41. 戦友の願い (アレクの視点)
「アレク、血相を変えて、どうしたの?」
「一体、何の真似だ?」
セシルは、暖炉の前でワインを飲んでいた。ずいぶんと酔っている。
「プレゼント、気に入らなかった?」
「あたり前だろう!」
私がそう怒鳴ると、セシルは挑発的な口調で言い返してきた。
「女に恥をかかせるなんて、ひどい人ね。クララが不憫だわ」
その言葉に、抑えていた怒りが爆発した。
私はセシルの手首を掴み、力任せに寝室に引っ張って行った。グラスが床に落ちて割れ、ワインが血のような跡を残す。
「痛いわ!乱暴はやめて!」
セシルをベッドに突き倒した瞬間、レイに後ろ手を掴まれた。
「殿下。お控えください」
私はその手を振り払い、レイの顔を睨みつけた。
「無礼者が。控えろ!」
冷酷に響く私の声色に反応して、セシルが慌ててレイに命令した。
「レイ、やめて」
セシルの震える声に、レイは私の手を離してその場に跪く。それを見て、セシルは安堵の息を漏らした。
「殿下。部下の非礼をお赦しください。レイ、下がっていて」
落ち着きを取り戻したように、セシルはレイに指示を出す。だが、レイはその場を動かなかった。
「私の役目は、王女様をお守りすることです」
「レイっ!」
セシルが真っ青になって叫ぶ。そんな彼女を、ベッドの上に押し倒す。そのまま馬乗りになって、セシルの両手首をシーツに縫い止める。
「アレク、悪ふざけはやめて!」
「なぜだ?これは君が、クララにしたことだろう」
レイが剣に手をかけたのが見えた。それをセシルが制する。
「レイ、ダメよ。すぐに出ていって!」
「できません」
震えながらも、必死にレイに嘆願するセシル。その様子を見たとき、私の中で悪魔のような怪物が動き出した。
理性では抑えられない怒りが、私を次の行動に駆り立てる。セシルの首すじに唇を走らせ、私は挑戦的な視線をレイに送った。
「いい心がけだな、騎士よ。そこで、一部始終を見ていろ」
私はセシルの両手首を、彼女の頭上に片手で押さえつけた。もう一方の手の甲で、王女の頬をなでる。
セシルは怯えている。私の暴力にではなく、愛する男の前で別の男に抱かれる恐怖。
「レイ、お願いよ。出ていって」
セシルの言葉には耳を貸さず、レイは剣に手をかけたままだった。私たちをじっと見据えている。
「命令よ!出ていきなさい!」
必死で言い募るセシルの目には、大粒の涙が溢れていた。それでもレイは動くことはない。
ついにセシルは、悲痛な叫び声をあげた。
「アレク、もういいわ! 貴方の好きにすればいい。でも、レイの前ではやめて」
「彼を、愛しているからか」
セシルはぎゅっと唇を噛んだ。そして、全身から一気に力を抜いた。それは肯定。明らかに降参の意味だった。
「お前はどうなんだ、レイ。セシルを愛しているのか」
レイは目を伏せて、静かに答える。
「命に代えましても」
私の行為を、レイは止めない。ただ、セシルの身の安全を確かめるためだけに、ここにいる。
私はセシルを離してベッドから降り、レイのほうに向き直った。
「見事な覚悟だ。セシルを頼む」
「心得ました」
ベッドの上に丸まって震えるセシルを、私は両手で支え起こした。
「二人きりで話がしたい。レイ、外してくれないか」
レイは頷いて、隣室に下がって行った。私はセシルの側に腰を下ろす。
「手荒なことをして、すまなかった」
「いえ」
セシルはまだ少し震えていた。薄いナイトガウンの上から、ブランケットを羽織らせる。
そして、彼女が落ち着くのを待ってから、私は口を開いた。
「もっと私を、信頼してくれないか?」
セシルはビクッと肩を震わせ、驚いたようにこちらを見た。
「私は何があっても、この国も君も裏切ることはない。だから、恐れずに私を信じてほしい」
「アレク、私は……」
私はベッドから離れて、暖炉を背にして立った。寝室の暖炉には、石炭の赤い色がチロチロと見える。その柔らかい温かさが、私を包んだ。
「明日の休暇に先立って、君は侍女たちの実家に書簡を送ったろう」
セシルが黙っているので、私は先を続けた。
「侍女は愛妾候補。それが嫌なら王宮に戻るなと。あんな強引な手段で召し上げた割に、ずいぶんと親切な話だな」
セシルは、気まずそうに私から目をそらした。
「頭のいい娘たちよ。愛妾よりも、向いている役目がある」
「だから、私設秘書への異動希望を募った」
「そうよ。信頼できる私の部下たち」
セシルはわざと投げやりに言う。だが、その目には上司としての愛情が見え隠れした。
「クララの家にも、同じ書簡が送られていた。君はクララが王宮に戻ってこないことを怖れたんだろう。だから、あんな強行手段に出た。私のために」
セシルは拳を握りしめている。私は彼女にそっと近づき、その手に自分の手を重ねた。
「心配しなくていい。私はクララを、自分のものにするつもりはないんだ」
「アレク……」
「私たちは王族だ。使命がある。一個人の幸福を求めてはならない。だが、君は同じ苦しみを理解し合える、唯一の友だ。私と一緒に戦ってくれないか」
セシルは両手で顔を覆って、静かに泣き出した。私はその肩を抱いて、話を続ける。
「もう、無理はしなくていい。君は一人で頑張り過ぎだ。こんなに酔うほど、罪悪感に苛まれる必要はない」
私は立ちあがって、ドアのほうに向かう。ドアノブに手をかけたところで、セシルの小さな声が聞こえた。
「ごめんなさい」
そのまま振り向かずに、私はただ頷いた。寝室を出て、ドアを後ろ手に閉める。
部屋の外で、ドアに寄りかかって大きく息を吐いた。そうしてから、すぐ近くに跪いているレイに声をかけた。
「ご苦労だった。これからも頼む」
これでいい。二人に気持ちは伝わったはずだ。私は味方だと。
そうして、私は後宮の長い通路を引き返したのだった。