」
今回のテロで、カイルは強い魔力を持ちながら、シャザードの反転魔法に倒れてしまった。それを気にしているのかもしれない。
「意志は固いんだな。分かった。辞任を認める」
「ご配慮、感謝いたします」
「クララには言ったのか?」
「これからです。まずは殿下のお許しを得てからと」
クララを囲っておいて、今更こんなことを言うのは気まずい。だが、避けては通れないことだった。
「婚約は、どうするつもりだ?」
「彼女次第です。もし望むのなら、一緒に連れて行きます」
冷静を装ったつもりだった。だが、私の動揺はあっさりと見破られた。長い付き合いだ。お互いのことはよく分かっている。
確かにクララが希望するなら、私に止める権利はない。そして、カイルには連れていく権利がある。それでも、私は足掻く。
「クララは、今、私の……」
「殿下の部屋ですね。存じています」
それはそうだろう。あれだけ派手な映像をばら撒かれ、王宮内でも噂になっている。ましてや、自分の婚約者のこと。カイルが見逃すはずはない。
「それでも、連れていく気か?」
まずはやんわりとプレッシャーをかける。連れていかれては困るのだ。もちろん、そうなったら決闘を申し込むつもりだが。
「殿下は忙しくて、クララとまともに顔も合わせていないでしょう。それなら、私にもまだチャンスはあります」
痛いところを突かれた。クララを蔑ろにしているつもりはない。だが、クララがどう思っているかは不明だ。
これはもう、決闘を覚悟するしかない。剣で円卓の騎士に勝てるだろうか。
「主君の寝室から、女性を盗み出すのか。臣下として、大それた罪だぞ?」
試しに、権力を振りかざしてみた。なんの意味もないが、やってみる価値はある。
「先に盗んだのは殿下でしょう。それに、私は今さっき、臣下を解任されています。なんの問題もない」
ぐうの音も出ない。全くその通りだ。いや、ちょっと言ったみただけで、これは私の本意ではない。もちろん、カイルもそんなことは分かっている。
「しかたない。その件は不問だ。好きにすればいい」
「ありがたきお言葉。それでは、最後に臣下ではなく友人として、殿下に意見をさせていただけますか?」
「ああ、構わない」
カイルは、臣下であっても友人だ。わざわざ許可を与える必要もない。こういうからには、相当のことだろう。私は身を引き締めて、カイルの言葉を待った。
「今は選ばれなくても、クララが幸せでなければ、どこにいても何を置いても、奪いに戻る。覚悟しておいてほしい」
「分かっている。そんなことにはならない。約束する」
私の言葉を聞いて、カイルは安堵するように目を伏せた。この誠実な友人は、結局は私に甘い。いつも黙って、私の無茶を聞いてくれた。
「お前がいないと、つまらなくなるな。たまには、顔を見せろよ」
「ああ、気が向いたら」
まるで、学生時代に戻ったようだった。カイルはずっと、ライバルであり大事な友人だった。恋においても学びや仕事においても、同等に渡り合えた男だった。
「元気で、頑張れよ」
「殿下も。いい国を作ってほしい」
そう言うと、最後にカイルは私に臣下の礼を取り、儀礼に則った正式な暇乞いをして、去っていった。
あいつはローランドにも、別れの挨拶をするのだろうか。
中等部の頃、私たちはいつも三人でつるんでいた。そのままずっと、一緒だと思っていた。だが、大人になるということは、別々の道を歩むことだった。
それでも、培った友情は消えることはない。互いに恥じない生き方をして、いつかその健闘を讃え合う日が来るだろう。
カイルがクララに、どう言ったのかは知らない。だが、結果として、クララはカイルに付いては行かなかった。
カイルは一人で国を去り、西国の孤島にいるという、偉大な賢者の元へ赴いたのだった。
クララにとって、カイルは専属騎士であり、婚約者であり、友人だった。この別れが、寂しくなかったはずはない。せめて彼女の側にいて、その喪失感を埋めてやりたかった。