1. 守られなかった約束
「お嬢様、お目元を失礼いたします」
穏やかなメイドの声に、エリーゼは力を抜いて目を閉じる。柔らかい筆先が、瞼の上をふわりと撫でた。
身支度をしてくれるメイドに身を委ねながら、エリーゼは少しばかり物思いに更ける。
――騎士学校を卒業し、一年が経った。
エリーゼと共に騎士学校を卒業した面々は、順調に目標としていた道に進んで行った。
そして、今日は公爵令嬢エリーとしての社交界デビューの日だ。
公爵家の令嬢と護衛騎士としての一人二役にもすっかり慣れてきたとはいえ、それはまだ屋敷の中だけ。公の場はこれからだ。
(私自身の為の、本格的なダンスパーティーはこれが初めてね)
騎士学校の卒業式は例年通りに執り行われ、ダンスパーティーも勿論あったが、エリーゼは出席しなかった。当初の予定では違っていたのだが……。
イングリッドに攫われた時にボロボロになってしまったドレス。やはり両親である二人が用意した物だった。
エリーゼはそれを着ているところを見せたくて、イザックに頼み、仕立て直しに出してもらうと新品同様なって戻ってきた。
ユリウスとも相談して、準備万全の状態でガスパルとアンジェリーヌをこっそり呼ぶつもりでいたのだ。
だが――。
タイミングの悪いことに、神聖帝国の使節団がマージ帝国へやって来るといった情報が入ってきた。
公国とは直接関係のない話ではあるが……この機会を利用し、間諜が紛れ込む可能性も考えられるとユリウスは懸念した。
ユリウスは第六皇女と関わりがあったうえ、神聖帝国と友好国であるマージ帝国から独立し、向こうにしてみたら情報が薄くなっている現状だからだ。
卒業式とは違い、ダンスパーティーには学生以外もやってくる。エリーゼが攫われた過去もあるため、念には念をということだった。
(あれは普通の人間の仕業じゃないから、防ぎようなんて無かった……とは、言えないもの)
残念ではあったがエリーゼも賛成した。
使節団が、プロイルセン国に寄るという話は出ていないようだが――アンジェリーヌたちはもう、ユリウスが目星をつけていた神聖帝国と関わりがなく、異国民の受け入れに寛容な国へと出発している。
そしてアルもまた、卒業式終了後にはプロイルセン国に発った。ダンスパーティーには出席せずに。
急いだ理由はわからないが、国へ戻ったアルは第一騎士団に所属し、すぐに出征したらしい。
もちろん手紙のやり取りなど出来る筈もなく、デールからの情報で知ったのだが。
とりあえず、無事であることだけは分かっている。
「さあ、目を開けてくださいませ。お嬢様、こんな感じでいかがでしょうか?」
エリーゼは促されるまま目を開くと、鏡の中には見事に仕上がったエリーの姿があった。
「とても素敵だわ。ありがとう」
ぷるんと艶やかな唇でニコリと笑みを浮かべると、見蕩れたメイド達から溜め息が漏れる。
初々しさは残しつつも美しくメイクされ、ドレスやアクセサリーもよく似合っていた。
(だけど――。予定よりだいぶ早まってしまったわね)
エリーの設定では実際の誕生日とはわざとずらしてあり、エリーゼの一歳下にしてある。社交界デビューも急ぐつもりはなかったので、もっと余裕があるはずだった。
けれど、面倒なことが起こってしまったのだ。
エリーゼは鏡に映る自分を見ながら、違う人物の顔を思い浮かべた。
『じゃあ。エリーゼが成人して、最初のダンスパーティーのパートナーは、俺にするって約束してくれないか?』
あの日のアルの言葉が、耳に残っている。
(約束……守れなかったわ)
まだ、アルからの連絡は来ていない。
どう考えても、出征して一年で戻れる場所ではないのだ。罠だとわかって行ったのだから、きっと今も大変な状況の中にいるのだろう。
心配だが、本当に危うくなった時はデールが教えてくれることになっている。それ以外は、監視するようなことはしたくない。
(これで良かったのかもしれないわ)
社交界デビューの日のパートナー、一曲目を踊るのは親族か婚約者と決まっていた。
パートナーの意味を知った時、エリーゼの鼓動は早くなり混乱した。アルは親族ではない。つまり……
『意味を知っても、撤回はしないからな』
アルは友達以上の関係をエリーゼに求めているのだ。
冗談ではないことはわかった。アルの態度を思い出すと、なぜ気付かなかったのかとエリーゼは自分に呆れてしまう。
(何度、人生やってるのよ。子供じゃないのに……)
今世――というより、ギフトの影響に気付いてから、心から誰かを愛せるとは思えなくなってしまった。
何か分からない力が働いている、自分であって自分じゃない人生。まるで自分の気持ちが偽物のように感じた。
割り切ってしまえば、義務や政略結婚ならきっと受け入れられる。
(でも)
相手の気持ちが本気であればある程、受け入れる自信がない。
前世で「僕の愛と君の愛情は違うものなんだろうな」と言われた。責められたわけではない。彼の自己憐憫などでもなく、ただ悲しみを孕んだ瞳が過去の自分の姿を映していた。
(未だに私には、愛と愛情の違いを見つけられないわ。大切な人たちに置いていかれるのも、傷つけてしまうのも……もう疲れた)
デールと出会えたことで、それも終わる筈だ。
アルを想うとキュッと胸が締め付けられる。
(もしも、また繰り返してしまったら?)
部屋の中は暖かいはずなのに、エリーゼは寒さにぶるりとした。




