38. 侍女の務め
王女様の秘密には、もう誰も触れなかった。聞かなかったことにする。それが、正しい侍女のあり方。
プロの侍女になるには、やはり格好から入るのがいい。その夜、私は早速、侍女の制服を着てみた。
地味だけど、パリっとした品がある。侍女長様が着ているのを見て、実はちょっと憧れていた。
黒のタートルネックドレス。銀のボタンが首からスカートの先まで並んでいる。長袖のパフスリーブの袖口には、同じ銀のボタンが二つ付いている。
その格好で、本日最後の仕事に赴く。王女様の寝支度のお世話。侍女棟を出たところで、カイルと合流した。
情勢が落ち着くまで、専属警護が必要とは聞いてはいた。北方と友好関係にある王女様の国を、快く思わない人間もいる。私たち侍女も王女側とみなされるからというのが、その理由だった。
でも、それがカイルだったのは驚きだ。まさか、本当に守ってもらうことになるとは!
カイルにとっては、いい迷惑だろう。でも、私にとっては百人力。
「ごめんね、こんな役目」
「王女の命だ。一時的な措置だから、気にしなくていい」
王女様の采配。殿下が私を心配して、カイルを付けてくれたわけじゃない。ガッカリしている自分に、私は喝を入れた。
関係ない関係ない。殿下は私とは、何の関係もないんだから!
夜の王女様は、昼とは違う美しさだった。洗いたての銀髪は絹のように柔らかく、月の光のように輝いている。
シルクのオフホワイトのナイトドレスを着た姿は、神殿に降り立った精霊。甘い香水の匂いに、うっとりとため息が出る。
「寝間のお支度を」
寝室へ行こうとすると、王女様が私を引き止めた。
「アレクの部屋で休むわ。供をお願いね」
「承知いたしました」
殿下の部屋に行く。侍女として当然な仕事なのに、ものすごく緊張する。
だって、夜に殿下に会うなんて初めて!なんだかドキドキする。
それでも、私は平然を装って、廊下に続くドアを開ける。そこには、カイルと隣国の騎士レイ様が控えていた。
「アレクの部屋へ行くわ」
王女様がそう言うと、レイ様が先頭に、カイルが最後尾に回った。誰も口を開くものはいない。薄暗く静かな廊下が、海の底のように感じられる。
「王女様を、お連れいたしました」
部屋の外からそう告げると、ドアが静かに開かれた。殿下が王女様を出迎える。
今日、初めて殿下に会えた! それだけで、私の気持ちは弾んでしまう。
でも、殿下は私のほうを見なかった。侍女服の下につけたペンダントには、気づくこともないだろう。
「ご苦労だった」
王女様の手を取って、殿下が部屋の中へ消えようとしたとき、王女様がそれを遮った。
「クララ、寝室の用意をしてちょうだい」
え、殿下の寝室に入るの? 驚く私の耳に、殿下の声が響く。
「セシル!そんなことはいい」
殿下は少し憤ったような声を出した。王女様と使う寝室を見せるのが、気恥ずかしいのかもしれない。
私だって本当は見たくない。そこで行われる行為については、一応の知識はある。だけど、そんなことは想像すらしたくない。
「クララの仕事よ。邪魔しないでちょうだい」
王女様は慣れた様子で、さっさと奥の寝室へと入っていってしまった。私は軽く膝を折って挨拶し、殿下の視線を避けるように王女様の後に続いた。
それ以上、殿下は何も言わなかった。
主寝室は青と白を基調とした、どちらかというと殺風景な印象だ。いい匂いがする。
寝具はすべて清潔な新しいものに取り替えてあるし、何をどうすればいいのか迷ってしまう。
「私の国のリネンが、そこの戸棚に入っているの。これと交換してくれる?」
柔らかな生地の、温かい色の寝具。これが王女様のお気に入りなんだ。私は白のシーツをはずし、薄いピンクのシーツをベッドにかける。
貧乏男爵家と言えども、ベッドメイキングはメイドのマリエルがやってくれる。自分でシーツを替えたことはない。
そんな新米侍女のために、お茶会の後は夕食まで、侍女長様が特訓してくれた。だから、仕事自体には問題ない。
でも、今夜ここで、殿下と王女様が……。そう思うと、やっぱり泣きたいような気持ちになる。
優しくて穏やかな殿下も、普通の男性だ。王女様の前では、違う顔も見せるんだろう。
私が知らない殿下を知っている。そんな王女様が、羨ましいと思ってしまう。その気持ちは、どうしても止められない。
王女様は殿下を愛していないと言った。それなのに、こうやって毎晩、殿下と夜を共にする。
側室がいれば、王女様はこのお勤めから解放される。もしかして、それが王女様の望みなの?
王族というのは、とてもつらい立場。国の都合が優先されて、個人の幸せは求められない。王女様も殿下も、それを当然に受け入れている。
私にできるのは、そんな二人に心をこめてお仕えすることだけなんだ。
取り乱さないよう気を張って、私はなんとか仕事を終えた。これが私のお役目なんだから!
寝室から出ると、そこには殿下の姿はなかった。王女様だけが、ソファーでくつろいでいる。
「アレクはシャワーを使っているわ。挨拶はいいから、もう下がってね。遅くまでありがとう」
王女はいつものように、優しくふんわりと笑った。
「おやすみなさいませ」
私は王女様に挨拶をしてそのまま退出した。ドアの外には、カイルが待っていてくれた。
「よく頑張ったな」
カイルの優しい言葉を聞いたとたん、緊張の糸が切れてしまって、私はその場にへたり込んだ。足に力が入らない。
そして、そんな私が落ち着くまで、カイルは黙ってそばにいてくれたのだった。