30. 婚約者セシル (アレクの視点)
王宮の朝は早い。だが、三時半という時間は、まだ早朝とすら呼べない。いくら急を要するといっても、一国の王女が他国に到着するべき時間ではない。
父国王が不在のため、私と側近たちが国の代表として王女を迎える。
王女が乗っているとは思えない、簡素で地味な馬車が到着した。国境からは、私の部下が従者に身をやつして警備をしている。目立たないように、人数を抑えて。
先導していた隣国の騎士が、馬から降りて馬車のドアノブに手をかける。まるで夜そのままのような、真っ黒なマントとフード。闇にその姿を隠してはいるが、かなりの使い手。
馬車のドアが開く瞬間、ピリッと空気が破れるような音がした。魔よけの護符が、施してあったらしい。
中から、夜の闇色のコートを羽織り、そのフードで顔を隠した女性が現れた。騎士の手をとり、ゆっくりと馬車を降りる。そして、門の中に入ると、彼女は安心したようにフードを取った。
月もないというのに、眩いばかりの銀髪が輝き、灰色の目が嬉しそうな笑みを湛えた。
「ひさしぶりね、アレク。会いたかったわ!こんな時間に、ごめんなさいね」
そういうと、彼女は腕を大きく広げて、私の首にまわしてきた。私も彼女の背中に腕を回し、その華奢な背中を軽くたたく。
そして、すぐに私は彼女の腕から逃れて、その場に跪いた。
「セシル王女には、ご機嫌うるわしく」
王女が右手を差し出したので、その甲に敬愛の口づけを落とした。王女がふふっと笑う。
「相変わらずね。とにかく中へ入れてちょうだい」
王女が手をあげて合図をすると、馬車はそのまま闇に消えていった。そばに残ったのは、さきほどの夜の騎士だけだった。名はレイ。
「レイのことは気にしないで。私の従者よ。部屋に通しておいて」
レイとは面識があった。高名な魔術師。今やその功績は、世に広く知られている。王女の従者であり、いつ何時でも王女のそばを離れない。影のような存在だ。
この国でも、王女の従者として護衛を担当することになる。
「カイル、案内を頼む」
私がそう言うと、レイは黙礼をして、真っ直ぐにカイルのほうへ歩いていった。
カイルとは初対面のはずなのに、不思議と張り詰めていたレイの空気が緩んだ。
レイは警戒心が強い男だ。こんなことは珍しい。カイルのことを、以前から知っていたのだろうか。
魔力はあっても、カイルは隣国の訓練施設で学んでいない。むしろ、その力を隠しているのに。
夜通し馬車に揺られたにしては、王女の顔に疲れはない。その歩みは軽やかだった。むしろ私の足取りのほうが重い。
「部屋で、少し横になりますか」
王女の体調を気遣って、そう言ってみた。
「貴方の部屋に行きたいわ。いいでしょう?」
挑発的な言い方に、言外の意図を感じ取る。心の中でため息をつき、とりあえず釘をさした。
「まだ、夜中とも言える時間帯。淑女が男性の部屋を訪ねると、あるいは醜聞にもなりかねませんが」
それを聞いて、王女は楽しそうに笑った。黙っていれば月の女神と見紛う美しい王女だ。
「気にしないわ。いいじゃない。私たちは婚約者でしょう? 」
「……承知しました」
私はあきらめて承諾した。ここで固辞すると、王女の体面を傷つける。守秘義務があるとはいえ、王宮の情報は漏れるのだ。
私は王女を自分の部屋へと案内した。そして、彼女を中に入れると、誰も近づけないよう衛兵に指示を出した。
ローランドの顔は、見ることができなかった。彼がどう思っているのか、それを知りたくない。
「ずいぶんやってくれるじゃないか」
私の部屋に入ると、セシルはどかっとソファーに腰を下ろした。この王女は昔から猫かぶりだ。ごく親しいものにしか、その本性を見せることはない。
「しょうがないじゃない。どうせ王宮中には、父と北方の手のものが入ってる。貴方の部屋くらいでしか、気が抜けないわ」
セシルはコートを放り出して、テーブルの高坏にもられたチョコレートを頬張った。
「確かに、ここには強固な結界が張ってある。それにしたって、わざわざああいう態度は不要だ」
私はわざと呆れたような声を出した。だが、セシルは全く意に介さない。
「わあ、このチョコレート大好き。これが用意してあるってことは、貴方も私の夜這いを期待していたんでしょう?」
悪戯っぽくウィンクしてくるセシルに、今度は本当にため息をついた。
確かに、彼女の大好物のホットチョコレートも手配してあった。セシルが私と個人的な会合を持とうとするとは、ある程度予想はできていたから。
「私の部下は、北方のことを知っている。演技する必要はなかった」
セシルは何も言わず、立ち上がった。私の首に腕を回し、体をピッタリと寄せてくる。
さすがの私も、彼女の甘い匂いに少しくらっとした。思わず、自分の腕を彼女の腰に回す。
「敵を騙すには、まず味方から。ここも完全ではないわ。だからこのままで聞いてちょうだい」
誰もいない部屋の中なのに、セシルは耳元に唇を近づけてささやいた。彼女は絶世の美女と誉れ高い。私じゃなければ、簡単に籠絡されただろう。
私はセシルを腕に抱いたまま、隣国の状況を聞いた。それは、思った以上に事態は深刻だった。
セシルとの軍議は日が高くなるまで続いたが、その間、彼女は私の腕の中から離れることはなかった。
『王女セシルの宿命と恋の行方 ~ 無償の愛が世界を救う礎となるまで~』の60話「婚約者アレクシス」と裏表ストーリーとして同時進行します。
隣国の王女セシルの恋物語【全109話】完結済み
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