51. 婚約同盟 (アレクの視点)
「クララは、行ったのか?」
いつの間にか、セシルが部屋に戻ってきていた。私は窓辺に立ったまま、更に降りしきる雪から目を逸らさずに言った。セシルは私の側に来て、窓枠に置いている私の手をとんとんとたたいた。
「心配しないでちょうだい。悪いようにはしないから」
「すまない」
私がそう言うと、セシルは自分の手を、私の手に重ねて、さらさらと優しくなでた。
「言ったでしょう。これは、私のせいなんだから」
「いや、私のせいだ」
クララを巻き込んでしまったのは、つまりは私が彼女に惹かれたからだった。言い訳はしない。
セシルが背後に腕を回して、ぎゅっと抱き寄せてくれた。聡明なる彼女は、口に出さなくても私の苦悩を理解し、慰めてくれる。兄弟姉妹のいない私には、それこそ妹のような存在だ。
「私たちには、やるべきことがあるわ。落ち込んでいる場合じゃないのよ」
こうやって発破をかけてくるところは、姉だろうか。自然と笑みがこぼれる。セシルと一緒なら、いつか私はまた、普通に微笑めるようになるだろう。
「君がいてくれてよかった。共に戦える相手がいて幸運だ」
「あら、今更ね。知れたことよ。こんな美女を侍らせて、男はみんな嫉妬するわよ」
「はは。違いない」
先程までの息苦しさが、セシルのおかげで少し和らいだようだった。私には、感傷に浸る時間はない。こうしている今も、戦況は刻々と悪化している。
「報告を聞いたか?レイは、逃げおおせたと思う」
「魔法戦のこと?ずいぶん派手にやったみたいね。現場に死の気配は残ってなかったと聞いたわ。相手がシャザードだから、楽観はできないけど」
「犠牲が出なかったとは言え、領内に軍幹部を送り込むとは。宣戦布告のようなものだな。もう戦うしかないのだろうか」
セシルは、ゆるゆると首を振った。
「ギリギリまで、持ちこたえましょう。戦争になれば民に被害が及ぶ。婚約式をできるだけ前倒しするべきよ」
「そうだな」
そう言うと、セシルは少しためらったように口を開いた。
「同時に、クララの婚約も発表するわ。彼女の立ち位置をはっきりさせる、良い機会だと思うの」
「そうだな」
許婚と正式に婚約して、それを私たちがそれを祝福する。そうすれば、北方にも私の寵愛が消えたと思わせられる。
「うまくいくだろうか」
「分からないわ。でも、やれることはやっておかないと」
その通りだった。今はとにかく、現時点での最善の策を取っていくしかない。起こったことを取り消せないのなら、起こりうる未来の危機を一つずつ潰していくしかない。
「警備を固めよう。魔術師たちは、結界には問題がなかったと言っている。油断はできない」
「そうね。思った以上にシャザードは慎重だわ。甘かったわね」
「それだけ、本気でこの国を狙っているということだ」
唇を噛み締めるセシルの頭を、私はポンポンとたたいた。私たちは最善を尽くした。今はそれしかできない。
「少し眠ったほうがいいわ。私のベッドを使ってもいいわよ」
返答に窮した。クララの残り香がするセシルのベッドで、私が眠れるとは思えない。セシルは、それに気がついたのだろう。ガチャリと鍵を回して、隣室のドアをあけた。
「今日はこっちを使って。レイのベッドも寝心地は悪くないわよ」
「寝たことがあるみたいに言うんだな」
私がそうからかうと、セシルは意趣返しをしてきた。
「傷心の貴方と、一緒に寝てあげてもいいのよ。私の胸で泣けば?」
「遠慮する。刺客より恐ろしくて、寝られそうにない」
私が笑ってそう言うと、セシルも楽しそうに笑った。こういう関係も、悪くはないと思う。愛はなくても、信頼はある。互いによい理解者になれるだろう。
「私たちは運命共同体だ。限られた状況下だが、セシルが幸せになれるよう努力したい」
セシルはそれを聞いて、にっこり笑った。
「私もよ。貴方のよい伴侶になるわ」
私が隣室へ移動すると、セシルはそっとドアを閉めた。レイの部屋は暖められ、いつ彼が戻ってきてもいいように整えてあった。きっと、それがセシルの生きる希望。
私は服を着たまま、ベッドに横になった。一人になると、どうしてもクララのことが頭に浮かぶ。
彼女の婚約者はローランドだ。彼は、シャザードが言った言葉を信じている。そして、あの言葉自体は、事実とそれほどかけ離れたものではない。
私が寵愛するただ一人の令嬢。
セシルのことは敬愛している。だが、男女の愛ではない。クララは確かに、私の閨へ呼ばれたのだし、何もなかったと証明する手立てはない。
もちろん、クララの純潔は、初夜を迎えれば自ずと明らかになるだろう。だが、あの夜に何があったのか、きちんと説明しなければ筋が通らない。
心臓が潰れるような痛みが走る。これは嫉妬だ。クララを堂々と愛することができるローランドに、私は猛烈に嫉妬している。そう自覚すれば、この苦しみもいくらかは耐えやすい。
彼女の未来に禍根を残さないために、なんとしても、ローランドの誤解を解く必要がある。君の幸せのためになら、私はなんでもする。喜んで頭を下げよう。跪いて嘆願しよう。それで君が幸せになれるのなら、私のプライドなどちっぽけなものだ。
私はゆっくりと目を閉じた。眠っている間だけは、この苦しみから解放されるかもしれない。睡魔が襲ってくれることを期待しながら、私は雪が降り積もっていく音を聴いていた。