31. 王女の謁見
「クララ、そろそろだぞ」
ローランドの言葉に、慌てて姿勢を正した。ぼんやりしている場合じゃない。私は今、王宮にいるんだ!
隣国のセシル王女様。前々から、王太子妃候補として名があがっていた人。
昨夜のうちに、王宮に到着した王女様は、すぐに年齢の近い貴族との謁見を希望した。私にも、招待状という名の緊急召喚状が発送されていた。つまり拒否権はない。
謁見の間は、巨大な大理石の聖堂のようだった。正面の祭壇に、王と王妃の玉座が設けられている。玉座から入り口まで、真っ直ぐに敷かれたレッドカーペット。もちろん王族しか歩けない。
私のような下級貴族は、入り口近くの壁通路側が定位置。つまり下座だ。もちろん、出席者層と招待客人数、パートナーの階級によっても、その位置は微妙に変わるのだけど。
今日は、ローランドのエスコート。当然ながら上座に。これで緊張しないほうがおかしい。なんで貧乏男爵の娘が、筆頭公爵家の嫡男なんかのパートナーに!
亡くなった私の母は伯爵家の出身。父と駆け落ち同然に結婚したとき、大親友のローランドのお母様だけが味方だったとか。
お互いの子供にも仲良くなってほしいと思ったんだろうけど、いくらなんでも身分が違いすぎる。
「おまえ、今日はなんか、栗みたいだな」
茶色のシックで趣味のいいドレスに、ローランドはとても失礼なことを言う。
今日は大人っぽくしたかった。アレク先輩に、殿下に、私だってもう立派な大人だって思われたくて。
「つーか、野猿?」
何を言うか!自分こそ、サル山のボスみたいなくせに。
「化粧、盛りすぎじゃねえ?」
私はふーっとため息をついた。ちょっと猫の威嚇みたいに響いてしまったのは、許してもらえると思う。
とにかく、ローランドはうるさいし、ウザい。こんな兄貴だったら、正直要らないと思う。
「王女様は、お前と違って綺麗だぞ。度肝抜かれるなよ」
ローランドはそう耳打ちした。それはいいんだけど、なんで息吹きかけるのよ?くすぐったいじゃないの!公式な席なんだから、ふざけてる場合じゃないのに。
「殿下と並ぶと、キラキラしすぎて目も開けられないぞ」
何度も念を押さなくても、私だって分かってる。殿下にお似合いの高貴な王女様。私がいくら着飾ったって、敵うわけもない。
会場入口からチリリと澄んだ鈴のような音が聞こえ、みんなが一斉に頭を下げた。私も慌ててそれに倣う。
王太子殿下が王族の代表として、王女様をエスコートして入場する。
足元のカーペットをぼんやり見ていると、かすかな衣擦れの音が聞こえた。柔らかくて甘い、いい匂いが漂ってくる。
これが噂の王女様の香り!うっとりしてしまう。
夜中から日が高くなるまで、王女様は殿下のお部屋で共に休憩を取った。その後、王女様の移り香を漂わせたまま、殿下は政務に戻った。
王宮の中で、まことしやかに囁かれている話。二人はすでに、そういう仲なのだと。
謁見の待ち時間に、そんなことが噂されていた。こんな公式の場で、そういうくだらないゴシップを流すなんて。普通ならありえない。
なのに、なぜかこっちをチラチラ見ながら、大きな声で話していた令嬢たち。高位貴族のいる上座って、思ったよりもゲスなの?
王族の二人が席についたのを合図に、臣下が一斉に顔を上げた。私も姿勢を正して、二人のほうを見上げる。
そのとき、殿下がこっちを見た気がして、私の心臓が跳ねた。そして、すぐにその理由に思い至って、笑みがこぼれる。
殿下が見たのは、この髪飾りだ!
大人っぽく結い上げた髪に、差した飾りは一本の櫛だけ。それにアレク先輩からもらったペンダントを、うまくアレンジしてつけている。アレク先輩との思い出の品。さすがにドレスには合わせられないから、ヘアアクセサリーにしている。
それに、殿下は気がついてくれた!それだけで、なんだか踊りだしたい気分になる。
もちろん、殿下がこっちを見たのは、ほんの一瞬。もしかしたら、私の願望が見せた幻だったのかもしれないけど。
王女様の来訪は、友好外交目的だと告げられた。滞在が長くなること。この国の貴族たちと懇意にしたいこと。年齢の近い令嬢と特に親しくしたいということ。
そんなようなことを聞いたけれど、あまり耳に入ってこない。
すぐ近くに殿下がいる。こんなの平静ではいられない。緊張で心臓がドキドキするし、気持ちはソワソワして上の空。
「マクミラン公爵令息ローランド、ベルモンド男爵令嬢クララ」
名前を呼ばれて、我に返った。いよいよ、私たちの謁見が始まる。殿下にかっこいいところを見せなくちゃ!
私はローランドの差し出した手を取った。そして、エスコートされるままに、殿下と王女様の前に進み出る。
「まあ。素敵なコーディネートね!二人ともとてもお似合いだわ!」
コロコロと鈴が転がるような声で、王女様が声をかけてくれる。私は頭が真っ白になって、言葉が出なかった。本物の王女様。あまりに綺麗でドキドキする!
「恐れ入ります」
ローランドが頭を下げたので、私も慌てて頭を下げた。そのとき、殿下が親しげな優しい声で王女様の名前を呼んだ。
「セシル」
そのほんの一言に、私はなぜか泣きたい気分になった。
お二人がとても親密な関係だと、その声色で分かる。どうやら、あの令嬢が言っていた噂は本当みたいだ。殿下のお相手は、この王女様。
「ごきげんよう」
王女様が定型の挨拶をして、私たちの謁見は滞りなく終了した。
もう家に帰りたい。なんだか胸がいたい。心臓病だったらどうしよう!あ、お腹が空いているのかな?
「クララ、具合悪いのか?支えてやるから、楽にしろよ」
ローランドの手が、私の肩をつかんで引き寄せる。なんだか抵抗する気力もなくて、私はローランドにもたれたまま、ぼんやりと謁見の進行を見ていたのだった。
《イラスト:藤倉楠之》