3. 決めた!
少し固くなってしまったパンを薄く切り、バターにちょっとだけ砂糖を混ぜて塗る。それを焼いて冷ました物に、たっぷりの木苺ジャムを付けて食べるのが、エリーゼの楽しみだった。
カリカリの食感と甘酸っぱさが相まって、いくらでも入ってしまう。エリーゼの小さなお腹はパンパンになっていた。
「う〜、おいしかったぁ! ねっ、母さまのジャムは最高でしょ?」
「うん、美味かった!」
口元をジャムで汚したデールは、無邪気な男の子にしか見えない。エリーゼはクスクスと笑いながら、姉のようにフキンで拭ってあげる。
「じゃあ二人とも、腹ごなしに動くぞ」
と父親のガスパルは、ニッと歯を見せ言う。
お腹を満たしたエリーゼとデールは、それぞれお手伝いを言い渡された。働かざる者食うべからずと言ったところだ。
デールはちらりとエリーゼを見たが、いってらっしゃいと手を振る姿に小さく頷く。
ガスパルは、ポンッとデールの頭に手を乗せ「行くぞ」と一言。薪割りや農具の使い方を教えるために、デールを外へと連れて行った。
あえてエリーゼはデールについて行かなかった。
これからずっと一緒に暮らすのだから、両親とデールもよい関係を築いてほしいと思ったのだ。ガスパルも同じ事を考えていたのかもしれない。
エリーゼのモットーは今を大切にすることだった。
(悪魔のデールにとったら、私たちと一緒に過ごす時間は微々たるものだろうけどね)
その間にエリーゼは、デールが使う部屋の掃除と寝具の準備に向かった。
ちょうど部屋の窓を開けると、畑に二人の姿があるのが見える。暫く、微笑ましいやり取りを眺めた後、掃除を開始した。
ひと段落すると、整えたベッドにポスっと座る。
やはり布団があると座り心地もよく、そのまま後ろに倒れ伸びをした。そして、天井を仰ぐと自分の手首を見た。
ふふっ……と、つい笑みがこぼれる。
(まさかの悪魔を拾っちゃったわ。これで――)
瞼を閉じると、過去に出逢った人々の顔が鮮明に浮かんでくる。
何故、自分だけ転生を繰り返しているのか。
いや――。
過去の記憶がそのまま残っているのか……一人の普通の人間には理解しようもなかった。
(初めて異世界に転生したと気付いた時は……。正直、戸惑いよりも高揚したっけ)
魔法がある世界に、こちらにはない知識を持った自分。愛する人とも出逢い、共に人生を謳歌したといえる。
(けれど……)
一つの人生を終え眠りについたかと思うと、新たにこの世界で次の人生が始まっていた。
物心つく頃に全てを思い出す。まるで、それが昨日起こったばかりの出来事の様に。
(私は単純な人間で、ポジティブな方。それでも……)
出会いはいいが、増え続ける別れを割り切ることなどできなかった。この置いてけ堀にされたような感覚は、どうやっても紛れない。
転生を繰り返す毎にそれは酷くなる。
その上。
たとえ新しい家族や友ができようと、常に偽りの自分を演じているみたいだった。他人に打ち明けられない、別の人間が自分の奥底に居る。
そう、そんな自分に疲れてしまったのだ。
かと言って、他人と関わらない人生は虚しくて続かなかった。
(だから、これ以上は……)
もう転生はしたくない――と、ずっと思い続けていたのだ。
幸か不幸か、そんな時にたまたま悪魔を見つけた。
奇妙な魔法陣の上に横たわる、美しいロウ人形のような黒髪の少年。
生きているのか確かめていると、魔法陣から不気味な赤黒い小さな手が幾つも出てきたのだ。まるで、その少年を引き摺り込もうとしているかの様に。
エリーゼ自身も理由など分からなかった。なんとなく、彼を連れて行かせてはいけない気がしたのだ。
ただの直感に過ぎなかったが。
たまたま過去に神官をしていた時に覚えた、悪い物の祓い方が役に立った。生命力溢れる木に貰った若い枝で、その不気味な手を祓うことが出来たのだから。
もし、少年が穢れた者なら影響を受けると思ったが、大丈夫そうだった。多少は痛かった様だが、大した事ではない。
まあ、当人が知ったら青くなるかもしれないが。
そして気付いた。少年自体が、簡単には祓えない程の大きな力を持った存在なのだと。
冷静に外見を観察したら、理由は簡単だった。
(それに、話すと面白かったし。デールはきっと良い悪魔だわ)
悪魔に良いも悪いもないと思ったが、エリーゼは自分の直感を信じたのだ。
ついでに自分の抱えていた、誰にも言えない秘密も教えてしまった。それを口に出しただけで、エリーゼの心は少し軽くなった気がした。
(どうせ魂を食べられてしまうなら、気に入った相手の方がいいに決まっているもの)
ふとデールとの会話を思い出す。
「あ……。願いを決めなきゃいけないのか」
これが最後の人生になるのだ。
どうせなら、今まで経験したことのない事をやってみるのも悪くない。
エリーゼは、ぴょんとベッドから飛び降りると、また窓を開けて畑を見た。
デールとガスパルは、エリーゼに気がつき大きく手を振っている。
「うん、決めたわ。どうせなら、今の私の特技を活かさなきゃね!」
スッキリした顔のエリーゼは、二人に手を振り返した。