5. 潜む悪意
「うっ……」とアルは苦しそうに呻き、ガチャンとカップをソーサーに置いた。
『ね……ねぇ、大丈夫なのよね?』
エリーゼはアルの様子が心配になり、デールの手を引いて返事を促す。
大丈夫でないのなら、急いでデールに毒を抜き取ってもらわなければならない。ラインハルトの時のように。
『耐性があるから飲んだんだろ。それに、見ろよ』
冷静に見ていたデールは、アルに顔を向けたまま顎をしゃくる。
グイッと口元を拭ったアルは、何度か深呼吸するとポットを睨み冷たく笑った。
憎悪が滲み出たその表情に、エリーゼはぞくりとする。
すぐに、アルから漂う不穏な気配は消えたが……まるで知らない誰かのようだった。
(悪魔であるデールが、アルを気にかけていたのって――)
兵士学校の寮に入ってすぐに「面白い雰囲気の人間が居たぞ」とデールは言っていた。
魂を売ってでも悪魔と契約したい人間――そんな含みを感じた。
エリーゼはちらりと横目でデールを見て、視線をアルに戻す。
『アルはもしかして……毒を盛った犯人を知っているの?』
『だろうな』
耐性があるということは、過去にも同じ毒を口にする機会が何度もあったということだ。慣らすために自分で少量ずつ飲んだのか、はたまた悪意を持って何度も盛られてきたのか。
エリーゼは、漠然とだが後者だと思った。
(やっぱり……。アルは小さな頃から、何度も命の危機に晒されてきたのね)
怪我をし、熱にうなされながら涙を流していた幼いアル。この広い宮殿で、どれほど辛く不安な日々を送ってきたのだろうか。
今、魔道具によって弱々しくなったアルの姿。公国に来る前は、これが嘘偽りのない姿だったのかもしれない。
友人の過去を思うと、エリーゼの胸は苦しくなる。繋いでいない手で、スカートをクシャリと握りしめた。
(私はアルのことを何も知らない……)
転生したばかりの頃なら、無力なくせに自分を過信し、勢いだけで動き首を突っ込んだかもしれないが。
エリーゼとしての今世、わかっていたのに知ろうとしなかった。
王族に深入りし、大切な家族との――限りある平和な暮らしが脅かされることを恐れて。
アルはずっと、一人で戦ってきたのだろう。今更ながら、ルークが潜入をアルに秘密だと言った理由を理解できる。
(人には……身近な人だからこそ、知られたくないことがあるもの。だけど――)
アルももう、エリーゼにとって大切な存在の一人。
アルが自分に関することを話したくなった時、それがどんな事であっても受け入れる覚悟はできていた。
だが。
潜入して早々に、アル本人の口からではなく――生い立ちや、側室の母親の立場、王妃や義弟との関係を知ることになってしまった。
◇◇◇◇◇
――式典の準備はかなり忙しかった。
会場設営に、厨房との連携。
来賓たちの導線に、粗相が無いよう徹底した掃除や飾り付け。大量の花も運び入れられ、相当数の使用人が忙しなく行き来した。
立会人として、神殿から大神官が直々にやって来るらしい。
それだけで、ただの第二王子の婚約式ではないとわかる。
そんな中、エリーゼとデールは存在感を消し、アルの様子をうかがいつつ――王宮やいくつかある離宮を見て回った。
『予想はしていたけれど、随分と差があるのね』
『オレは離宮の方が居心地いいけどな』
率直な感想。
アルと側室である母親が住んでいる離宮は、本宮から一番離れていて、とても質素な建物だった。掃除も行き届いておらず、雰囲気が薄暗い。
とはいえ、平民であるエリーゼの家や、下級貴族の屋敷とは比べ物にならないが。
国王との謁見を済ませたアルは、式典当日まで離宮で母親と過ごすらしい。
さすがに、そこを覗くのはプライバシーの侵害だからと、デールにも釘を刺しておいた。
少ない使用人に紛れるのは、アルにバレるリスクだってある。応接室では、案内の近衛騎士が迎えに来て、廊下でお辞儀した姿のまま見送ったので、まったく気づかれなかった。
(それに……)
毒は致死量ではなく、アルならば体調が悪くなる程度の量であることもわかった。王妃側の人間が毒を入れたと突き止めたので、そちらを監視しておいた方がいいと踏んだのだ。
(母親に甘えるのを見られたら、アルもショックだろうしね)
遠目に見た、美しく優しそうな側室らしき人物。
アルが母親からのブレスレットを、すごく大切にしていたことを思い出す。
(ん……あれ?)
確か鍛冶屋で直してもらってから、ずっと手首につけていたが、最近見ていない気がした。
(きっと、大事に仕舞っているのね)
エリーゼは疑問に思わなかった。
ブレスレットのことも、アルが向ける母親への視線に含まれる感情にも。
◇◇◇◇◇
――式典の前々日。
背がだいぶ伸びたアルは、当日に着る衣装の最終チェックのため、本宮にある衣装室へ呼ばれた。全てを取り仕切る王妃によって。
「失礼いたします」と、アルを案内して来た執事は丁寧に頭を下げてからアルを中へと促した。
「アルフォンス王子、久しぶりですね」
衣装室の奥。
並ぶ針子と、蔑むような視線を向ける上級使用人たちの先。大きな窓を背に、王妃の為に用意された豪華な椅子に座っていたカサンドラは、機嫌良さそうにアルに声をかける。
「……王妃殿下にご挨拶申し上げます」
アルは王子らしいとは言い難い、戸惑いで強張った表情で挨拶を返した。




