12. 嵐の前の……
――ガリッと、イングリッドは自分の親指の爪を噛んだ。
この癖が出る時のイングリッドは、不安や苛立ちが酷い。いつもイングリッドの傍にいる魔法学園のクラスメイト、メレーヌは青褪めた。
「どうしてお従兄様は何も言ってこないの……?」
イングリッドは誰かに問いかけた訳ではないが、メレーヌは返答に頭を悩ます。
あの時――。間違いなく、可憐に涙を零したイングリッドに同情の視線は集まっていた。
だから、青髪の平民エリーゼの悪い噂は、一気に広まって行くと確信していたのだ。証人に王子を使い、騎士を目指す生徒として相応しくない人物なのだと、追い討ちも用意して。
――なのに、噂は全く流れなかった。
(それどころか……)
朝練を数回ほど覗きに行ったが、普段と変わらない様子で、エリーゼは楽しそうに訓練していた。
相変わらず……同じ平民で美男子デールが傍に居て、激しい訓練を二人で繰り広げると、見学者からはうっとりとした溜め息がもれた。
他の生徒も良い刺激を受けるのか、周りからの視線も好意的なものしか感じられない。
イングリッドに同情していた、騎士学校の生徒は何をしているのか。
柵の前で不安な表情をして立っていたにも関わらず、心配して声を掛けてくる者は一人も居なかった。
まるで、イングリッドの存在そのものを忘れたかのように――。
「役立たずね、お従兄様……」
イングリッドのピリついた雰囲気に、腰巾着のようについて歩くメレーヌは、話しかけるタイミングを窺う。
早く移動しなければ、次の実習時間に遅れてしまうのだ。
「あ、あの、イングリッド様。そろそろ授業がっ」
「授業……ああ、次は実習だったわね」
「そ、そうです。早く向かいましょう!」
気付いてもらえたと、メレーヌは安堵し移動を促す。
「そうだわ! 良いことを思いついたわ」
「……え?」
「あなたのポーション作りの才能と、私の光属性の魔力があったら、素晴らしい奇跡が起こせると思わない?」
「奇跡……ですか?」
メレーヌは、イングリッドのキラキラとした笑顔に悪寒が走る。
「そうよ。この公国では聖女は認められていないけれど、お隣では崇拝される存在だもの」
何を言いたいのか、メレーヌには理解が出来ない。
けれど、イングリッドはメレーヌに理解など求めていなかった。
「せっかくだから、お従兄様にもう一度チャンスをあげなくちゃ」
イングリッドから殺伐とした空気が消え、令嬢らしい婉麗な微笑を浮かべる。
自分の中で会話を完結させたのか、首を傾げるメレーヌを連れて実習室へと向かった。
◇◇◇◇◇
――騎士学校では、平穏で充実した日々が続いていた。
あの日。ラインハルトは、訓練の時間帯を決めてそれを伝えにきたのだ。わざわざ一年の教室まで。
剣豪を輩出している侯爵家だけあって、ラインハルトの実力は驚くほどだった。無駄のない筋肉質な体のせいか、重くて速い剣捌きに同時に繰り出される魔法。魔力をもたないとしているエリーゼにとって、願ってもない訓練相手といえた。
そういった意味ではアルも最適なのだが、お互い避けているので授業で当たる以外に剣を交えることは無い。
エリーゼが得意とするのは、瞬発力を利用した跳躍だった。素早く攻撃を躱し、相手の隙を見つけること。そこに躊躇なく打ち込む。
体重の軽いエリーゼは、重い剣を真っ向から受けず、剣の傾きを利用し力を受け流し、瞬時に移動して次に来る魔法攻撃を避けなければならない。
もちろんマナソードを使えば受けられるが。卒業まで魔力なしの平民を続けなければならない。マナソードの訓練はガスパルとやっていたので、今はスピードをつけることに集中している。
これから先もデールの力は、魔物相手や本当に必要な時以外は使う気はなかった。
朝は、デールとブランシュと。放課後は、ラインハルトとデールと一緒に訓練するのがエリーゼの日課になりつつある。
さらに、授業での実践もほぼ毎日あるのだ。エリーゼとデールのタフな体力は、クラスメイトから化け物じみていると称賛された。
当初ラインハルトは、エリーゼと二人きりでの訓練になぜデールがまじっているのかと、不思議そうな顔をしたが……。
エリーゼが「え、先輩がデールにも声をかけたじゃありませんか。お忘れですか?」と言えば、「そうだった」と納得する。
デールに貰った能力に、こんな催眠効果のおまけが付いていたとはエリーゼ自身も知らなかった。
(そういえば、意識操作の力を希望したとき、もっと高性能に使えるようにしてと言った覚えが……)
主に、性別の認識阻害するために使っていたが、考えたら意識操作の力だったと思い出した。
(催眠とかは……あまり使いたくないかな)
エリーゼはやむを得ない場合のみ使うことにする。誰かを意のままに操るなんて、気持ちのいいものではない。
デールは、そんなエリーゼらしい考えを見越して、敢えて伝えなかったのかもしれない。近くにデールがいれば、使う必要さえ出てこないのだから。
(ラインハルトはクセは強いけど……まあ、良い人だったし)
エリーゼは最初、ラインハルトのことをただの高慢ダメ令息だと思っていたが、剣に対してはとても真摯だと見直していた。
――そんな矢先。
「次の学校交流会で行われる剣術大会に、エリーゼとデールを一年生代表に推薦しておいたぞ」
訓練場で顔を合わせるや否や、ラインハルトはそう言った。ラインハルトは、エリーゼをすっかり認めている。
交流会は、前世でいう『文化祭』のようなイベントだ。互いに催しものを考え、学校と学園を自由に行き来できる。その中の一つ――
「剣術大会は、生徒会が主催ですよね?」
全員参加だと大変な人数になってしまう為、生徒会役員とその学年の生徒の推薦が必要になる。
「ああ、そうだ」
「生徒会役員からの推薦が無ければ、無理ではないですか?」
目立つイベントなだけあって、人気が凄いのだ。
「何を言っている? 私は副会長だぞ」
「え……そうだったのですか!?」
放課後、欠かさずやって来るので、忙しい生徒会とは無縁な人だと思っていた。エリーゼの顔にそれが出ていたのか
「生徒会の仕事は、朝と休み時間に全てやっている。私は優秀だからな」
ラインハルトは胸を張って言った。
(わざわざ時間作ってくれてたのね……)
「ただの祭りだが、訓練の成果を見せるいい場所になるからな」
「ありがとうございます」とエリーゼは素直に伝えた。
――だが。
エリーゼは知らなかった。
ラインハルトの持ち前である早計さとお節介で、剣術大会をきっかけに、イングリッドの誤解を解き、エリーゼとの仲を取り持とうと考えいたとは……。




