45. 果樹園の襲撃
「いいだろ?」
何がいいって? ふざけるにも程がある!
私はローランドのお腹に向けて、思いっきり拳を突き上げた。しかし、さすがに敵も然るもので、あっさりと躱された。
ローランドは私の隣に座り直し、曲げた片膝に額をつけた。心なしか、肩が震えているような気がする。
何もそんなにウケなくても!今の拳技が、そんなにツボにハマったの?
「ローランド?どうかしたの?」
まさかこの人、壊れちゃった?
訝しむ私をよそに、ローランドは何とも形容しにくい顔をした。泣き笑い? そして、私の髪に手を伸ばして、一房を耳にかけた。
「お前、こんな目立つところにキスマークなんて付けてんじゃねえよ。萎えた」
キスマーク? やだ、冗談! 虫刺されでしょ。果樹園に毛虫はつきものだから。
変に色っぽい解釈に混乱して、私は隙だらけになった。ローランドはそれを「しめた!」とばかりに、寝技をかけ直す。
そして、なんと私の首を噛んだ!噛むのは、プロレスでも反則技!いくらなんでも、ひどすぎる!
驚いて受身を取った拍子に、ワンピースのボタンが数個飛んだ。思わず「ぎゃあ!」と悲鳴をあげてしまう。
だって、いきなり犬に噛まれたら、誰だって普通に悲鳴あげるでしょ!
なんとか体勢を逆転させようと、私はもがいてみた。でも、昔とは体格が違う。
もう、負けを認めるしかない。私は諦めて、ゴングが鳴るのを待つことにした。
「なんで……」
そこまで、勝敗にこだわる?おかしいでしょ!首の痛みに、涙がにじんだ。負けを認めた相手に、この仕打ちはひどい。
ローランドも、さすがにやりすぎたと思ったのだろう。私を引き起こしてから、上着を脱いで肩にかけてくれた。
当たり前だ。しばらくは、私の奴隷になってもらう!とにかく、ローランドが離してくれて良かった。
そうホッとしたのも、つかの間のことだった。私を支えるローランドの腕に、急に不自然な力が入る。
「誰の手のものだ!名を名乗れ!」
何?誰かいるの?その辺のごろつきなら、私の護身術でなんとかなる。ローランドも、賊には反則技を使っていい。
「欲しいものがあるならくれてやる!俺の命でもだ!だが、女には手を出すな」
ローランドがそう言った。こんなところでかっこつけても、誰も見ていないのに! それなのにこんなこと言うなんて、もしかして本当に危険なの?
「お前の命などいらない。そちらのご寵妃様をお渡し願おう」
目の前に姿を現したのは、黒い軍服を着た男。この国の兵士じゃなく、外国の軍人だ。
「北方か。こんなところまでご苦労なことだ。だが、人違いのようだ。彼女は王女ではない」
外国人なら、王女様を知らなくてもおかしくない。でも、なんで私と間違える?
他国の諜報部員って、割と無能なんだ。
「我が代表が所望するのは、お飾りの正妃ではない。王太子ご寵愛の令嬢。閨に呼ばれたのは、そこにいる男爵令嬢のみ。王太子のただ一人の愛妾」
ええっ!呼ばれてないのに押しかけて、追い返されたのに!どうしてそんな話に?
あのときの愚行を思い出して、私は血の気がひいた。せっかく、忘れていたのに。どうして、思い出させるの!ひどいっ。
いえ、今はそういう問題じゃない。北方の軍人なんて、今の状況でこの国にいるわけない。もしや、殿下に害をなす輩!それなら、王宮に知らせないと大変なことになる。
「クララ、抜け道を覚えているだろう。合図をしたら全力で走れ。ここは俺が止める」
「無理よ!危ないわ。今はおとなしく従って……」
「頼む。俺のために、いや、国のために走ってくれ」
僕のため?国のため?そうか、私がいると足手まといになる。ローランドだけなら、なんとか切り抜けられる相手なんだ! だから、先に逃げろと!
どこからか、別の兵士が現れて、ローランドに襲い掛かる。ローランドはその男の剣を躱して、鳩尾に拳を入れた。
「走れ!」
ローランドが盾になってくれている。大事な友達を、死なせるわけにはいかない。助けを呼ばなくちゃ!
幼い頃から何度も遊びに行っていたので、幸いなことに果樹園のあらゆる抜け道を知っていた。
私は必死で、ブラックベリーの茂みの中を駆け抜ける。細かい棘が手足をひっかき、素足に石が食い込む。
それでも、全速力で茂みを抜けると街道に出た。そこには、フードを被った旅の魔道士様がいた。
「助けて!死んじゃう!殺される!」
私の叫び声を聞いて、旅の魔道士様がローランドがいる方に走っていった。急いでその後を追ったけれど、素足ではすぐに追いつくことはできない。
ようやく果樹園に戻ると、黒マントの魔道士様と血まみれのローランドが軍服の男と対峙していた。
「私は旅の魔道士です。たまたまここを通りかかっただけ。こちらのご令嬢から助けを求められたので、加勢したまでのこと。それ以上の関わりはございません」
魔道士様がそう言ったとき、私を見つけたローランドがこちらに走り寄ってきた。
「クララ!」
良かった。無事だったんだ、ローランドの姿を確認すると、私は急に足に力が入らなくなった。ローランドに抱きかかえられて、極度の緊張が緩んだ気がした。
その後のことは、覚えていない。気がついたときは、王宮のベッドの上だった。