19. 真剣勝負
弓道大会で、私は先輩に会えなかった。ただし、それは私が先輩に気が付かなかっただけの話。
実際には、先輩はちゃんと会場にいたのだ。
弓は本来、戦場で使う武具。競技者は弓兵用の軍服を着る。もちろん、本物の軍服ではないけれど。
この大会の主役はローランドだ。その弓を射る姿は、息を飲むほど美しい。
保護色である灰緑の詰め襟姿に、ローランドの緑の瞳が格段と映えていた。
会場中が、彼の入場から退場までの体配や、構えの流麗さにため息をつく。射的の正確さに感嘆の声を上げる。
上位入賞者の常連らしく、シード枠であまり出番はない。すべての的の中心を射て、ローランドは難なくリーグ戦を勝ち抜いていく。
総合判定ではなく、的中率で勝敗を決める形式。ローランドの腕に迫るものは一人もいない。
「ローランド、かっこいいね」
「まあね。弓を射るときだけは、それ認めるしかないわね」
ローランドは集中しているので、こちらを見ることもない。
いつもなら手を振ったり、笑いかけてきたり。すぐに私達に寄ってきてしまうのに。
個人競技は自分との戦い。集中力が切れたときに負ける。だから、雑念を一切排除しているんだ。
制服女子はちらほら見かけるけれど、会場の厳粛な空気に気圧されて、騒ぐ者はいなかった。
そんなことをしたら、係員につまみ出される。
「殿下はどこ?いつ出るんだろ?」
「最初から、ガラス張りのVIP席にいるわよ。エキシビションに出るらしいわ。優勝者が殿下を負かして、箔を付けるというのが目的ね。要はイロモノよ。ローランドの引き立て役」
なるほど。ちょっと言い過ぎな気もするけど、さすがに情報通。ヘザーに知らないことはない。
殿下はつまり最後のエンタメだ。公務っていろいろと大変なんだな。
「わざと負けるってこと?」
「ローランドに勝てる人なんて、いないわよ」
自分が勝つと分かっている出来レース。あのプライドの高いローランドが、それを受けるとは思えない。
もし勝負を承諾するなら、殿下も相当な腕前なのかもしれない。
ローランドは最後までで絶好調で、あっさりと優勝した。誰もが彼が負けるとは思っていない。
本当にそう? ローランドは、殿下を伏兵だと言っていた。簡単に勝てる相手なら、そんな風には称さない。
ふいに、殿下が会場に現れた。本番前のウォーミングアップをするらしい。
こちらも軍服だけど、王族の勲章や装飾がついたきらびやかなものだった。金髪と金縁の眼鏡が相まって、キラキラ感が半端ない。
さすがに、このときばかりは、会場からワッと声が上がった。
「キラキラだね。動きにくそう」
「派手としか言いようがないね。もう見世物だわ」
やっぱり余興なのかな……。
そう思った次の瞬間には、私たちは息をするのを忘れて、殿下の競技に見入っていた。
バシィ!
殿下の放った矢は、的の中心を射抜いた。体配も所作も美しく、射への動作も流れるよう。どう見ても素人じゃない。
水を打ったように、場内が静まり返る。この会場には、不正防止の魔法がかけてある。あれは殿下の実力だ。
待機用のベンチに戻る途中で、殿下がこちらを見上げた。眼鏡にライトが反射しているので、顔はよく見えない。
微笑まれたような気がした。この辺に誰か、殿下の知り合いがいた?
「ヘザー、殿下と知り合いだったりする?」
「見て!ローランドが出てきたわ」
いつの間にか、ローランドが会場へ戻ってきていた。殿下に歩み寄って、対戦者同士の握手を交わしている。
いよいよこれから、エキシビションが始まるんだ。
矢は五本。交互に打って命中率を競う。中心に近いほど得点が高い。
どちらかが外して勝敗が決定的になれば終了。同点ならば五本を過ぎても続く。
ローランドが最初に射って、殿下がそれを追う。
腕はローランドが上だとしても、疲労がある点を考えると互角。実力が拮抗すれば、ローランドに厳しい勝負になる。
会場中が固唾を呑んで見守る中、最後の競技が開始された。
一本、二本……
ローランドも殿下も、的の真ん中を確実に射る。
それでも、どこか余裕げな殿下と違って、ローランドは疲れが見え始めていた。その額には、玉の汗が浮かんでいる。
これはエンタメなんかじゃない。この大会一番の真剣勝負。会場中が手に汗を握っている。
バシッ!
ローランドが五本目も真ん中に命中させた。射ったあとに手の甲で額の汗を拭う様子は、すでに限界が近いように見えた。
もういいよ、ローランド。もうやめよう。これ以上は無理だよ。殿下も的中だったら、もう棄権して!
そのとき、殿下がまたこっちを見た。そして、やっぱり少し微笑んだ気がした。
なんだろう。あの笑み、どこかで見たことがある気がする。どこでだった?
おぼろげな記憶を手繰ってみたけれど、眼鏡男子に知り合いはいない。でもどこかで……。
バシッ!
殿下が放った五本目は、少しだけ中心を外していた。会場がワァっと湧いて、ローランドの勝利が確定した。
「クララ!やったわ!ローランドの完全勝利よ!」
ヘザーは私に抱きついて喜んでいる。
完全勝利?殿下はほんの僅差になるように狙って、わざと外したように見えたけど。私の見間違い?
殿下とローランドは握手を交わし、殿下からローランドに優勝者のトロフィーが手渡された。
ローランドは笑顔を浮かべているけれど、あれは本当に喜んでいる顔じゃない。
ローランドも納得がいかないんだ。私はそう確信した。