24. 小さな恋人たち
その後のことは、よく覚えていない。
ヘザーの話だと、私は遅くまで薬草園にいて風邪を引いたらしい。高熱を出して倒れたのを、ローランドが寮まで背負って来たという。
翌日には熱は引いたけれど、体中が痛くてひどい倦怠感が残っていた。
それでも、どうしても確かめなくちゃいけないことがある。私は無理をして登校した。
なぜって、今日は朝から快晴だったから。
丘の向こうには、いつものように先輩がいた。私が来たのを見て、いつものようににっこりと笑う。
「バレちゃったみたいだね。カイルから聞いたの?」
私は黙ったまま首を振る。先輩は少し目を細めて笑った。この笑顔には、確かに覚えがある。
「ローランドか……」
「どうして、隠してたんですか?」
先輩は困ったように、肩を竦めた。
「最近まで、君が気づいてないって知らなかった」
「変装されたら、気が付かなくてもおかしくないですよね? 」
「市場でキスしたとき、君も思い出したと思ってたんだ。果樹園のときと同じ味だったから」
それって、三・四歳の子供の頃の話? あのとき私、そんなことしてたの?
「覚えてません」
「ひどいな。僕のファーストキスだったのに」
そんなこと言わないで! 私は怒ってるのに。糾弾してるんだから! 絆されちゃだめなのに。
「そんなの、事故チューみたいなものじゃないですか」
「あんなに何度も? 結婚の約束もしたよね。僕とずっと一緒にいたいって、寝るときもベッドに潜りこんできた。僕の初めてを奪っておいて、責任は取ってくれないんだ?」
幼児の私、一体、何をしてるんだ! ストーカー! 痴女! 犯罪者!
いや、待って! カイルが先輩は腹黒い策略家だと言っていた。鵜呑みにしちゃいけない。
「それが本当なら、責任を取るのは先輩の方でしょう? 幼い女の子に、い、イタズラしたんですから!」
「だから、プロポーズしたじゃないか。僕はまだ立太子前だったけど、君は頑張って妃になるって」
「いい加減にしてくださいっ! 怒りますよ?」
「もう怒ってるよね?」
「当たり前でしょ」
「だよね」
私たちは顔を見合わせて、ブーっと吹き出した。何これ、いつもと同じじゃない! 王太子殿下であっても、アレク先輩はアレク先輩だ。何も変わらない。
「もういいです。それより、なんで変装してるんですか?」
「こっちが、オリジナルだよ。眼鏡をかけると顔を隠せるから。防衛のためにね」
「でも、髪の色まで変えるなんて」
先輩の髪は薄茶、殿下は金髪だ。
「君も言っただろう? 特別クラスは、キラキラの金髪ばかり。その方が目立ちにくいんだ」
そうですか。皆さんグルで、公然の秘密だったんですね。
「分かりました。故意じゃなかったんですね」
「普段はずっと、あっちの格好なんだ。こっちはごくプライベートのときだけ。公爵邸で遊んだときもそうだった。もちろん、君はどっちの僕も知ってたよ」
「市場ではそれを逆手に取って、身分を隠したんですね」
「うん。研修で宿に泊まってた。君がローランドと入った部屋だよ」
「え、なんでそれを?」
市場で怪我をしたとき、ローランドが町宿の部屋で応急処置をしてくれた。あの部屋は、先輩の部屋だった?
「君の匂いは甘いからね」
「何それ! 変態発言!」
私のツッコミに、先輩は大爆笑した。
「冗談だよ。魔力だ。微細だったけど、僕の魔力が残っていた。たぶん、キスのせいだね。あの後、怪我したんだろう? ごめんね」
「あ、いえ、それは治してもらったので」
「カイルにね。僕が治してあげたかった」
ああ、そうか。図書館で手首を手当してくれたとき、先輩は右足も癒してくれた。あのとき、怪我のことに気がついたんだ。
色々と知ってみれば、辻褄が合う。先輩に悪気がなかったことも。
「よく分かりました。先輩は何も悪くないですね」
私がそう言うと、先輩はホッとしたようだった。
「許してくれる?」
「もちろんです」
「じゃあ、これからも友達で」
「それは無理」
「……だよね」
先輩は寂しそうな顔をして、俯いてしまった。そんな顔しても、ダメなものはダメだ。
アレク先輩が殿下なら、私は最下位の臣下。気楽な友人なんて立場ではいられない。
二人で会っていることが人に知られれば、お互いの醜聞になりかねない。
知ってしまった以上、このままではいられない。
「もう、ここには来ません」
「うん」
「お弁当も作りません」
「うん」
そこまで言ったところで、私の頬をふいに涙が伝った。
学園に来て数ヶ月。最初は周囲に馴染めなくて、ろくに友達もできなかった。でも、先輩だけはずっと優しかった。ここに来て、先輩とおしゃべりすると癒された。
ここに来るのが、先輩に会えるのが楽しみだった。私は、アレク先輩が好きだったんだ。
「どうして泣くの?」
「アレク先輩が消えてしまうから」
「僕は僕だよ」
「先輩は王太子殿下です。アレク先輩じゃない。アレク先輩には、もう会えない」
泣きじゃくる私を、先輩は優しく抱き寄せた。私の髪をゆっくりと梳いてくれる。
「泣かせるつもりはなかったんだ。君と一緒にいると楽しくて。少しでも長く、このままでいたかった」
「私もです」
「僕も君と同じ気持ちだよ。アレクと同時に、僕の可愛い後輩も消えてしまうんだから」
先輩の制服にしがみついて、私はしばらく泣いた。そして、私達はどちらからともなく、自然に唇を重ねた。
先輩の唇は温かくて、流れ込んでくる優しい魔力が私の心を癒してくれた。
「これは、事故チューかな」
「そうです」
長いキスで、私たちは息が上がっていた。それでも、互いに共通認識の再確認をした。このキスに深い意味はない。単なる事故のようなものだと。そう思い込むことにしたのだった。