65. 愛は勝つ(アレクの視点)
抱き合うセシルとレイの横をすり抜けて、私はクララへ駆け寄った。
クララは目の前で起こった光景に、ただ呆然と立ちすくんでいた。よほど怖かったのだろう。私が抱き寄せると、ふっと力を抜いて体を預けてきた。
「クララ。無事でよかった」
「殿下も」
震えるクララを、私は強く抱きしめた。腕の中に感じる体温。クララは生きている。彼女を守ってくれたもの全てに感謝した。
「シャザードは、死んだのですか?」
私の腕を解くと、クララは倒れているジャザ―ドのほうを見て言った。周囲には血溜まりができている。
レイがシャザードの胸に手を置いて、瞼を閉じてやっているようだった。少しだけ震えるその肩に、セシルがそっと寄り添っていた。
シャザードはレイの師匠。西の賢者の弟子だった。かつては、同じ志を持った者。
なぜ、袂を分かつことになったのか、詳しいことは聞いていない。だが、共に過ごした時間には、その死を惜しむ価値はあったのだろう。
「クララ、見なくていい。君には、こんな血生臭い世界を見せたくないんだ」
私がそう言うと、クララは首を振ってこう答えた。
「殿下の見るものなら、私は何でも見たいです。殿下の聞くものを聞いて、殿下が感じることを感じて。殿下と同じことを知りたいんです」
「クララ……」
「大丈夫です。私、案外図太いんですよ!先輩は……、アレク先輩なら、知ってますよね? だから、多少のことでは、へこたれません!」
知っている。彼女が、いつでもどこでも頑張ってきたことを。
なかなか馴染めない学園でも、無理難題を吹っかける王女の侍女職でも。いつも無理をしながら、それでも前を向いて努力していた。
「そうだね。知ってる。君はずっと頑張ってた」
「でしょう?だから、王宮暮らしにも、割とすぐ慣れると思うんです」
君は王宮を出て、もう戻ってこないはずだろう。カイルと婚約を……。
そう言おうとしたとき、クララは笑ってこう言った。
「先輩は、心配性なんですよ!自分がぬくぬく育ったからって、私まで真綿に包むみたいに扱わなくてもいいんです。私は野生児ですからね!もし、王宮で誰かに意地悪されたら、ちゃんと顔パンチしますから!」
王宮で顔パンチ! 私は思わず笑ってしまった。そんな私を、クララは嬉しそうに見ていた。
クララは何があっても変わらない。ずっと太陽のように、明るく輝くだけだ。この子の伸びやかな気質は、きっと生涯、損なわれることはない。
クララは私の手を取って、真っ直ぐにこちらを見つめた。その目は真剣そのものだった。
「だから、私を、殿下の後宮に入れてください。辛いことなんてないですよ。絶対に大丈夫!だって、殿下が側にいるんでしょう? 手のかかるご主人さまのお世話は、忙しくて面白くって、きっといつもいつも笑ってばかりいると思うの」
「クララ、それは……」
「私を側室にしてください。絶対に殿下を、笑顔にして差し上げますから!」
そういって、クララは満面の笑みをうかべた。そんな彼女を、抱きしめずにはいられなかった。
私が馬鹿だった。彼女を手放すことなんてできない。私の選択は間違っていたんだ。
クララは、私の命。何があっても、彼女となら生き延びられる。生き残ることを諦めないでいられる。生きて戦い抜く力が持てる。
生きること。それが勝つこと。死んでしまえば、戦うこともできない。
彼女がいなかったら、私は自分の命に執着しなかった。命を惜しまないものが、命を守れるわけがない。
王族に必要なのは、命を捨てる覚悟ではない。愛するもののために生き延びたいという、命に対する執着だ。それが大事なものを守る力になる。
私たちはそのまま口付けを交わした。それはお互いがお互いを求めることを確認するような、深い愛の証だった。もう誰にも、私たちを引き離すことはできない。
そして、それはセシルとレイも同じだったと。愛し合う者たちを別つのは、死のみ。それでいい。それでいいんだ。
レイの空間投影で、世界中にシャザードの最期が伝えられた。シャザードにとどめを刺したのはレイ。見るものが見れば、それは明白だ。
なのに、なぜか私とクララばかりをクローズアップした映像が、繰り返し放たれる。
編集……ではなく演出?どうしてそんなことを。何か余計な意図を感じる。
シャザード体の消滅と共に、レイとセシルも転移魔法で消えた。おそらく何かを企んでいるんだろう。
だが、今はそれを確かめているときじゃない。彼らには、彼らの事情がある。私とクララに、私たち二人の世界があるように。
「先輩!ヘザーとローランドが怪我をしているの。カイルもよ。すぐに助けないと!」
クララの案内で、私たちは二人の元へ急いだ。しっかりと手を握り合う二人は、もう意識はなかった。だが、まだ息がある。
救命魔法をかけてから、出口を塞ぐ落下物を取り除いた。外側には私が魔伝で呼び寄せた救護員たちが待機していて、ローランドとヘザーを担架に乗せて運んでいった。
現場の救護と敵の身柄拘束のために、騎士や兵士が会場に入っていく。カイルも彼らに無事に救助された。
けが人は多数出たが、死亡者は北方の魔術師シャザードのみ。予定通りではなかったが、この夜をなんとか無事にやり遂げたと言っていいだろう。
私はついに、王族の宿命に勝った。人として、幸福を望める人生を手に入れた。
この世でたった一人の愛する女性と、生きる未来を勝ち取ったのだった。




