8. 練習中
ガスパルは、数十日間留守にしては戻って来て、また出掛けて行く。
そんな日々を、暫く繰り返していた。
いつもの様に集落付近までやって来ると、馬に跨ったままバンバンッと自分の頬を叩く。
険しい顔つきは集落に入る前に隠し、何事も無かったように装う。平凡な農夫に程遠い圧は、皆を驚かせてしまうだろうから。
まあ、エリーゼとアンジェリーヌを見れば、すぐにデレるのだが。
残されたエリーゼたちは、特に問題なく過ごしていた。毎日の課題も欠かす事なく。
そして、帰ってきたガスパルを、手合わせする度に驚かせていた。
「エリーゼとデールは……天才かもしれん」
「まぁ素敵!」
エリーゼたちが寝静まると、ガスパルはアンジェリーヌに報告する。
「それで彼はどうだったのかしら?」
「ああ、相変わらずだ。エリーゼを……任せろと言っていた」
「そう。彼なら安心ね」
「……そうだな」
安心という意味では……喜ばしい事なのかもしれないが、ガスパルの表情は晴れない。
「まあ、なんだ。条件として、臨時教師を頼まれてしまったが。家を空けて、すまないな」
申し訳なさそうにするガスパルに、アンジェリーヌは首を横に振る。
「そこの生徒は幸せね。ガスパルに教えてもらえるなんて。エリーちゃんが入学したら、二人でこっそり見にいきましょうよ」
「二人でか……それも悪くないな」
ふふっと笑みを浮かべるアンジェリーヌに、ガスパルの機嫌は良くなっていった。
◇◇◇◇◇
寝静まった……と思われたエリーゼの部屋は、もぬけの殻だった。
獣臭を漂わせ、暗闇から敵意を放つ気配がひとつ。
「エリーゼ、来るぞ」
「わかってるっ!」
手にした木剣をグッと握り、手首の印を意識した。暗がりでは見えないが、黒いモヤが剣を包む。
エリーゼはそれを構え、目の前に迫って来る獰猛な魔獣に向かって一振りする。
刹那。赤くギラギラしていた眼球は色を失い、ドスっと横に倒れた。
「今夜はこんなもんか」とデールは、大量に倒れた猛獣たちを眺めた。
「……うん。この山には、もう居なそうね」
肩で息をしながら、エリーゼは言った。
――夜の帳がおりると、エリーゼとデールはこっそり家を抜け出す。
ガスパルが戻っている間は、アンジェリーヌの結界も解かれ、両親の緊張感が薄れる。
そのタイミングを狙って、デールに悪魔の力の使い方を習っていたのだ。
二人に気付かれないように、遠くの山林を転々と。
べつに魔獣を虐殺しているわけではない。瘴気に当てられて、魔獣化した動物のそれを抜き取っているのだ。
やろうと思えば、生命力そのものを抜き取ることも出来るらしいが、エリーゼは全力で断った。
むしろ、人間が相手だった場合に備え、魔力だけ抜き取れるよう緻密に使いこなす練習を頼んだ。
そのため、近隣の村や町が魔獣の被害が減っている。神様のお陰だと、エリーゼの知らないところで崇められているのだが……まさか悪魔の仕業だとは思うまい。
「あ、そろそろね」
むっくり起き上がった獣たちは、何が起きたか分からないと言った感じで、ヨタヨタと来た道を戻って行く。
そこまで確かめると、エリーゼもデールと一緒に家へ帰る。
「ねえ、デール。抜き取った瘴気はどこに行っているの?」
最初の頃は、全身を走る悪寒が魔獣と対峙する恐怖だと思った。だが、慣れてくると……ゾワゾワと、何かが自分の中を流れる感じがよくわかる。
「ん? オレの中」
「えっ!?」
デールはエリーゼの手首を指した。思わず、手首を凝視する。
(な、なんか嫌だわ……ん?)
ふわふわと浮いているデールが少し、大きくなっている気がした。
(もしかして、成長期?)
そんな事を考えてハッとする。
「デール。私……瘴気以外も抜き取っちゃっているの?」
「あ、バレたか」
「バレたって! 嫌だと言ったでしょっ」
「仕方ないだろ。まだエリーゼが、そこまで上手くないんだからさ」
「うっ……」
そう言われると何も反論できない。
「どうせ、魔獣化した時点で自我がないんだ。人間を襲うか、逆に殺られるか。多少、寿命が縮んだくらい何てことない」
「そうだけど……」
「オレ的には有難いけどな。元の姿に戻れるし」
ボソリと呟く。
(……元の姿?)
まじまじと見ると、確かにデールは成長していた。
身体もだが、黒い艶やかな髪も伸び、だんだん少年ぽさが減ってきている。
(普段の人間の姿は、変身しているから変わりなかったけど……)
デールを拾った時の事が気にはなっていた。尋ねたら教えてくれそうだが、なんとなく聞いてはいけない気がしていた。
もしかしたら、エリーゼの魂を食べた時に――デールは本当の姿に戻れるのかもしれないと。
「おい、何を考えているんだ?」
「へ?」
目の前に、鮮やかなルビーの様な瞳があった。一瞬、ドキッとする。
「ち、近いわ」と慌ててデールを押し返す。
「いいか、エリーゼ。オレにとって、お前以外の命はどうでもいいんだ。だから、最後の時まで好きにすればいい。オレがどうにでも護ってやるからさ」
何を勘違いしたのか、励ましてくれているらしい。
「これからも頑張るから、ダメならちゃんと教えてね」
流石に、人の寿命を簡単に左右するのは抵抗がある。戦場に出ればそんなこと言っていられないが。
(矛盾よね……)
「任せろ」とデールは笑みを浮かべた。
悪魔の色香というのだろうか。デールがまだ子供の姿で良かったと、エリーゼはつくづく思った。