52. ローランドの婚約(アレクの視点)
その夜はなかなか眠つことができず、少しまどろんだのは明け方だった。
だが、もう後ろを向いている暇はない。先に進まなければ、みなが死ぬ。私には、国民の命がかかっている。
翌朝、執務室に向かう途中で、セシルが駆け足で近寄ってきた。ずいぶん急いで来たのか、息が切れている。
「アレク、執務室に来て!カイルが待っているわ」
「カイル?何かあったのか?」
「詳しいことは分からないんだけど、ローランドを殴ったらしいの。メイドと衛兵が見ていたから、ちょっとした騒ぎになっていて」
「ローランド?大丈夫なのか?」
「ええ。でも、一応、医務室に連れていったわ」
「そうか。わかった」
カイルが王宮に戻っている。護衛すべきクララは、どこかで無事に匿われたということだ。ローランドの屋敷ではないはずだが。私の命令で、彼はしばらく、クララには触れられない。昨夜は執務室に詰めていた。それなのに、なぜカイルはローランドと諍いを?
そうか。クララはやはり、ローランドの元に行ったのだ。正式な婚約者として。セシルのローランド評価は高い。私の言うことを聞くようなやつでもない。
そして、カイルは事情を知らない。ローランドがクララを放置していると思ったのかもしれない。
「私情は禁物よ。人目があるわ」
セシルが眉を潜めて小声で言った。やはりクララ絡みだ。でなければ、セシルがこんな風に釘を刺すわけがない。
私に何を問いただされても、カイルはいつもの無表情のままだった。
「言いたいことはあるか」
「ありません。ただ、処罰をいただきたく」
「理由も聞かずに、罰することはできない」
「すべて私の責任です。ローランドに落ち度はありません」
「それなら尚更、理由を言えるだろう」
「ご処分を」
カイルは一貫として、自分に咎があるという態度を貫いた。この男がこうなってしまったら、何があっても口を割らないだろう。
「側近と騎士が対立したとなると、軽い沙汰ではすまないが」
「心得ております」
不敬と取られてもかと聞いたところで、答えは知れている。実際、ローランドに足枷をつけているのは、私なのだ。罰せられるべきは、カイルではない。
「わかった。それでは謹慎を言い渡す。許しがあるまで出仕しないように」
「ありがとうございます」
クララのことを、聞かせてほしい。泣いていなかったか。暖かくして眠れたか。だが、それを聞く相手はカイルではない。彼女のことは、セシルに一任したのだから。
カイルと入れ替わりで、ローランドが戻ってきた。少し疲れて見えるが、目立った怪我はないようだ。私の側近たちはそれなりに鍛えてある。これなら大丈夫だろう。
「怪我はどうだ。大丈夫か」
「申し訳ございません」
「カイルには、謹慎を申し付けた」
「お待ち下さい!カイルに非はありません」
カイルと全くと同じ反応だった。やはり理由はクララのことだ。命令に背いて、クララを囲っているのだ。私には聞かせたくないことなんだろう。
「心配しなくていい。あくまで表面的な措置だ。目撃者がいる以上、こちらとしても何らかの措置をとらなくてはならない。婚約式までには謹慎を解く」
「申し訳ございません。ご配慮、感謝いたします」
「お前も、理由を言う気はないようだな。カイルも一切、理由を話さなかった。自分が悪いの一点張りだ。これでは埒が明かない」
「申し訳ございません」
真相を問いただすべきかと思案していると、セシルがそれを遮った。
「アレク、もういいでしょう。ローランドは婚約ホヤホヤよ。さっき報告があったの。プロポーズは見事に成功したらしいわ」
こんな急に報告されるとは思っていなかった。まだ、心の準備ができてはいない。私は慌てて、表情を取り繕った。
「そうだったのか。それは、めでたいな」
「ありがとうございます。殿下に祝福いただけて光栄です」
ローランドの幸せそうな声に、私は動揺を隠せなかった。それにセシルが助け舟を出す。
「今日はもう、ローランドを帰してあげましょう。急に決まったことで、まだ指輪もないそうよ。婚約にはいろいろ準備が必要だし、昨日はそのまま徹夜をしたみたいだもの。少しは休ませてあげましょうよ」
そうか。カイルは、クララとローランドの婚約の橋渡しをするために、王宮に戻ってきていたのだ。詳しくは分からないが、殴るほうも殴られるほうも、双方が納得する理由があったはず。
「そうだな。もう下がっていい」
「ありがとうございます」
ドアに向かうローランドに、セシルにしてはめずらしく真剣な声で問いかけた。
「愛しているのよね?」
「はい」
「幸せにできる?」
「はい、必ず幸せにします」
「約束よ」
言いようのない感情が、のどを這い上がる。私は目をつぶって、それをやり過ごした。それなのに、セシルは容赦なく畳み掛ける。
「ですって!よかったわね、アレク。私のせいで、みなに迷惑をかけたけど、とにかくうまく纏まってくれてホッとしたわ」
「そうだな」
僕はなんとか落ち着きを取り戻し、かろうじて祝いの言葉を述ることができた。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
ローランドは羨ましいほどのいい男だ。クララは幸せになる。
「では、この話はもう終わりだ。これからはプライベートについては報告しなくていい。明日からは政務に力を尽くしてくれ」
これ以上は無理だ。私はローランドに背を向けた。
「承知しました」
ローランドはセシルと少し言葉を交わしてから、応接室を出て行った。
「クララの婚約は、予定通りに私たちの婚約式で正式に公表するわ」
「わかった。悪いがその話はここまでにしてくれないか」
そこで話を切った。これ以上は何も聞きたくない。セシルはそれでも、何か言いたそうにしている。彼女が口を開く前に、私は応接室を出た。
しばらく、クララのことを考えずに仕事に没頭しよう。私はそう決め、執務机の椅子に座ったのだった。