25. 情勢不安
「迎えが来たようだね。そろそろ戻ろうか」
丘の向こうから、誰か近づいて来る気配があった。私たちは、急いで互いに体を離した。制服に乱れがないか、素早くチェックする。
「クララ、近いうちに学園でパーティーがある。そのとき、一曲だけ踊ってくれない?」
「パーティーですか? そんな話、聞いてないけど」
「今はまだね。でもすぐに公示されるから。僕の最後の願いを聞いてほしい」
先輩はローランドと仲直りしてくれた。なのに、お礼のお弁当十日分を踏み倒すことになった。それがダンスに変更になったと思えば、無碍に断ることもできない。
「分かりました。じゃあ、一曲だけ」
「約束だよ」
「はい」
そのとき、丘の上から声がした。
「殿下、もういいでしょう。クララを返してください」
私たちを迎えに来たのは、ローランドだった。
先輩は私に軽く会釈をすると、そのまま学園に戻っていった。私をローランドの元に残して。
それからすぐ、先輩の予告通りにパーティーの告知が出た。それは学園一時閉鎖と共に、生徒に通知されたのだけれど。
「北方の軍事勢力が、国境に進軍してきたらしいわ」
ヘザーは新聞記者志望。実家の伯爵家は出版社を後援しているし、かなり世情に敏い。
「共和国のこと? ちょっと前に、クーデターがあったとか」
「そう。今は崩壊して、ただの軍事勢力よ。辺境伯の軍と睨み合いが続いているって」
「やだ、まさか戦争に?」
「大丈夫よ。陛下が直接、解決に動くって」
北方の侵略を防ぐ。そのために、国王陛下と重臣たちは、辺境近くへと政務の拠点を移す。
「じゃあ、王宮はどうなるの。空っぽに?」
「王太子殿下が入るのよ。国内政務は、一時的に全権委譲だって。帝王教育の一貫かもね」
特別クラスは、すでに学園内に執務室を設けている。遠隔で王宮の政務補佐をしているという噂。王宮が機能しなくなっても、学園で国を動かせる。
危機管理による采配。 この国にそこまでの危険が?
殿下が王宮に移ったら、学園も一時閉鎖される。生徒達は、家族や領地に戻されることに。情勢の安定した西側諸国への避難も奨励されている。
まるで戦時体制みたい。事態はそんなに逼迫してるの?
「学園、すぐに再開しないのかな」
「宰相のおじ様の腕次第ね。でも、北方だって、理由もなく侵略なんてできないわ」
ローランドの父、私たちがおじ様と慕う宰相様は、その外交手腕を誇る。きっと大丈夫。戦争になんてならない。私たちはそう信じている。
だから、学園は辺境の危機よりも、パーティーの話題でもちきりだった。まるで、長期休暇前のイベントみたいに。
ただ、最近は特別クラスの生徒を見かけることが少なくなった。それでも、たまにカフェや図書館に姿を見せると、みな変わらずにキラキラと輝いている。
今までと何も変わらないように見えた。変わらないように見せていた、と言うべきなのか。うまく隠してはいるけれど、よく見ていればその違いに気がついたと思う。この学園内で、あの集団だけはすでに見えない敵と戦っている。先輩もきっと……。
「クララ、最近、心ここにあらずって感じね。大丈夫?」
珍しくカフェに来た日に限って、先輩と遭遇してしまった。その重責を考えると、つい食欲も落ちてしまう。助けになりたくても、私には何もできない。
「うん。特別クラスの人たちを見るとね。なんだか申し訳なくなるの。すごく無理をしているみたい」
「上に立つ者としての責任ね。殿下はいずれこの国を統べる。私たちには想像もできない苦労があるんでしょうね」
遠くでにこやかに談笑している先輩を、そっと盗み見た。もう、話しかけることもできない。もう本当の笑顔は、見られないのかも。そう思うと心が痛い。
ローランドと先輩は、今はいつでも行動を共にしている。仲違いなんて、なかったみたいに。
「ローランドも、すごく疲れてるわね。殿下が陛下の代行なら、ローランドは宰相の役目を担う。重責よ」
ヘザーは、ため息混じりにそう言った。彼女は情報に敏感。たぶん、色々なことを知っているんだ。
「何か手伝えないのかな」
「政務に関しては無理ね。でも、癒やしにはなれるんじゃない?」
「どうすればいいの?」
「結婚よ。内助の功」
私は飲んでいたお茶を、吹き出しそうになった。そして、そのせいで盛大に咽てしまった。
「ヘザー、話したよね?その気はないって」
「そう? ローランドは、そのつもりみたいだけど」
「ないから!」
ヘザーはなぜか、私とローランドに仲を盛大に誤解していた。それを正すため、私はかなりの時間を割いて話をした。もちろん、カイルとの約束を守って、一つの事実だけは排除して。
そのカイルとは、あれから話していない。王太子付の円卓の騎士。政務補佐と護衛、両方の役割を果たす。カイルは今も、先輩から少し離れた壁側に立っている。
「護衛の騎士って、いつご飯食べてるんだろう」
「交代制なんじゃない?昼夜関係ないし」
「こんなこと、いつまで続くのかな」
先輩はそんなに危険? 二十四時間体制で警護が必要なくらいに。そう思うと、私の心はキリキリと痛んだ。
「ヘザー。私、自分がよく分からない」
「運命の男性が現れた?」
私は驚いてヘザーを見た。それは今まで、思い出しもしなかったことだった。
「それって、あの占いの?」
占いには興味なさそうだったのに、どうして急にそんなこと。もしかして、ヘザーはめぐり逢えたの?確か、モテる浮気者の色男だっけ。誰それ?
「そう。あの占いは本物だわ。だから、クララも当たるだろうなって」
ヘザーは視線を落として、そう答えたのだった。