30. 夢と残されなかった体温
トクン、トクンと高鳴る胸の音。
また夢を見ている――と、エリーゼは無意識に感じていた。
握られた自分の手に視線を落とす。けれど、見えるのはそれを包み込む大きな手だけ。
顔を上げれば半歩先を行く、ゆるく結いた燻んだ金髪が、背筋の伸びた広い背で揺れている。女は幸せそうに頬を緩めた。
男の繋いでいない反対側の手には籠があり、中には洗ってはあるが明らかに使い古された布の塊が入っている。布の中身は、新しい衣類。新しいといっても、裕福な者のいらなくなった下がりものの服。
魔物が増え殺伐とした生活の中、苦しいながらも男の畑で採れる野菜は立派で、喜んで交換してもらえた。
一緒に暮らている女の為に、少しでも良い物をと探してくれた。出会った時に着ていた服は一着だけ。男の服を直したり、近隣住人から譲ってもらったり。だが、やはり形だけとはいえ、結婚式ならば似合う物を手に入れてやりたいとう気持ちが、女は何より嬉しかった。
家に戻り、着替えを済ますと目的の場所へ向かう。
身寄りのない、行き倒れの女を受け入れた男は、初めこそ警戒していたが心を許しあえるまで、そう時間はかからなかった。
この寂れた集落に、祭司がまわって来るのは数年に一度。その日に結婚する者が多いのは、祭司を通し、神に誓える機会はそうはないからだ。
敢えてその日が来る前に、近くの祠で二人だけでの結婚式をあげるつもりだった。
婚姻に縁など無い――祀られているのは豊穣の女神。だからこそ、女は安心しきっていた。
祠には、だれもいない事を知っていたから。結婚し、契りを交わしてしまえば、男に加護を与えられると信じて。
(――行ってはだめ!)
エリーゼの声は二人に届かない。
そもそも、この世界にエリーゼは存在していないのだから当たり前。エリーゼの意識は女の中にあるが、ただの傍観者でしかない。
何度も見ている夢だと気づくようになったのは、いつからか。それまでは、まるで自分がこの女自身のようで、自我は無かった。
理由は解らないが、マージ帝国から帰ってきてから夢はより鮮明になり、エリーゼとして客観的に感じることが出来るようになったのだ。
だが今は、それについてはどうでもいい。
この先に起こる事を知っているからこそ止めたかった。無理だと知っているのに。
祠の周辺には、この集落の者だけとは思えないほどの人数が集まっていた。
服を手にいるために、留守にしていた間に何があったのだろうかと、手を繋ぐ男は首を傾げ――女は、居るはずのない人物の顔を見て、ドクンと心臓が跳ねた。喉を締め上げられたかのように、息苦しくなる。
まだ、その時ではなかったはずだ。男が成人する日を待ち、生贄として捧げようと彼らは言っていた。
なのに今、厄災の訪れを告げる神官が、回避の策を宣言したのだ。生贄を差し出すように――と。
(やっぱり見えない……)
エリーゼは女の目を通して、夢の中の世界を見ている。女の絶望感は伝わってくるのに、神官の顔が見えない。遠いからではなく、確かにそこに居るのに、肝心なところがぼやけて認識ができないのだ。
手を繋ぎ、心配そうに見下ろしているはずの、男の顔も瞳の色が金だとしか判らない。もどかしさばかりが募る。
そして、いつもの場面が繰り返される。
民衆の中のひとりが男を指差した。
どうして彼が選ばれるのだと女は叫び、二人は引き剥がされ、お互い別々の場所に閉じ込められる。どんなに男が強くとも、多勢に無勢、しかも人質を取られた状態ではなす術がない。
自分が力を使えば助かるかもしれないが、二度と男と会えなくなる恐怖が勝ってしまう。せめて覚醒をしてくれたら――。
(……力? それに、覚醒って?)
嘆く女の中にいるエリーゼが、その意識を感じ取る。
女は、彼が生贄に選ばれることを知っていた。ここまで明確に感じ取れたのは、初めてかもしれない。女の感情に、エリーゼが引き摺られていなかったからだろうか。
この数日後に、逃げ出した男は女を迎えにやって来ることは決まっている。
それから二人で逃げて、捕まり――男はどこかに落とされ、女は誰かに捕まり幽閉されるのだ。
女は、男が落とされた場所が何処か知っているようだった。
この時ばかりは、女の絶望感に共鳴してしまう。どうしても、彼女の感情の波に呑まれ、エリーゼではいられなくなる。
もがき苦しむ中で、女の何かが壊れた――女は自分も落とされる方法を見つけたのだ。
◇◇◇◇◇
はっ――と、エリーゼの意識は、無理矢理引き上げられたかのように浮上する。
パチリと目を開けば、公爵邸の自分のベッドの上。
ひんやりとした額には、さっきまで何かが乗っていたような感覚が残っている。濡らしたタオルとかではなく、体温の無い冷たいデールの手のような。
(ん……手? もしかして、デールに気づかれた……ああ、違うわ)
エリーゼの感情を読み取れるデールが、夢に魘されている事に気づかないわけがなかった。さすがに、内容までは分からないだろうが。
デールが訊いてこないから、隠せていると。気づかないフリをしてくれていたのだど、今さらながら思い至る。
(でも、どうして……デールが言えないことに関係が?)
そこまで考え、頭痛が起こらないことに首を傾げた。
ふと。もう一人、エリーゼが魘されていると気づいた人物が居たと思い出す。
――デジレ•アズナヴール。
なぜ、今の今まで彼女のことを忘れていたのか。あまりにも自然に忘れてた事が、却って不自然に感じる。
(みんなは知らないと言ったけれど、彼女は確かに騎士学校で同室だった。……ちゃんと調べてみようかしら。でも、その前に)
エリーゼはむくっと起き上がり、サイドテーブルに置いてある招待状を手に取った。
(もう一度、アルの金の瞳を……確かめなくちゃ)
鮮明になった記憶の瞳は、やはりアルのものとよく似ていた。
エリーゼは、まだひんやりとしていている自分の額に触れ、纏まらない考えに小さく溜め息を吐いた。




