2. 準備完了
エリーの担当になったメイド達の総監督でもあるロザリーは、支度が完了したのを確認し扉に向かう。
外で待機していた者を呼び入れようとした、その時。
――ぱぁんっ!
と、小気味好い音が室内に響く。
ロザリーはバッと振り向き、室内にいた全員の視線がエリーゼに集まる。
「お、……お嬢様?」
メイク道具を片付けていたメイドの一人が、不安そうに声をかけた。
「あ! ううん、何でもないわ。気にしないで」
エリーゼは気持ちを切り替えようと、自分の頬を両手で挟むよう叩いたのだが、思いのほかよい音がしてしまったのだ。完全に力加減を間違えた。
笑って誤魔化すが、鏡に映る自分の顔を見ると――せっかく品良くメイクしてもらったのに、赤みでチークを濃く入れたかのようになってしまっている。
(……しまった。でもまあ、すぐに赤みは引くでしょ)
そっちに気を取られたせいか、さっきまでのいい知れない不安は自然と薄れていく。
「エリーお嬢様、殿下がお待ちです」
落ち着いた男性の声。上質な執事服に身を包んだデールが、ロザリーに入室を許可されやって来た。
宴仕様に髪を艶やかなオールバックにまとめ、立ち振る舞いはイザックに引けを取らない完璧さ。
エリーゼに向いていたメイドの視線を全て攫ってしまう。
「デール、どうかしら?」
「とてもお美しいです」
隙のない笑顔で返事したデールは、エリーゼの頬をチラリと見た。
『……なにやってんだ?』
『あー、ちょっと気合い入れたら強すぎたの。別に痛くはないわ』
『まったく!』
デールは表情を崩さないまま呆れ声を脳内に響かせると、エリーゼの頬に触れ、熱を奪うように赤みを消した。
執事が主人の顔に触れるなど許されない行為だが、デールにとって周囲の意識を操るなど造作もないことで、目の前で行われても誰一人気付かない。
「では、御案内いたします」
エリーゼはこくりと頷いた。
今日のパートナーは義父であるユリウスだ。婚約者のいないエリーなら当然そうなる。
義理の従兄弟となった公太子が、パートナーになりたいと申し出てくれたらしいが、ユリウスが余計な誤解を生みかねないと却下……丁寧にお断りした。
公爵邸で過ごすようになってから、何度か会いに来てくれた公太子と公女は、公妃の影響かエリーにかなり好感を持ってくれているようだ。
公女のお目当ては、デールであるような気がしないでもないが。
ちなみに、会場は公爵邸の大広間ではなく公城の大ホールで行われるため、エリーゼ達は三日前から公城に泊まっている。当日に疲れが出ないようにと、病弱設定のエリーを気遣う公妃からの誘いで。
ユリウスとしても、エリーの病弱っぷりは出来るだけアピールしておきたいため、断る理由が無かった。
公爵邸から連れて来た使用人はロザリーとデールだけで、他は公城の者だ。
道中は別として、城の中の護衛は近衛騎士団が担当する。
近衛騎士団では女性の登用があるので、公爵家の騎士で唯一の女性であるエリーゼは、この期間に休暇を与えられた。建前上は。
公国の盾とも呼ばれる公爵家の騎士団は、圧倒的に筋骨隆々の腕っ節に自信がある者が入団を希望する。
特に性別は問わないので、稀に公王弟に憧れて……といった者もやってくるらしいが、過酷な訓練についていけず、辞めてしまうのだとか。
そんな中で、嬉々として訓練に参加しているエリーゼは、見どころがあると可愛がられている。
もちろんエリーゼの訓練時間は、令嬢エリーはダミーが部屋で寝ている状態になる。
そんな病弱なエリーの、社交界デビューが早まってしまった原因はマージ帝国にあった。
皇帝の誕生祭にユリウスが呼ばれてしまったからだ。
公王弟であるユリウスが養女をとったという噂を聞きつけ、ぜひ一緒にと。
まだ社交界デビューをしていないと断られないよう、かなりの余裕をもって打診された。
つまり、誕生祭までにエリーを正式な場に出せるよう、社交界デビューさせろということだ。
招待状と一緒に、転移陣が描かれた入国許可印付き高級スクロールが、公王に直接送りつけられて来た。まるで信頼の証しだとでも言うように。
万が一にもこのスクロールを紛失しようものなら、国際問題に発展しかねない。
北部である公国の食糧は、帝国からの輸入がメインでもあるし、ある程度の誠意を見せておく必要があった。
それなりに円満で独立はできたが、隙を見せればすぐに帝国は公国を取り込もうとするだろう。
まだ会ったこともないエリーゼでも、皇帝がかなり強引で油断ならない人物であることは、容易に想像がつく。
独立の際にどんな取引があったのかは――エリーゼが知る必要は無いらしく、公国について学んだ時も触れられなかった。
養女になった理由が理由なので、エリーゼ自身も知りたいとも思っていない。
今回ご指名を受けてしまったユリウスは、どうせ公国からも祝いの品を届けなければならないので、しぶしぶエリーを連れて行くことにした。
その準備段階と言えるのが今日――エリーの社交界デビューなのだ。
デールに案内された先には、こちらも支度を終えたユリウスが立っていた。
エリーのドレスに合わせた衣装。学校行事にやって来ていた時の正装とはまた違う華やかさで、よく似合っている。
プロイルセン国で見た婚約式の貴族で、ここまでの人物はいなかった。アルもあの偽りの姿であったし、クリストファーには無い大人の色気だ。
これでは、令嬢避けが必要になるのも納得だとエリーゼは思った。
まあ、効果があるかは怪しいところだが。
「お義父様、お待たせいたしました」
少し照れたようにモジモジとした演技で、エリーは義父に声をかけ可愛らしくお辞儀した。




