40. 閨房にて
身支度を終えて、隠し通路へのドアを開けると、そこにはカイルが待っていた。
ものすごく恥ずかしい。殿下の部屋に行くところを、カイルに見られるなんて!
「人払いをしてあります。心配はいりませんよ」
侍女長様が被せてくれた真っ黒なベールは、私の姿を闇に隠してくれた。抱きしめてくれる侍女長様の胸の温かさに、涙が出そうになった。
「カイル、クララを頼みます」
「心得ております」
カイルが、暗い通路の少し先へと歩を進めた。いつもと同じように、私を警護してくれる。
長く続く通路は暗くて、深い闇に吸い込まれるよう。一人だったら、怖くて一歩も進めなかったと思う。
『あいつは、ダメだ』
ずっと前に、そう言われた。殿下を好きになるな……と。なのに、こんなことになって。さぞ、呆れているだろう。
どのくらい歩いたのか。行き止まりが来たところで、カイルは立ち止まった。
「この通路は非常時の脱出用。左に行けば王族の居住区へ、右へ行けば外へ出られる」
ここが最後の別れ道? カイルはそう教えてくれたんだ。
まだ、間に合う。一夜のお相手なんて、本当はするべきじゃない。間違っている
でも、ここから逃げたところで、私の気持ちはもうどこにも行けない。
「俺は味方だ。必ず守る」
そう言って、カイルがその場に跪いた。私を心配してくれる優しい騎士。その忠告に従えなかった、愚か者は私。
微かに震えるカイルの肩に、私はそっと手を置いた。
「ありがとう。ごめんね」
そう謝ってから、私は目指す方向へと歩きだす。自分で進む道を選ぶ。
奥のドアの隙間から、明かりが見えた。大きく息を吸い込んでから、そのドアをノックする。
「誰だ?」
「クララです」
名乗るか名乗らないかのうちに、ドアが乱暴に開かれた。白い部屋着を来た殿下は、神話の世界の人のように美しい。
「ここで何をしてる?」
私はベールに顔を隠して俯いた。何をしているんだろう。なんでここにいるんだろう。
「王女様の命にて、クララ殿をお連れいたしました」
緊張で震え出した私に、カイルが助け舟を出してくれた。
「馬鹿なことを!とにかく中に入りなさい。寒いだろう。こんなに震えて。セシルがひどいことをして、本当にすまなかった」
殿下は冷えた私の両腕をさすって、そのまま温かい部屋の中へ導いてくれた。カイルにも入室するように促す。
「私はここで。何かあればお呼びください」
カイルの言葉に殿下は頷いて、何も言わずにドアを閉めた。私を暖炉の近くのソファに座らせてくれる。
「飲みなさい。とにかく体を暖めて。話はその後だ」
マグに注がれた、赤いワインを口にする。それは甘くて温かくて、私は少し落ち着きを取り戻した。
「セシルが無理強いをしたようだね。本当にすまない」
私はそこで、ようやく顔を上げることができた。ここは殿下の部屋。でも、いつも王女様をお通しする寝室じゃない?
私は勇気を出して、侍女長様から教わった言葉を使う。後宮の女が、夜伽の役目を申告するための。
「今宵は、殿下をお守りするよう、仰せつかっています」
それを聞いて、殿下は「はっ」と短く息をつき、こちらを向き直った。その姿に、私の心臓は跳ね上がる。
「身代わりに侍女を寄越すなど!権力をつかった暴挙だ!」
殿下の頬は、怒りで赤く染まっていた。このままでは王女様の立場が悪くなる!誤解を解かないと。
「私が望んで来たんです! 殿下が疲れているって聞いて……」
私はしどろもどろで、そう答えた。嘘じゃない。他にも選択肢もあった。だから、ここに来たのは私の意思。
「こんな時間に、男の部屋に来て!君はうかつだ!何をされても、文句は言えないんだぞ!」
それを承知で、それを望んで、ここに来た。もしかしたら、殿下に受け入れてもらえるかもしれないと。
「私では、お役に立ちませんか?」
「そういうことじゃない!君の身が危険だろう?とにかく、温まったらすぐに帰ってくれ!」
殿下はイライラと前髪をかきあげて、窓の前を行ったり来たりしていた。その表情はひどく疲れて見える。
私は苦しくなって、思わずこう口にしていた。
「私ではダメですか。癒やしになりませんか?」
殿下はふいに立ち止まり、私のほうをじっと見つめた。私は目を逸らさず、殿下を見つめ返す。
「君を抱けと言うのか?王女の命に従って、私に体を差し出すと?」
体だけじゃない。私の心を殿下に。
だから、私がいらないのなら、殿下の口からそれを聞きたい。このまま自分をごまかし続けるより、思い切り振られたほうがいい。
私はアレク先輩が……、殿下が好き!
「はい」
心臓が爆発する!自分が何を言っているか、何をしているかも、もうよく分からない。
でみ、私は確かに殿下を誘惑している。抱いてほしいと懇願しているんだ。恥も外聞も捨てて。
それでも引かない。絶対に引きたくない。これを逃したら、もう二度と交わらない運命かもしれないから。
そのとき、体がふわっと宙に浮いた。殿下があまり素早く動いたので、私は一瞬、何が起こったのか分からなかった。
私は殿下に抱き上げられ、そのたくましい腕の中にいた。黒いベールが床に落ち、純白のナイトドレス姿になる。
私が降ろされたのは、見たことのない天蓋つきのベッド。王女様と使っているものとは違う?
殿下は私に覆いかぶさるようにして、優しくおでこの前髪をはらってくれた。経験がない私でも分かる。殿下の瞳は欲情の炎を宿して、熱く煌めいていた。
私を求めてくれている! 殿下が私を! 奇跡だ。夢かもしれない!
「本気で言っているのか」
「はい」
殿下は私の顎に指を添えて、その麗しい顔を近づける。返事の代わりに、私は殿下の首に腕を回し、その体を強く抱き寄せた。
殿下のキスは、甘いワインの味がする。自分の体に灯った熱を感じながら、そのとき私はそんなことを考えていた。