挿話 ベンジャミンの選択
座学の授業を受けながら、ベンジャミンの見つめる先は窓の外。教室から離れた訓練場だった。
(今ごろ、エリーたちは――)
アル、エリーゼ、デールの三人が、三年生と共に訓練するようになってから、数日が経っていた。
ベンジャミンは、対象者が居ないからといって、授業を欠席するわけにはいかない。クラスメイトに不信感を持たせないよう、常に演技し続けていた。
(くそっ! 俺も参加したかった)
ベンジャミンの素直な気持ちだった。
考えても仕方ないと窓から目を離し、すでに知っている内容が書かれている手元の教科書へ、視線を落とす。
ベンジャミンは訓練を受け、貴族に紛れても違和感のないほどに、さまざまな知識を叩き込まれていた。
それなのに、エリーゼの父親ガスパルには見抜かれてしまうと、あっさり言われたのだ。
顔には出さなかったが、納得できていないベンジャミンに、イザックは『あの方の野生の勘は侮れませんので』と、すれ違いざまに言った。
内心を見透かされたようで、自分の未熟さを思い知らされた。
(……つまらない)
これも周囲を欺く任務のひとつだが、エリーゼたちの近くにいられない時間は、やたらと長く感じる。
ぼーっとしていると、だんだん意識は自分の過去へと向いていった。
◇◇◇◇◇
古の言葉で伝えられた――とある村。
現在では、その名称は使われていない。
はるか昔の隠密の里を示す言葉だと、長老でもありベンジャミンの育ての親は言った。
時代が進むにつれ、それぞれの国で、その地に見合った名称に変化しているのだとか。
このミトス村もその一つ。
ベンジャミンが育った場所だ。故郷であり、鍛錬の地。代々、エグゼヴァルド公爵家の隠密である影の里。
本来であれば、とある村は、王家に仕える者の国家所有の里だが――。
今でこそ独立し公国となってはいるが、作られた当時は違った。
もともとこの公爵領は、帝都から離れた北部に位置し、魔物が多く生息する特殊な土地柄だった。その上、帝都の貴族たちとの腹の探り合い。
だからこそ国とは別に、ミトス村として独自に隠密の里をつくる必要があった。
当然、忠誠を誓う者だけが住んでいる。
自ら志願してやって来た者もいれば、身寄りがなく幼い頃に能力を見出されて連れてこられた者もいる。
そう、ベンジャミンのように。
平民の、捨て子だったベンジャミンに魔力はない。その代わりというわけではないが、優れた身体能力と魔法の影響を受けにくい体質を持っていた。
ミトス村は、一見すると普通の村に見えるが、普通の者などいない場所だ。
だが、決して住みにくい場所ではない。自給自足である意味平和で豊かな村。
ただし――。裏切り者は、村の責任において容赦なく処分される。法律などは何の意味もなさない。
ここでは、影としての働きの結果、引退を余儀なくされた者は戻ることが許され、下の者を育てつつ余生を過ごす。
まさに、死の淵から生還した長老がそれだった。
そして、村を出るには二つの方法がある。
一つは、公王の影に選ばれること。
能力が認められる、最大の名誉だ。村を出る時には、主と血の契約を交わし、絶対の忠誠を誓う。裏切りや、主の死は自分の死を意味する。
そもそも、裏切るような資質を備えた者は、村には居ないのだが。
代が変われば、次の主に引き継がれる場合もある。
二つ目は、『沈黙の誓い』という心臓に鎖をつける術を受けること。
任務での潜入や諜報をする者の命に直結する枷。
ミトス村の存在や、主君に関する情報を口にすると、その場で鎖が絞まるのだ。服毒よりも確実で、死因が不自然には見えない。
ごくごくまれにだが、君主が認めれば術を受けることを条件に、普通の国民として村を抜けることもできる。――そんな場所だった。
その日も、ベンジャミンは長老の目を盗み、木の上で寝転がっていた。
「くぉらぁ!! ベンジャミン、またサボっているな!?」
「は? サボってねーし」
「何だと!?」
「とっくに終わってらぁ!」
鼻の下をこすりながら、木からストッと降りると、素早く逃げ回るベンジャミン。長老の手が掠りそうになると、ひょいひょいとかわす。
最終的には屋根の上に飛び乗り、並ぶ家の屋根を軽快に渡っていく。
それを鬼の形相で追っていく、ふさふさとした白い髭を蓄えた、老人というにはあまりにも不釣り合いな俊敏さを持つ爺。
「げっ、もう追いついてきた!」
これで、身体が衰えてしまったが故に引退したと言い張るのだから……。若い頃はどれほどだったんだと、ベンジャミンは首を傾げることが多々ある。
しばらく逃げ続けたが、他の村民も加勢し、挟み撃ちにされ捕まってしまった。
「いい加減にしろっ! 今日は大切な話があるんじゃわいっ」
「……は?」
聞かされたのは、学校へ入学し、対象者たちの監視と護衛をすること。
そして、ベンジャミンの今回の任務は、ある種の試験だった。――影となる最低限の。
ベンジャミン能力から考えれば、かなり遅い試験といえる。
なぜならば、長老が良しと言わなかったからだ。
奔放な性格だからではない。ベンジャミンを自らの手で育て、能力と心が一致していない違和感を拭えなかったからだ。
ミトスで育った者は環境のせいか、洗脳ではないが、恐ろしいほどの忠誠心を植え付けられる。
だからこそ、影になり命をかけることが誇りでもあるのだ。
けれど――。ベンジャミンにはそれがなかった。
そんな中、公王弟から長老に任務の依頼があったのだ。対象者と年齢が近く、優秀な者を、とのことだった。
――そこで。
長老は適任であるベンジャミンに、ようやく機会を与えることにしたのだ。これが駄目であれば、処遇を決める必要があると。
◇◇◇◇◇
ふと、任務初日を思い出した。
生徒として対象者に近づき、友人関係を築きながら間近で監視できる立場を確立した。
そのあたりは素に近く、ベンジャミンにとって最も得意なことだった。アルフォンスにしても、エリーゼにしても、どちらも楽勝だった。
だが、エリーゼを見ていると、何か胸の奥に感じるものがあった。
それは、ミトスの仲間から聞かされてきた、公王家に抱く感覚と酷似していた。
――この方に命がけでお仕えしたい。そうしなけばならない。
そんな感情。
ベンジャミンは教科書を置くと、もう一度窓の外に目をやった。




