20. 私の初恋相手
閉会式は滞りなく終わり、私たちは会場を出た。
ローランドは、きっと弓道部の打ち上げに出る。だから、今日は会わないで帰るつもりだった。明日、ヘザーと一緒にお祝いをすればいい。
そう思っていたのに、会場を出たところで、ローランドが私たちを追ってきた。
私たちは、口々に祝いの言葉をかけた。ローランドはそれなりに嬉しそうにお礼を言う。
「ありがとな。すぐ準備するから待ってて。一緒に帰ろう」
「でも、これから祝賀会じゃ?」
「もうそんな気力ないよ。それは明日」
「私は先に帰るわ。ちょうど本屋に寄りたいから」
本屋なんて言ってなかったのに! ヘザーはさっさと、市街地行きの乗合馬車のほうへ行ってしまった。
しかたなく、私は一人で会場外のベンチに座ってローランドを待った。
「ごめん、待たせたな」
「ううん。大丈夫。ゆっくりでよかったのに」
ローランドは走ってきたらしく、少し息を切らしていた。シャワーを浴びたのか、石鹸の香りがする。
「何か食べて帰る?」
「いや、いいよ。ちょっと話したいんだ。馬車でいいか」
私達は公爵家の馬車に乗り込んだ。公爵家専属の御者も、昔からの顔見知り。私を見ると軽く挨拶をしてくれた。
「優勝おめでとう」
向かい合わせで座っているけれど、ローランドは何も話さない。なんとなく気まずさもあって、私はもう一度お祝いの言葉を繰り返した。
「優勝者は俺じゃない。気がついてただろ?」
「最後の一本のこと?」
「あれはわざとだ。ギリギリの僅差を狙って外してきた」
やっぱりそうなんだ。ローランドも気づいているなら、もう気休めを言うべきじゃない。
「なんでそんなことを」
「あのときと一緒だ」
「あのとき?」
「そうか、覚えてないんだったな。果樹園だよ」
果樹園の……リンゴの……眼鏡男子?
そのとき、頭の中にモヤがかかったような情景が浮かんだ。
リンゴがほしいと泣く私の頭を撫でる手。笑顔で赤いリンゴを差し出す眼鏡の男の子。
そうか!あの笑顔。どこかで見た殿下のあの笑顔は、あの男の子のだ!
「殿下が、魔法でリンゴを取ってくれた子?」
「そう。だから言ったんだ。次は魔法じゃなくて、弓で勝負しろって」
「あのときも勝負したの?」
「ああ。あいつは最後に、わざとギリギリのところで外した」
「どうして……」
「お前が、俺が負けるんじゃないかと、心配してたから」
全然覚えてない。リンゴを落としてもらったことすらも、おぼろげな記憶だった。
「殿下は、お前の初恋の相手だよ」
「ええっ?全く覚えてないけど」
「殿下と結婚するって大騒ぎして」
「そんなの、三・四歳の子どもの話でしょう?」
「殿下もお前を妃にすると言い出した」
「は?殿下だってまだ五歳くらいだし。子どもの戯言だよ!」
何をやってるんだ、幼児クララ! 恐れ多いにも程がある。子供って無敵だ。さぞ周囲の大人を焦らせたことだろう。
「それでも、俺は嫌だった。負けたくなかった」
「それって……」
「悔しいんだ。弓では絶対に勝ちたかった。二度と負けたくなかった」
ローランドの声は震えていた。そんなに悔しかったんだ……。
そうだよね、あんなに頑張って練習してきたんだもの。
「ローランドは負けてないよ。今日だって、誰よりもかっこよかった。本当だよ」
嘘じゃない。今日は会場中がローランドに夢中だった。
「会場にいた人は、みんな、ローランドが負けなかったって分かってる。負けたのは、勝負を放棄した殿下だよ」
私はローランドの背中を、ポンポンと叩いた。母親が泣いている子どもを、なぐさめるみたいに。
「殿下には、近づかないでくれ」
「は?当たり前よ。私もヘザーもローランドの味方!約束する」
殿下なんて、私には全く関係ない人なのに。こんなこと言うなんて、ローランドは今、すごく精神的に落ちている。
「ごめんな」
「いいよ。今日は疲れたでしょう。起こしてあげるから、ちょっと眠ったら?」
「うん。ありがとな」
馬車が寮に到着するまで、ローランドは目をつぶったままだった。
私はずっとローランドの背中をポンポンと叩きながら、彼が早く元気になるようにと願っていた。
そして、あの大会から、ローランドの様子がおかしくなった。最近、よくカフェでのお昼に誘われる。
「約束通り、優勝賞金がなくなるまで、おごってやるよ」
そうは言っても、ローランドは特別クラスの優等生という立場。殿下の側にいるべきなのに、急に別行動になるのはおかしい。
絶対に殿下と何かあったんだ! カイルならきっと何か知っている?
私はなんとか、カイルと連絡を取ろうとした。でも、ローランドの手前、男子棟の騎士科を訪ねるわけにはいかない。カイルは部活動にも参加していない。
私はアレク先輩に一縷の望みを賭けた。先輩に伝言を頼むのは気が引けるけれど、他にツテはないから。
申し訳ないけれど、またお弁当のお礼で手を打ってもらおう。
今日は快晴。私は庭園の丘にアレク先輩がいることを祈った。
「やあ!久しぶりだね。どうしてたの?」
やった!アレク先輩がいた。ラッキー!
「先輩!一生のお願いがあるんです!お弁当十日分で、なんとか聞いてもらえませんか?手作りお菓子もつけます!」
会った早々、私は拝み倒す勢いでそう言った。
アレク先輩が、きちんと説明するように諭すので、私はかいつまんで事情を話した。
「つまり、殿下とローランドが仲違いしているので、カイルに会って詳しい話を聞きたい。そうことだよね?」
「はい。カイルなら色々知っていると思うので。先輩も何か知ってます?」
アレク先輩は、ちょっと空を見るような仕草をした。でも、すぐに私のほうを向いて、ハッキリとこう言った。
「あれは、殿下が悪かったね。反省すべきだ」
なぜか先輩は、確固とした態度で、そう断言したのだった。