2話 強引な教育係
朝起きたら見慣れない天井だった。ああ、そっか、私は華国ってところに来ちゃったんだっけ。車に轢かれたと思ったら異世界転移(仮)してしまった私は、現在紫苑さんという無愛想な王子様にお世話になっている。無愛想だけどとても優しい人だ。
私は紫苑さんの隣で昨日あった出来事を思い出しながら昼食をもぐもぐと食べていた。料理は侍女の人たちがわざわざ私の部屋に運んでくれた。しかも紫苑さんもここで一緒に食べてくれる。寂しくないように気を使ってくれているのだろうか。ただ、口数が少ないので会話のキャッチボールはあまり続かず若干の気まずさはある。
本来ならもっと、これからのことを考えてお互いの意見を擦り合わせていかなきゃならないのだろうけど……まぁいっか。なるようになるでしょう。なんて考えていると。
――ぐぅぅぅ……私のお腹から鳴った、この音。紫苑さんはそれを聞き逃さなかったのか、目を細めた。
「食べているのに鳴るとは」
私は紫苑さんの言葉を聞いて食べ物を運ぶ手を止めた。
「な、何が言いたいんですか」
「お前はよほどの食いしん坊なのだな」
真顔でそんな事を言われた私は頭に血が上った。
「あーー! どうせっ! どうせ私は! 食いしん坊ですよ!」
腹立たしさと屈辱から顔を真っ赤にしながら大口を開けて乱暴に食べ物を口ほ中へと運んでいく。それを楽しそうに眺めている紫苑さん。
酷いや! 女の子に食いしん坊だなんて! 聞かなかったフリしてくれてもいいじゃん! ああ、恥ずかしい!
「紫苑さんってデリカシーがないんですね!」
「でり、かし?」
デリカシーという言葉に首を傾げる紫苑さん。なるほど、通じない単語もあるんだね。日本語は普通に通じてるんだけどな。
通じない貶し言葉になんだか怒る気も失せてしまった。
「どうかしたのか?」
考え込む私の顔を紫苑さんが覗きこんでくる。私は「なんでもないです」と首を振って、また食べることに集中した。しかし、食べることに集中していてもまたすぐに疑問が浮かんできて手が止まる。
――この世界の常識は、私の世界の常識と同じなのだろうか?
例えば、マナーや挨拶、街中での買い物の仕方とか。私の常識はどこまで通用するのか。
「紫苑さん。私、この国のことを全然知らないのですけど、一応この国の常識くらいは心得ていたいんです」
紫苑さんは「そうか」と言って顎に手を当てる。そして少し考えた後、一人で頷いた。
「ならば、教育係が必要になるな。榧を付けよう」
まさか教育係だなんてものが出てくるとは思わなかった。私が想像していたのは、簡単な本を借りたり、紫苑さんが片手間に適当に教えてくれればいいかなぁという程度だったんだけどな。
「えと……榧さんとは?」
「この国の頭脳のようなものだ。私もたまに世話になっている」
たまに。笑
「紫苑さんは教えてくれないんですか? 教育係だなんて、そんな、タダ飯食らいの私なんかに人員を割いていいんですか? しかも、国の頭脳とかめっちゃすごい人っぽいじゃないですか!」
「私は多忙な身だ。そして、生憎人に教えるのは上手くはない」
「そ、そうですかぁ……」
じゃあ、榧さんは暇なのだろうかという野暮な疑問は胸の内に秘めておくことにした。
正直言うと紫苑さん以外の人にまだ慣れていないから不安っていうだけだったりするので、知らない人に投げられるのはちょっとなぁ。
「その榧さんというお方はどんな人なんでしょうか……なんかこう、変な人、とかではないですよね?」
様々な物語により、国の頭脳といえば性格的にあまりよろしくない人がなるものだという偏見を持っている私である。もしかしたら榧さんも、という疑念が生まれた。
「変といえば変だが」
紫苑さんが答えたその時「ゴホン」という誰かの咳払いが聞こえたので振り向く。
「この俺を変人扱いするとは、どういう了見だ小娘」
額に青筋を浮かべて、眉間に皺をこれでもかってくらいに寄せて、作り笑いをしている人が、私を見下ろしていた。気づかないうちに背後をとられていたことにビックリした私は思わず汚い悲鳴を上げた。
「榧」
紫苑さんの言葉に、私は冷や汗をかく。この人が萱さん…!? やべぇ! なんというタイミングで来るのよ!
「紫苑様が少女を拾ったと聞いて見に来てみれば」
プルプルと羽扇を持つ手を震えさせながら、私を睨む榧さん。ああ、神様仏様御代官様お母様! お願い! 時間を戻してください! そんな私の願いも虚しく、私は榧さんに背中をど突かれた。痛い、とても痛い。この人手加減しなかった!
「紫苑様! このような小汚い小娘、山奥に捨ててきましょう!」
ど突かれたところを擦る私を見て、紫苑さんは横で必死に唇を噛んで笑いを堪えている。
「あっ! 紫苑さん、笑い堪えないで下さい! この人本気でど突いてきたんですよ! 酷くないですか!?」
「ふ……く……ふはははは」
「紫苑さんってばー!」
爆発したように笑い出す紫苑さんに私は頬を膨らます。
「堪えるなと言ったから笑った」
すんっ……といつもの無表情に戻り言い訳をする紫苑さん。このやろう。
「最悪だ!」
ど突かれた痛さと紫苑さんに笑われた悲しみと悔しさよ。私は俯きながら「チクショー」と呟いた。
「榧。私は葵を手放す気は一切無い。一度保護したものを追い出すなど無責任だ。それに、このような可笑しな娘は他にいないだろう」
「しかし――」
「なぁ、榧。この葵は私たちの知らないものを色々と知っているようだ。なかなか興味深くはないか?」
「……そうですな。確かにこの小娘の着ているものは見た事がありませんな。しかし、それ以外は普通ではないですか。客人扱いなど――」
そう言って目を細める榧さん。やばい、このままでは私は山奥に捨てられてしまう。それは困る。非常に困る。
「わかりました。では、私の国のことをお教えします。ですから、この国のことを私に教えてください。榧さんはこの国の頭脳だとお聞きしました。もしかしたら私の国の情報が政や文化の発展に役立つこともあるかもしれません」
私は必死だった。確かにこんな平凡な女子をタダで養う上に教育を受けさせるなんて虫のいい話はない。デメリットばかりでメリットがないのだから。だけど、異世界から来た私の知りうる限りの情報を渡せば、きっとメリットが生まれる。あとはどうとでもなれ。
私の提案を聞いた榧さんは口の端をあげてニヤリと笑った。
「そうか。そういうことならこの娘の教育、この榧が引き受けましょう。しかし役に立たないようならば俺は教育係を降りさせていただく」
ムハハハと怪しく笑いながら、榧さんは私の服を掴んだ。それはまるで「逃がすものか」と拘束でもするかのように。ああ、この人、やっぱり変だった。それにしても。
「やべーな、笑い方!」
私は紫苑さんに助けを請うように手を伸ばしたが、紫苑さんは哀れんだような目で私を見ながら一度だけ頷いた。
――まぁ頑張れ。
そんな彼の声が聞こえたような気がした。そして、榧さんは相変わらずおかしな高笑いをしていて怖い。
「ところで小娘、名は何という」
ピタリと高笑いを止めて思い出したように訊ねてきた榧さん。アナタ、さっき紫苑さんが私の名前言ってたのを聞いてなかったのか。
そう思いつつも私は笑顔で答える。
「葵です! 夜露死苦!」
「小娘で上等だな」
「人に名前聞いといてそれはないよね!? 名乗った意味無いじゃんか!」
「俺はこれからお前の師となる。これからは榧様と呼べ」
「紫苑さんがさん付けだもん。絶対呼ばない」
私は悪態をつきながら紫苑さんのマントを握りしめる。紫苑さんはヤレヤレといった感じに首を振っていた。