7. 初めての言い争い
「あら……何かあったのかしら?」
日課となった王太子妃教育を終え、王妃の宮から出たところで、いつもよりピリッとした空気を感じた。微かだが、宮の警護をしている騎士たちの雰囲気が違う。
今日の付き添いはデールのラニアではなく、ミラベルと二人の近衛騎士。
デールは、王国の歴史や竜について全く興味がないようで、勉強時間は姿を隠してしまう。毎度のことなので、エリーゼも気にしていなかったのだが――。今日はアルにも会っていないせいか、少し気になった。
エリーの護衛をしていたフィルマンとジャノは、顔を見合わせる。扉の外に立っていたジャノは、報告を受けているようだ。
「あー、ちょっとした罪人が逃げ出したようでして」
ジャノの言葉遣いは、相変わらず貴族らしさが皆無だが、アルとエリーの前だけなら構わないと言ってある。
(私だからいいけど、か弱い令嬢にそんな風に言ったら怯えちゃうわ)
「それは怖いですね。あ……ですが、アルフォンス殿下の信頼が厚いお二人に護衛していただいているので、私は安心しておりますが」
「それはもう、おれ……私たちがお側にいるので心配はいりません!」
ジャノはどんと胸を張った。
「ところで、罪人というのは?」
「それはただの窃盗犯なので」
馬鹿正直に話してしまい、フィルマンに肘で突かれ慌てて口を塞ぐ。これで手練れの刺客だったというのだから不思議だと、エリーゼは心の中で苦笑した。
(抜けてる風に見せて、周囲を油断させるのも手なのかしら?)
「きっと、すぐに捕まりますよ! エリーお嬢様には私がついていますので」と、ミラベルがフォローした。
「頼もしいわ」
ミラベルが侍女に選ばれた理由のひとつは、護身術に長けていることだ。エリーゼを守るというより、自分の身を守れる侍女の方が、何かあった時に安心できる。
(窃盗犯、ね。もしかして、神殿の者って言っいた……あのパーティーの男? デールは軽く話を流していたけど)
あっさり捕らえられた人物が、ひとりで逃げ出せるほど警備は甘くないはず。
(やはり、神殿関係者が接触してきたのかしら……)
カサンドラから、この国の歴史や成り立ちについても教えてもらっているが、神殿については特におかしな関係ではなかった。医療的な分野や祭事、互いの領域を尊重しながら良い関係を保っている。
(だからこそカサンドラ様は、神殿に不信感を持っていなかった。厄災の器の話を聞くまでは……厄災に、神託?)
エリーゼはハッとした。
(どうして気がつかなかったの? いや、違うわ。今までは彼女の感情と頭痛に邪魔され、深く考えることができなかったのよ)
金の瞳と、引き離される女性の苦しい思いにばかり気を取られていたが――。これからアルに、夢と似た状況が正に起ころうとしているのだ。
(それに私も関係しているのよね、きっと。もしも、あの竜人と呼ばれた青年が、アルの先祖か前世だったとして……重要なのは、厄災を告げた神官の方なのかもしれない)
最近鮮明になってきた夢で、同じ言葉を口にした人がいた。そう、顔の見えない神官が――。
◇◇◇◇◇
「絶対にダメだ!!」
あまりにも大きな声に、エリーゼはビックリする。外に声が漏れることはないが、声の大きさよりも、デールの剣幕に驚いてしまったのだ。デールがエリーゼに対して、こんな態度を取るのは初めてだった。
ラニアとして戻ってきたデールに、話があると外部から遮断してもらった。
それから、久しぶりに悪魔姿になったデールに、今日思いついたことを話したのだが――頭ごなしに却下された。
「なにも神殿に忍びこむってわけじゃないわ。ただ、ちょっとだけ、大神官て人を遠目でいいから見てみたいの」
「エリーゼは、神殿に関わらない方がいい」
「だけど、デールはあの時言ったわよね?」
「あの時?」
「リリアーヌ様の聖女認定の儀と、婚約式があった日……デールは私に訊いたわ。大神官に、見覚えがあるのかって」
「…………」
無言になるデール。
もしかしたら、また頭が割れるような痛みが起こるかもしれない。それでもエリーゼはぐっと拳を握り、話を続けることにした。
「もう一度、ちゃんと見たら今なら思い出せるかもしれないのよ。私が……夢でみた神官なのか」
そこまで言って変化が起こらなかったことに、ほっと安堵する。
「……夢?」
「ええ。ずっとね、前世から見ていたの。でも、意味もわからないし、実感もなかった。だって、私が経験した記憶ではなかったから」
「いつも魘されていたのは……」
「その夢を見た時よ。デールも、気づいていたのよね?」
「まあ、な」
「たぶん、私が転生者になる前の記憶。それが、ここのところハッキリしてきたの。あとね、頭痛が前ほど起こらなくなってきた」
デールは息を呑み、エリーゼを見る。
「デールは、もしかして……。昔の私を知っているんじゃないの? 前に何か話そうとしてたでしょ。頭痛に邪魔されたけど、人間界に加護を与える存在がどうのって」
「エリーゼ!!」
言葉を遮ったデールは、エリーゼをギュッと抱きしめた。
「頼む……まだ、思い出さないでくれ」
「デール?」
「今、エリーゼが全てを思い出したら、オレはもう願いを叶えてやれなくなる」
「……どういうこと?」
「印が、消えかけているだろ」
静かに言ったデールから体を離され、エリーゼは自分の手首を見た。確かに、だいぶ薄くなってなっている。デール自身が消えてしまうような、不安が一気に襲う。
「これと私の記憶が関係あるの?」
「たぶんな。そんな顔するなって! もう少しだけ待ってくれ。きっとオレの力がエリーゼにはまだ必要になる。だから、それが過ぎるまで」
「願いごとは、どうでもいい!」と、今度はエリーゼが怒鳴った。
「印が消えたら、デールはどうなるの?」
「それは……オレにも分からない。けど、消滅したりはしないから大丈夫だ」
「……そう。ならいいけど……今はこれ以上訊かないわ」
「ああ、そうしてくれ。神殿の方はオレに任せてほしい。ちょっと様子を見てくる。エリーゼは、アルについていてやれ。神殿と絶対に関わらせるな」
「わかった。ちゃんと帰ってきてよね」
「もちろん! 悪魔は契約者に嘘はつかない」
デールはいつもように、ニッと笑った。
◇◇◇◇◇
そして、翌日からラニアの姿は消え――。
エリーゼは、まだデールと話す時ではなかったと、激しく後悔した。