9. 入学願書
――エリーゼは、十二歳になった。
「エリーゼ、話がある」
訓練を終えると、汗を拭きながらガスパルがそう言った。
「父さま、なんですか?」
「今じゃなくていい。夕食後、みんなが揃っている時にする。デールもな」
さっき迄とは違い、ガスパルの表情は硬い。ふいっと横を向いたが、少し緊張しているのが伝わってくる。
エリーゼとデールは、視線を交わした。
(いよいよかしら?)
来年の入学についての話だろうと、予想はついた。
そもそも、緊張すべきはエリーゼの方だと思うが……。ガスパルにしてみたら嫁に出すくらいの、苦渋の決断なのだ。
エリーゼは、出された課題は全てクリアし、デールとの秘密の練習も十分やった。
せっかくだからと、アンジェリーヌは文字も教えてくれた。当然、知っている事ばかりだったが、そこは子供らしく振る舞いつつ学んだ。勿論、デールも。
(ほど良く賢い子の方が、色々と都合がいいのよね)
そう、入学にむけては準備万端だった。
◇◇◇◇◇
食事が終わりテーブルを片付けると、ガスパルはニ枚の紙を置いた。
羊皮紙でも高価なのに、見覚えのある真っ白な紙だった。貴族ですら、公的文書に使う程の質。ここでの生活も長いから、二人もそれは知っているはずだ。
だが当たり前のように、この家には本もある。平民には簡単には手が届かない物。その中で育ったエリーゼは、紙に驚いてはいけない。
そして、そこに書かれた文字。
――入学願書。
「エリーゼとデールの通う、学校を選んできた」
ガスパルは、学校で使うには高級過ぎる用紙を、それぞれに渡す。
(え……!?)
学校の名前と、所在地を見て驚いた。この国の北部の、その先にある……とある公国だ。
エリーゼとして生まれ変わるずっと前、そこは違う国だった。つまり、公国として誰かが独立したのだろう。
「随分と遠い場所なのだが。学校長とは古い付き合いで、信頼がおける者だ」
ガスパルの言葉に、アンジェリーヌもニコリと頷く。どうやら、二人の知り合いらしいが。
エリーゼは、ただの知り合いではない気がした。
(本当に……その知り合いは、学校長なの?)
そして、ふと思う。
「父さま、入学願書は学校で貰ってきたのですか?」
「そうだが?」
(……変だわ)
ここから、この国の北部まで行くのは、相当な日数がかかる。ましてや国外ともなれば、正規の手続きにも時間が取られるのだ。
「あら〜、エリーちゃんは賢いわねぇ」
剣術担当のガスパルより、母親でエリーゼの勉強を見てきたアンジェリーヌは鋭い。
「どういうことだ?」
「この場所が、どこにあるのか分かったのよね?」
ふふっと、アンジェリーヌは微笑む。
ガスパルは随分と遠いしか言っていない。この集落から、ろくに出たことのないエリーゼが知る筈もない土地だ。
「えっと……この前。この地名を、地図で見ました。すごく、遠くないですか?」
アンジェリーヌが見せてくれた本の中に、地図があったのは事実だ。
「……エリーゼ。遠くて不安なら入学は、やめてもいいんだぞ!」
と言ったガスパルは、明らかに口元が喜んでいる様に見える。
「いえ、不安はないので大丈夫です! ただ、こんな遠い場所に、いつ父さまは行ったのかなぁ〜って」
一番初めに留守にした時は、長い期間だったが……。
その後は、いくら馬を走らせても日数的に短すぎる。ガスパルの体力をもってしてもだ。
これが、アンジェリーヌだったら魔法で転移する事が可能だろうが。アンジェリーヌは、ガスパルを見送るとずっと家に居たし、結界も張り続けていた。
「ああ、そういうことか」
エリーゼの反応にガッカリしたのか、ガスパルは席を立った――。かと思ったら、何かを手に戻ってきた。
「これを使ったからだ」
ガスパルは巻き物の様な物を、コトリとテーブルに置いた。
『……スクロールか』
デールの呟きが、エリーゼの頭に直接聞こえた。
最近デールは、こうやって話しかけてくる。いつもは、フェレット姿の時に使うのだが。今は、正面に両親が居るからだろう。
「これは、スクロールと言って特殊な魔法具だ。開けば転移陣が発動する仕組みになっている」とガスパル。
「エリーちゃんには、まだ教えてなかったわね〜」
とアンジェリーヌは、かの国が魔法に長けた国だと教えてくれた。
(二人は、簡単に言うけど……)
一回使い切りのスクロール。
主なスクロールは、もっと簡単な魔法を一回発動させられる程度。国を超える魔法陣などあり得ない。
公国で作られた物なら、転移先は公国の筈だ。
他国で作った物で、簡単に入国出来てしまったら、防衛に問題が生じる。そのため、作った国へしか行けないよう、条約で決められている。
つまりガスパルは、行くたびに新しい物を貰って来ていた様だ。行きだけ使い、帰りはきっと馬を走らせて。
(どう考えても、普通は手に入らない物よね)
益々、アンジェリーヌとガスパルは、ただの元貴族ではないと言われている気がした。
(いったい、どんな平民の学校なのよ)
エリーゼは、小さくため息を吐いた。
◇◇◇◇◇
「なあなあ。ガスパルの言ってた学校って、どんななんだ?」
「私が聞きたいわよ……」
いつもの深夜のおしゃべり。
今夜は出かける気になれず、屋根の上で座って星空を見ていた。
「あのスクロールは、そこら辺の魔術師が簡単につくれるもんじゃないぞ」
「知ってるわよ……。私だって、何回かしか使ったことないもの。とにかく、高価なのよ」
「貴族の学校ってことか?」
「それは無理だと思うわ、身分を偽っているのだから爵位が無いもの」
考えられるのは、学校長……いや、それ以上の権威のある人物が、後ろ盾になっていると言うことだ。
「じゃあさ、ちょっとオレが見てきてやるよ」
悪戯っ子のような表情で、デールは言った。