9. 動き出したクラウス
「ふーん。なるほどね、こう来たか」
クラウスは、帝国の友人アダラールからの手紙を読みながらクスッと笑う。
(デールはやはり彼女をわかっている)
それから、デスクの前で控えている側近を見上げた。
幼馴染でもある皇子の楽しげな様子に、側近のイグナーツは、ほんの少しだけ警戒しながら指示を待つ。こんな表情の時は、何か企んでいることが多く、イグナーツが奔走させられるケースがほとんどだからだ。
「直近の修道院の状況報告書を用意してくれ」
「例のご令嬢ですね。アダラール殿下に送ればよろしいでしょうか?」
「いや、送らなくていい。僕が直接持って行くからね」
「…………はい?」
「ん? 僕の仕事はキリがついた筈だけど」
クラウスは処理済みの書類の山を指差す。
皇子としての職務は主に裏方。神聖帝国を治める父や、皇太子の兄から振られる事務的なものが多いが、処理能力がずば抜けているせいで溜まることはない。それを知っているのは、ごく一部の者だけだ。
(前世ではその何倍もの仕事をしていたからな)
光属性であれば兄達から疎まれたかもしれないが、クラウスは優秀で役に立つ能力を持つ、可愛い弟という地位を築き上げている。
今世の目的はひとつだけ。
だからこそ、クラウスには野心が無く、安全な存在だと思われるよう幼い頃から動いてきた。
(まあ、敵に回すとどうなるかという事も、証明しておいたが)
聖女は、敢えてクラウスには近寄らないようにしている。薄々、何かに気づいているのかもしれないが、お互い邪魔さえしなければ問題ない。
「マージ帝国に行くから準備をしてくれ」
「はぁ……またですか」
「何か文句でもあるのかな?」
「いいえ!」と返事するイグナーツは、諦めの表情だ。
「その前に、父上から許可を得ないといけないな」
クラウスは意味深長な笑みを浮かべた。
「ああ、そうだ。今回はイグナーツも行くことになるかもしれないから、色々と根回しも頼む」
さっきまでの顰めっ面は消え、パァッと表情を明るくしたイグナーツは「かしこまりました!」と執務室を出て行った。
それを見送ったクラウスは、もう一度手紙を開く。
(デール……お前の覚悟は確かに受け取ったぞ)
数日前、真夜中に突然やってきたデール。
メイド服を着た、まるで陶器のような美しい女性の姿をしていて、自身を『今はラニア』だと名乗った。
(その名を口に出来たのは、いつぶりか……。まあ、今のエリーゼに対して呼んだ訳ではないが)
悪魔のくせに、何の気遣いなんだと可笑しくなった。クラウスはククッと思い出し笑いをする。
デールはこれから神殿に向かうと言っていた。それから、もしかしたら暫く戻れなくなるだろうとも。本当に暫くで済むのか永遠になるかは、誰にもわからない。
――デールは、わざと奴に捕まるつもりなのだろう。
レイがクラウスとして、この世界に転生する時に聞こえた会話。デールに残された一度だけのチャンス。デールは、たぶんそれを知っている。
だからこそ、クラウスに頼んだのだ。
『エリーゼは、きっとお前を頼る。アダラールを使ってでもな』
『彼女を、神殿に近づけさせなければいいのだな?』
『……ああ』
『やれだけの事はしよう』
それだけの短い言葉のやり取りだったが――納得したのか、デールはさっさと帰って行った。
「さて、僕も交渉に向かうとするか」
秘密裏に調べたところ、アダラールは帝国内部の不穏因子に気づいている筈だ。あの皇帝を引き摺り落とす為に、公国とプロイルセン国を繋げた者がいる。
プロイルセン国に魔物を転移させたのは、実験を兼ねている。公国とプロイルセン国で戦争を起こさせる事が目的のひとつだ。
マージ帝国は友好国として上手く仲裁に入るていで、軍を派遣させ――手薄な状況下で、皇帝の元に魔物を転移させる算段なのだろう。
あくまでも、今はまだクラウスの憶測の範疇を出ないが。
(ああ見えて、アダラールは父親を尊敬し、マージ帝国を愛しているからな。あの皇帝は確かに賢王だが、それを疎む者は少なくない)
自分と似た匂いのするあの皇帝は嫌いじゃない。
プロイルセン国へ怪しまれずに行けるチャンスを、アダラールは逃しはしないだろう。ならば、クラウスを利用しない手はない。
(プロイルセン国の王太子アルフォンスは、アダラールがどんな人物かは知らないだろうが。エリーゼは、帝国を味方にするつもりなのだろう)
「父上も、強大な帝国へ恩が売れるのだから。役に立ってもらわないとね」
クラウスは、軽い足取りで窓辺に向かうと、空を羽ばたく鳥達を呼ぶ。
『さあ、君たちにはもうひと仕事お願いするよ』
嘗ての能力――『獣の王』と揶揄された力を使い、決して裏切らないクラウスだけの間諜を大空へと放った。
お読みいただきありがとうございます。
またも、かなり期間が空いてしまいました。
申し訳ありませんm(__)m
エタらせないよう頑張ります!