54. 偽りの婚約者
「ちょっと待ってよ!ローランドの婚約者はヘザーでしょ?」
ヘザーの指には、大粒のルビーの婚約指輪が光っている。
「え、知ってたの?」
「昨日、べルダの店で聞いたの。その指輪って、べルダのでしょ」
「ああ。そう……なんだ」
真っ赤なルビー。王都の有名デザイナー、ベルダの一点もの。ベルダの店は、ローランドの行きつけだ。彼の服は、ほぼあそこで誂られる。金持ちボンボンの御用達。
果樹園で、私はローランドのジャケットを着たまま、ブラックベリーの茂みを駆け抜けた。そのせいで、茨の棘に引っかけて、袖に傷を付けてしまった。それを修理しようと、カイルに頼んでべルダの店に連れて行ってもらっていたのだ。
かなり無理な変装で、カイルの婚約者のフリをした。誰がどう見ても猿芝居。まるでピエロ。それなのに、目立たないように小さくなっている私を、べルダ氏は照れていると勘違いしたらしい。
「若い方はいいですなあ。ローランド様もハミルトン伯爵令嬢とご婚約とか。みな殿下に倣って、おめでたいことでございます」
おめでたいのはベルダ氏だ。若者の偽りの姿にすっかり騙されてる。偽の婚約者。いくら王女様の指令とはいえ、カイルに申し訳ない。
でも、すごい情報を貰った!知らない間に、幼馴染と親友が婚約していた!
『私は別になんとも!彼はただの友人ですから』
王女様のお茶会で、ローランドへの気持ちを否定したヘザー。でも、実際はバレバレというか、ダダ漏れだった。私は結構、そういうことには敏感。ヘザーの嘘も簡単に見破ったし、実は、以前からヘザーの気持ちは知ってた。ローランドもヘザーにベタ惚れだったしね!両片思い。
ようやく、ローランドがプロポーズした! 何よりもそれが嬉しい。ヘザーもローランドも大事な友達。本当に幸せになってもらいたい。
「そのことなんだけどね、ローランドは……」
「ヘザーはずっとローランドが好きだったでしょ?知ってたから!運命の相手だったのね」
そっかそっか。緑の石ペリドット。ローランドの瞳も緑だ。占いもおば……ネエさんは、この未来が見えていたんだ。ヘザーの運命の相手はローランド。結ばれても……結ばれなくても?
「この婚約のことなんだけど……」
ヘザーは恥ずかしいのか、ルビーの婚約指輪をしきりに弄んでる。モジモジしちゃって、どうしちゃったの? え、もしかして、もうお腹に赤ちゃんがいるとか? ローランド、油断ならないわ! あの、スケコマシっ!
そういえば、運命の相手と恋に落ちたら、報告しようって約束してたっけ。でも、この二人のそういう行為を想像するのは、ちょっとエグ過ぎる。私は失恋したばかりだし、えっちな話はパスしよう!ここは話題をすり変えるに限る。
「その指輪、素敵ね。ローランドったらキザね。ルビーなんて!よかったね。おめでとう」
ヘザーが憧れていたルビーの指輪。『真実の恋』で、主人公が恋人に贈った赤い石。あれ? あの小説の指輪はルビーだっけ? ガーネットだと思ってた。だって、あの赤は血の色……。
「それ、本気で言ってるの?」
一瞬、何かが見えたような気がした。血の色を持つ赤い石。でも、それをヘザーの声が遮った。
「もちろんよ」
「あんたは、許婚なのに?」
「それは、親の口約束でしょ」
「じゃ、本当にいいの?」
「いいも何も、ローランドのことは……」
性格に難あり……と思っているけど、さすがに言えない。正直、ちょっとヘザーが心配だったりする。でも、ヘザーなら反則技にも言葉で勝てるかな。ペンは剣より強しってやつ。さすがに、夫婦の営みに格闘技は必要ないし。
「……弟みたいに思ってるの」
「クララが好きなのは、ローランドじゃないのね?」
「あったり前よ!」
「じゃあ、好きな人って……?」
どうしよう。そういえば、学園でそんな話をしていたんだっけ。殿下が好きだったなんて、本当のことは言えない。ここは笑って、ごまかすしかない!
「ああ、うん。えへへ」
「殿下? なら、どうして後宮入りを断ったのよ」
え、違う。断ったんじゃなくて断られたの。いや、そうじゃない!今はそういう問題じゃない。そっちに話が行っちゃダメ。殿下への気持ちは、なかったことにしないといけないのに。
「違う違う!好きなのは別の人よ」
とっさに嘘をついた。この際、誰でもいい。とにかく、殿下じゃないってことを、ヘザーを納得させなくちゃ。
「やっぱりローランドじゃ? クララ、何か私に遠慮しているんだったら、それは違うから……」
何で、殿下じゃないなら、ローランドだと思うのよ!ヘザーともあろうものが、ありえないくらいに恋には盲目!ローランドはヘザーが思っているほどモテないよ!
「そうじゃないよ。私には……カイルが。そう!カイルがいるから!」
その言葉に、ヘザーが息を飲んだと思った瞬間、肩に誰かの手が置かれて、私はビクッと飛び上がった。
カイルだった。今の言葉、カイルに聞かれた!
自分で招いた大失態。まずいわ、カイルに否定されたら、ヘザーに嘘をついたことがバレてしまう。
「遅くなってごめん。一人で心細かったろ」
カイルはそう言うと、そのまま私の顎に指を当てて上を向かせる。そして、私の頬に軽いキスを落とした。驚いて目を瞠る私に、カイルはここは任せてと耳元で囁いた。
「ヘザー、いらっしゃい。クララは僕の婚約者だ。王女様に伝えてくれ」
呆然としている私の前で、ヘザーは真っ赤な顔をして目を見開き、両手で口を覆っていた。