61. 運命の幕開け(アレクの視点)
謁見の間に、入場を告げるファンファーレが鳴り響く。生き残りをかけた、一世一代の芝居の幕が開く。
今までの人生を、ずっとこんな風に演じ続けてきた。だが、今回だけは失敗は許されない。
すべての歯車が噛み合い、あらゆる駒がその役割を全うする。芝居は調和だ。どれが欠けても成り立たない。
警備は蟻が入り込む隙間もないくらいに完璧。魔法陣での結界も強固。外から攻撃されたとしても、時間が稼げればこちらに勝算がある。
会場内の異変は、まだ報告されていない。諜報部員が潜んでいる可能性は否定できないが、今のところ殺気は感じ取れない。
腕に乗せられたセシルの手が少し震えたので、私は自分の手を重ねる。大丈夫だ。やり通せる。全員を無事にこの場から帰す。もちろん、私たちも。
私たちはお互いに微笑み合いながら、ゆっくりと歩を進めた。
この婚約が、両国に強固な同盟関係をもたらす。私達が互いに離反することはない。皆にそう思わせるのが、この茶番に意味だった。
それなのに、クララの存在を意識せずにはいられなかった。理屈ではなく、魂が勝手に彼女のほうへ飛んでいってしまうような。
彼女は、あのペンダントを身につけている。あれには、私の護りの魔法がかけてあった。
彼女の命が本当に危ないときだけ発動する。彼女の身代わりになって砕けるように。
僅かな魔法の波動が、今の私と彼女を繋ぐ唯一の絆だ。
シナリオはどんどん先に進み、もうやり直しは効かない。私とセシルは、広間の中央をゆっくりと玉座に向かって歩きながら、臣下に一言二言と声をかけていった。
クララとカイルの前に差し掛かったとき、私は二人に、顔を上げるようにと声をかけた。
いつもと違う大人びた化粧をしているが、クララはあの夜の愛らしい彼女のままだ。
だが、今日はどこか悲しそうだった。まるで迷子になった子供のように、不安そうな目をしていた。
今すぐに抱きしめて、大丈夫だと安心させてやりたい。だが、それは許されない。
クララを託すべき相手は、カイルだ。私の腹心の部下。円卓の騎士。彼ならクララを、守りきれるだろう。
「カイル。よろしく頼む」
「心得ております」
相変わらずの無表情で答えるカイルに、私はなぜか嫉妬を感じることはなかった。だた、その不器用さが、痛々しいと思っただけだった。
私はクララのそばにいられない。ローランドもだ。今はカイルだけが、頼みの綱。
この難局を乗り切れば、きっとクララとカイルにも、ゆっくりと互いを理解し合える時間が持てる。そしていつか、この二人は共に歩く選択をするだろう。
それでいい。クララが笑っていられる世界を守るためなら、私はどんなことでも耐えられる。
泣くのをこらえるように、クララが下を向いた。彼女を泣かせているのは私だ。
だが、私には私の戦い方がある。そこから逃げる気はない。君が泣かずに済む世界のために、この命を賭ける。
会場全体に意識を走らせたが、特に不穏な雰囲気は感じられない。これはこれで、逆におかしい。
国内には、私たちの婚約に反対するものもいる。国王不在時に、王太子である私が国政を摂ることを良しとしない貴族もいる。
北方との緊張状態は周知の事実だが、その最前線となっている辺境の様子は、報道規制が敷かれている。
事情を知らない者たちが見れば、私たちがしていることは、若者の危うい行動だと思われかねない。
「静かすぎるな」
「霧がかかったみたいだわ。人の感情が読みにくい。思念もかすかに妨害される」
会場全体に、なんらかの妨害魔法がかけられている。微量で拡散されているので、普通なら気が付かれることはない。レイの忠告がなければ見逃していただろう。
こんなことができる魔術師は、そうはいない。シャザードだ。
来賓への挨拶が終われば、いよいよ私たちの婚約発表へと進行する。
全員が定位置に着いたことを確認し、私はセシルの手を取って、壇上の中央である玉座の前に移動した。
いよいよ、新しい人生が始まる。正妃を愛し、後継を得る。正妃との間に子が出来なければ、国母として問題にならない女性を側室にする。
政略結婚は、私の前にずっと見えていた未来。女性は、王家を存続させるために必要な存在だと、だから慈しむべきだと、そう思ってきた。
私は普通の男だし、聖人を気取る気もない。愛がなければ抱けない、なんてこともない。
学園でクララに再会しなければ、幼い頃の初恋なんて、思い出しもしなかったと思う。ローランドの妻として紹介されるときに、あの女の子がこんなに大きくなったのかと、懐かしく思い出すだけだったはずだ。
学園で、あの丘の上で、私はクララに恋をした。王太子としてではなく、ただの先輩として、彼女と一緒にいると安らげた。
世間知らずだと怒られたり、おぼっちゃま育ちだとからかわれるのも、楽しかった。
彼女の前では、完璧な王子を演じる必要はない。そのままの自分でよかった。ただのアレクでいられた。気張らずに生きていけた。
あの夢のように美しい場所。学園の丘も、戦争が起これば、消えてしまうかもしれない。クララの命も。みなの命も。永遠に。
それだけは絶対にさせない。必ず守ってみせる。それが、私のこの新しい人生で、唯一残された望み。
私は前へと進み出た。先に進むために。全てが無事に終わることを願って。
だが、運命はいつも思い通りにはならない。よくも悪くも。そう思うことになるのは、もうほんの少し先のことだった。