2. サファイヤの瞳
明日からの二年間の学園生活が、貴族の教育の最終段階となる。
これまでは家庭で、おのおの学習していた子女たちが、一箇所に集められてその能力を競う……というのは建前。
成人する前の社交場というか、コネ作りの場。
そして、もちろん男女の出会いの場!
婚約者のいないものは、ここで恋人を得て婚約することが多い。
決まった相手のいない私たちは、学園で素敵な出会いがあるのか興味津々。それを占ってもらいに来たのだった。
「ヘザーって、誰か好きな人いるの?」
「さあ、どうかな」
「いるんなら、教えて!親友でしょ?」
「クララが教えてくれたらね」
「運命の恋に落ちたら教えるわ。だから、ヘザーも教えてね」
「いいわよ。でも、あれは占いの話だから。当たるも八卦当たらぬも八卦よ」
私たちは二人でそうだねえと笑い合った。
占いは占い。予言じゃない。でも、これからの学園生活に、ちょっとした恋の予感は嬉しい。
だって、素敵な恋をしてみたいのが、乙女の夢だものね。
「私、ちょっと図書館に寄ってから帰るけど、クララはどうする?」
「私はもういいわ。このまま寮に戻る」
「一人で大丈夫?待っててくれたら、一緒に帰るけど」
へザーは勉強家なので、図書館に入ったら最後。最低でも、二時間は出てこない。
お腹もすいたし、ちょっと買い食いしながらゆっくり帰るほうがいい。
「大丈夫よ。道も覚えてるし、のんびり帰るわ」
私はそういう言うと、その場でヘザーと別れて、反対方向へと歩き出した。
今思えば、このときのこの行動も、つまりは私の運命の一部だった。
なぜなら、そのすぐ後に、私は巡り逢ってしまったから。三人の素敵なイケメンに。
そして、そのうちの一人が運命の男性だったのだ。
それを私が知るのは、もっとずっと先のこと。だって、そのときは、本当に自分に何が起こっているのか、分からなかったから。
でもそれは、私が鈍感なせいだけじゃないと思う!
場所は王都の狭い路地。目の前には、見たこともないような奇跡のイケメンさん。
そして、状況は小説に出てくるような、いわゆる……壁ドン?
「絹みたいに綺麗な髪だね。瞳も煌めく宝石のようだ」
えーと、それは誰の話?
この人の目のことかな?まるでサファイアみたいに、キラキラ。その輝きは1万ボルト?
もしかして、天使かな? だって、美貌が人間離れしている。
パニックになるなら今なはずなのに、自分に起こっていることがあまりにも非現実的すぎる。
そのせいか、私は逆にどうでもいいことを考えていた。実は、これがパニックというものなのかもしれない。
「君を褒めてるんだけど。喜んでくれないの?」
私が無反応なので、その奇跡イケメンさんは、何か不審に思ったらしい。でも、不審者はあなたですよね?
だいたい、初対面であんなセリフ言われたら、喜ぶどころがサムい……。
とは言え、これだけの奇跡イケメンがこんな近くに!私じゃなかったら、すでに気絶しているかもしれない。
「おかしいな?女性を喜ばせるには、まずは容姿を褒めることだと教わったのだが」
それは間違いじゃない。確かに間違いじゃない!
でも、時と場所と場合というものがある。今ここでは、全くの無意味。いや、むしろ逆効果。
だって、なんであなたに、私を喜ばせる必要が?根本的なところで、間違ってますよね?
「これでダメなら、次は……」
奇跡イケメンさんはそう言うと、私の顎に指をかけて上を向かせた。
これはアレ!顎クイ? じゃあ、この後に来るのは!
脳が『逃げろ』と命令を出したときには、もうすでに時遅しだった。
奇跡イケメンさんが、私の唇に軽くキスを落とす。ふわりと香木のような香りがする。
「喜んでもらえた?」
奇跡イケメンさんは、ニコニコとそう言った。
そんなわけないっ!乙女の唇をなんだと思ってるの!
それでも、奇跡イケメンの笑顔ビームはすごい!思わず『はい!』と言ってしまいそうな勢いで、グイグイくる!
でも、今度は正常な私の脳の刺激のほうが早かった。
バシーン!
私の両手は、思いっきりイケメンさんの頬をひっぱたいていた。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするイケメンさん。
怒りに燃えて手のひらの痛みに耐える貧乏男爵家の娘。
そもそも、どうしてこんなことに?どこから、何を、どうしたら、こうなったんだっけ?
ときは、つい十数分前に遡る。
ヘザーと別れて買い食いのために市場の屋台を物色していた私は、偶然見てしまった。
いや、見つけてしまったのだ。
いかにも育ちの良さそうな貴族のお坊ちゃまが、お忍びで街にいらしている様子を。
そして、格好だけは町民のフリをしているけれど、どこからどう見ても金持ち貴族のボンボンであるのがバレバレだった。
そのために、あっさり路地裏で街のゴロツキたちに囲まれて、金をせびられていたのだ。
「衛兵さーん!こっちです!人が脅されてまーす!」
ここで、関わるべきじゃなかったのかもしれない。ゴロツキどもは本当にただのゴロツキ風情。悪くてもお金を取られるだけで、殺傷事件にはなりようがなかった。
それなのに、ついつい親切心で市場を警備している衛兵さんを呼んでしまったのだ。
そして、ゴロツキはやはりゴロツキ。私の叫び声だけで、あっさりと逃げていった。
「あの、大丈夫でしたか?」
「あ、ああ。ありがとう。助かりました」
私が駆け寄って声をかけると、茫然自失という感じで立っていたお坊ちゃまが、そう答えた。
そして、そこで私の思考は一瞬停止してしまったのだった。
なぜなら、このお坊ちゃま。人間とは思えないような奇跡の美形だったから。